2020年をどんな年にしたいか考える前に、まず2019年の振り返りをしよう。
2019年は自分にとって実験的な年でもあった。YouTubeのチャンネル登録者数を増やそうとしたら増やせるのかということもそうだし、うんざりして封印していた参加型のことをやってみたりした。
結果は今のところ想像以上にいい感じではある。月間600人チャンネル登録者数が増えるという結果が出た。運も良かったと思うし、いつもメンバーが参加してくれるおかげというのは大きいと思ってる。
毎日数時間使う事になるので、その間仕事が出来ないので当然収入は大きく減る。ピンチになろうとギリギリまで好きなことをやると決めていた。
だから、ある日突然急にパッタリ生放送が出来なくなるかもしれないよっていうのはみんなに伝えてた。
これは大げさじゃなくて、本当にそうなる可能性の方が高いと思ってやってたし、もうちょっとやってみようと思ってる。
この、ギリギリまで好きなことをやるというのが大きな実験だった。
一昨年とその前の年、割と大きなピンチを迎えていた。
自分の力だけで乗り越えられるのかわからないと毎日思いながら、ピンチピンチ叫びながら自分でどうにかやろうと日々頑張ってた。
どちらのピンチも、支援してくれる人が出てきてくれたりこのピンチにより距離が縮まった人達がいる。
ピンチを救ってくれた方とは距離が縮まり、今でも連絡をとっていて俺は友達のように思ってる。
2019年の最後までピンチだと叫ばずに過ごせた。ギリギリの状態になることを覚悟し、好きなことを最優先にして生きていると本当に奇跡のような展開が起こる。
ピンチになることを覚悟してたんだけど、毎月翌月にはピンチになるかもしれん。。と思いながらもなんとか2019年を終われた。
仕事の入り具合によっては常に翌月にはピンチになる可能性があるにも関わらずなんとかなった。
2019年はホワイトボードアニメーションの仕事がメインになった年でもある。ずっとフリーランスになってウェブライターの仕事がメインだったんだけど、2019年はメインの仕事がホワイトボードアニメーションになっていった。
俺は自分の中での違和感に敏感で、ウェブライターの仕事に関しては俺がやらなくてもいいんじゃないかと思った。仕事の内容自体が、俺じゃなくても書けるものだから。
センスを活かしたり感覚を大事にするようなことを俺はやるべき。YouTubeでの活動に限らず、コミュニティを作る活動はまさに感覚でしかない事なので、それを活かせることをやりたいんよな。
いつピンチになるか分からない状態ながらも11月には東京に5日間も行けた。これは滞在費や交通費など全て出すから東京に来ちゃいなよと言ってもらえてお言葉に甘えたから実現出来た。
普通こんな話って舞い込んで来ないよね。丁寧に関係性を作り上げてきたからこそだし、この方は誰にでもお金を出すわけではないと俺は思ってる。
だから特別な事だなと思う。この方のお金の使い方はいつも美しいので勉強させてもらってる。
東京に行ってからも一流の場所にいくつも連れて行ってもらった。東京でも奇跡の連続で令和元年にマジで特別な経験をさせてもらったと思ってる。
2019年は人生の中でもなかなか自分らしく過ごせた1年だと思う。お金があってもなくても幸せなんだなということを実感できた年でもある。
お金があっても、俺の場合は自分らしくいられなかったら本当に幸せを感じられなくなる。今、毎日自分らしく生きられている事に感謝し続けてる。
自分の人生って、自分で決めるものなんだなぁと改めて思った。
自分で決めるものではあるけど、自分の力だけで生きようとするのは勿体ない事でもあるんよな。
俺に支援してくれた方で、「喜んでくれてありがとう。」と言ってくれる方がいて、喜ぶことで喜んでくれる人がいるということを知った。
これって本当にすごいことだと思う。この人の人生はとても幸せなものになるだろうなと思った。
自分から相手が喜ぶことをして、相手が喜んでくれたら嬉しいってすごく純粋な感情だと思う。
世の中にこのような素晴らしい感覚を持っている方がいるのであれば、俺はそういう人達と関わるべきだと思った。
よくよく考えてみれば自分の中にも似た感覚があって、コミュニティを10年以上やれてるのは参加してくれてるメンバーが快適に楽しそうにしている姿を見るのが好きだからなんよな。
一緒に楽しみたいし、一緒に快適でいたい。
2020年はこの流れを引き継いでいきたい。
2018年の終わり頃、2019年は動画の年にすると思ってた。あと、年末から急にプログラミングの独学を始めた。
2019年終わってみれば最初に考えていた感じではないけど幸せに過ごせた。
俺の場合、いつもそんな感じ。決めてもその事に固執するわけではなくて、その時その時の感覚を大切にするので予定変更は積極的に行う。
過去に決めた古い自分の道筋にこだわりすぎるのは正直馬鹿らしいと思ってる。
大筋が外れていないのであれば細かいところなんてどうだっていい。
なので、2020年をどういう感じにしたいかを今書いておくけど、別にその枠の中で過ごそうと思っていなくて、あくまでも現段階で書いておくという事はご承知いただきたい。
今自分の中でレトロなテイストの写真を撮影するという事が再燃してる。編集でどうこうするというより、撮影の段階からレトロな感じで撮影する事がメイン。
ロモのようなトイカメラをイメージしてもらったら分かるけど、撮影した瞬間はどのような感じか分からずに、現像してから仕上がりが分かるみたいな。
これを手軽にデジタルで遊べる環境。
正直、普通に撮って後から加工した方がイメージどおりには出来ると思うし効率的。
だからずっとそうやってきてたんだけど、撮る楽しさのことまで考えていなかった。
昨日、実際にやってみたらすごく楽しかった。
ミラーレス持ってるのにわざわざショボい感じで撮影するのって馬鹿らしく感じる人もいるかもしれないけど、写真ってボケ味があればいいっていうものでもないし、写真の雰囲気や世界観という意味ではトイカメラでも十分対抗出来ると思ってる。
こうなってくると、動画も撮りたいけど動画を撮るのって結構手間なので写真だけに集中していいのかなぁ。。どうなのかなぁ。。って思った。
動画の場合、ちょっと編集しないとそれなりに見えない気がして。
それも踏まえて色々考えていきたいな。
手軽に直感的に楽しめることが好き。
2020年、旅行や遠征もちょっと出来たら面白いかも知れないと思ってる。そう思ったきっかけは11月の東京旅行。
あの旅行では本当に感じる事が多くて面白い経験がたくさん出来た。
心の中も日常のものとは違っていて、1日のスタートが家じゃないことも面白い。
生きてる感がすごくあるんよな。
ずっと非現実的。
ずっと夢を見ているような感覚だった。
その感覚がすごく面白かった。
自分でありながら自分じゃないような。
自分という存在を知っている人間を、招待してくれた人以外誰も知らないんよ?
