普段から価値観が自然に合う人を大切にしてる。価値観は多様化し続け、個を大切にする人が増えてきてる。
そんな中、人を批判し続ける事に時間を使いまくっている人に時間を使いたくないからだ。
自然に価値観が合う人達とやっていくのが文字通り自然でしょ。
嫌いな人に時間を使いまくる人ってどう考えても俺の感覚では人生を無駄にしているとしか思えない。
なんで嫌いな人に時間を使うんだろ。好きな人に時間を使えばいいのに。
心の中も心地よくないでしょ。嫌いな人の事考えたら。
自分で自分の心をいじめる必要なんてないのに。
適切な距離を取っていればそんなに気になんなくない?
近いから嫌悪感が強まるんだよ。
しかも嫌いな相手から自分へは近づいてこないのに、自分から嫌いな相手に近づいていくってどういうことだよ。笑
誰が人生を無駄にしようが関係ないけど、俺はそういう人たちに時間を使いたくないって思ってる。
価値観が合う人や自分を理解してくれる人というのは、本当の意味ではお金では買えないよ。
つまり、お金より価値があるものだよ。
表面上価値観が合うように見せかけてくる人はいるし、持ち上げてくれる人もいるけど言葉が薄っぺらい。
言葉以外の部分を見ればすぐに分かる。
本心は言葉以外の部分で知るべきだと思ってる。
にじみ出るもの、それを隠すのは容易い事ではないでしょ。
ほのぼのと感覚が合う人達と話す時間、これはきっと年をとっても宝物だよ。
お金がかからない時間でも、お金より価値のあるもの。
心からのつながりというのは本当に買えない。
極力ありのまま生きる事を意識している俺みたいなやつをかまってくれる人がいる事自体が奇跡だよ。
人に言われるまでもなく、性格も悪いし短気だしどうしょうもない。クズなとこもあるでしょ。
合わない人がいたら直接合わないと伝える事だってあるよ。笑
それは俺が自分のコミュニティを形成しているからできる事なのかもしれないね。
人のコミュニティに参加したとしたら絶対そんな事言わない。
というか、気に入らなかったり合わないと感じたらそもそも参加しないから。
どちらにせよ、自分で選べるんよな。人と関わるかどうかも、コミュニティに参加するかどうかも。
誰もがベストな場所でベストな人と快適に関わるべきだと俺は思ってる。
俺はその中の一つを作っているにすぎない。
無数にある価値観の数だけコミュニティが存在していればいいんだと思う。
俺は極力自分のコミュニティではメンバーに合わせず本心でいく事を心がけてる。
その代わり、どうしてそう思うのかという理由の部分を伝えるようにしてる。
一見、傍若無人に見える事もちゃんと考えがある事だという事は知っておいてもらいたいから。
実際に経験した事を踏まえて考えている事も多い。
経験したことがない人がまず思いつく事って結構やり尽くしてたりする。
その上で判断している事も多いので、そこも伝えないといけないしな。
俺の中の棘のような部分が合わない価値観からコミュニティ全体を守ってる。
棘のような部分は、一般的に短所だと呼ばれる部分だと思う。
その部分を許容できる、もしくは歓迎するという価値観の人だけ残っていけばいい。
無駄に短気なわけじゃないしな。理不尽な人に対して短気なわけであって。
それに強く言わないといけない時だってあるよ。
強い言葉を人に投げかけるのって勇気も勢いもいる。疲れるからな。
いわゆる短所というものがあるから伝えられる事だってあるんだよ。
悪い事ばかりではない。誰かが言わないといけないんだから。
できる事なら嫌われそうな事なんて一切言わずに生きてたいよ。
心は強くないから。
優しく包み込んでくれるような存在に心救われることがある。心からの優しさというのは人を救う。
疲れ切ってるときであればなおさら染みる。
綺麗事抜きに言えば、俺が持っていないものをくれる人は助かるし、苦手な事を代わりにやってくれる人も助かるよ。ありがとう。
”気にかけてくれている”という事に心が救われることもある。
クリスマスに「これで美味しいものでも食べな。」と、気にかけてくれてお金を振り込んでくれた人がいたように。
たった一回の出来事(2年連続もらってるけど。笑 マジでありがとうございます。)でも、心の中では何度も何度もありがとうという気持ちが事あるごとに込み上げるんよ。
一回の出来事に一回のありがとうじゃないんよな。一回の心に染みる出来事は、その後何度でも思い出して何度も何度も感謝の気持ちで心が満たされるんだよ。
もし自分でクリスマスだからちょっとだけ贅沢しようと思って自分でお金を出してやったとしてもきっとすぐに忘れてしまうだろう。それに感謝する相手はいない。思い出すきっかけも少ない。
本当に求めているものを受け取った時、感謝しないなんて事は絶対に起こり得ない。自然に込み上げるものだから。
俺が大切にしている物の中にも人からもらった貴重な物はたくさんある。仕事の道具もそうだし、日常的に使うものもそう。
ふと、立ち止まって振り返った時に、関連したエピソードを思い出す。
これを手に入れた時はこういう事があったなぁとか、これはこのひとにもらったんだったなぁとか。
面白いもので、人から何かもらいたいとかお金を目的として人と関わろうとしていたならこの結果になってないよな。狙ってどうこうしようとしても無理。少なくとも俺は。ありのまま、無いものは無い、欲しいものは欲しい、やりたい事はやりたいと言い続けていたら気にかけてくれたり応援してくれる人が出てくる。
マジで気にかけてくれる人は神だと思ってる。心地よい関係性で居てくれる人って本当ありがたいよ。純粋な優しさにはいつも心打たれる。
そして俺はいつも自分の事でいっぱいいっぱいになってしまっているなと気付かされる。ちっぽけな存在。
俺が期待に応えられるとしたら、自分の活動に専念してもっともっと楽しんでもらう事だと思う。
「あの時は、大変な時期にすごく助かったよ。」と、改めていえる日がくるといいな。
俺は自分の軸でいく事しか出来ない。そういう属性の人間なので。人には色んな属性があると思ってる。俺みたいになんでも自分で立ち上げないと気がすまない人間もいれば、自分で旗揚げするのは苦手だけどサポートするのは得意だという人もいるでしょ。
俺から見れば周りの人にマジで尊敬できる部分いっぱいある。逆に、俺以外の誰かからすれば1からコミュニティを立ち上げて関係性を作っていくとか人を集めて何かをしていくというのがやれる気がしないという人もいるだろう。
だからこそお互いに尊敬し合えるんだと思う。できるだけありのままで成立させられればそれが個性になり真似できない事になる。そういうふうにしたい。
本当の理解者はお金では買えない。今、理解してくれている人を大切にしよう。
尊敬し合える人達と快適に楽しく生きていく。
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