なんかワクワクした。
決めつけられることもない、めんどくさい関係性もない。
まっさらな状態。
全てが他人ではあるけど誰にも干渉されない。
そんな魅力が旅行にはあるね。
どんな自分になってもいいんだよ。
俺の場合、そんなに簡単にキャラを変えられないけどさ。
日帰りでも1泊2日でも2泊3日でもショートトリップみたいな事は出来るよな〜って。
そういえば、大晦日に旅行用のブログを密かに作った。
この東京旅行の事はまとめておきたいと思ってるし写真も公開したいので。
生放送に時間を使いすぎて他の事なにも出来てないよ。
俺はそれくらい力を入れてやってる。
参加している人達はどうなんだろう。
ただの暇つぶしなのかな、こだわりを持ってくれているのかな。
俺は場を大切にしたいので誰と関わるか関わらないかを明確にしているし慎重にしてる。
その一方、その意識を持っていないメンバーが想像以上に多いことを知った。
説明はしていくけど、もしかしたら関われないメンバーが今後出てくるのかも知れない。
薄い関係性はコミュニティ崩壊を招く。
コミュニティの濃度って大切だと思うし、価値観が合わない人との薄い繋がりが深まれば余計な不安を感じたり価値観の違いに悩む事になるでしょ。
一体感がなくなればコミュニティの外で遊ぼうという人達が出てきて、コミュニティは人で成り立っているのでそれが原因で崩壊する事にも繋がる。
一人ひとりがコミュニティを大切に思い、自分ごととして考えていなければ割と簡単に崩壊するものなんだよ。
それを知らない人が悪気なく気軽に崩壊に導く。
先日、色々あってそのことを書こうとして途中でやめた。
また改めて書こうかな。
またクローズドなコミュニティを別で作った方がいいのかもしれない。
いや、その準備はすでにしているんだけど動かせていない。
今回のこととは関係ない違う活動でクローズドなコミュニティを実験的に作ってみたことがあるけどすごく快適。
もしコミュニティが崩壊するような事になればしばらくは撮影に集中しようかな。
そういえば、参加型の企画をやらなくなったのも、コミュニティ崩壊のことをメンバーが考えないからだったな。
人がたくさん集まるとみんな欲が出る。自分の好きなようにやりたくなる。
でも、人がたくさん集まり快適にやれるのはその「場」があるからだと知ってほしい。
コミュニティと離れて自分達の好き勝手やる人が出てきたとして、その人達は自分達で場を作る事になる。
その時に初めて新規で人を入れ続ける事がどれだけ難しいか、継続して活動していく事がどれほど難しいかを知る。
今まで何も考えなくても新しい人と知り合え続けていたのはコミュニティという場が新規メンバーを入れ続けていたから
自分達は何も考えていなくても自分の事だけ考えていれば楽しめていたのだと知る。
難しいように見せていないだけで、実は安定して新規メンバーを入れ続けて快適で楽しい場所を継続していくって、本当はとてもむずかしいよ。
ストレスもかかるし矢面に立たないといけないのでいわれなのない酷い言葉も受ける。
すべて運営しているところにぶつけられ、裏で対応することもある。
その部分が見えないし俺もわざわざ言わないから当たり前に成立していると思われるけど本当はそうじゃない。
自分の事しか考えないやつが集まればやがて好き勝手しだして崩壊する。
誰と繋がるかというのはその一歩なので本当に重要。
俺はその事に気がついてほしい。
コミュニティの趣旨としてその方針を示していても、一人ひとりが意識を持たないとほころびが生まれる。
ずっと楽しく快適な場所であってほしいなら意識してほしい。
コミュニティレベルでは関わる人を選んでる。
俺個人としても選んでる。
参加する側も選んでほしい。
それをもっと考えてほしくて年末年始は生放送をしないと決めた。
悲しかった。伝わっていない事と該当者の意識の低さが。
そのせいで生放送の頻度が減った。
あの状態のまま続けるのは危ないと思った。
改めて考えてほしい。
簡単にコミュニティは崩壊することを。
俺個人としてはやりたい事ならたくさんあるので特段困ったり暇という事は一切ない。
仕事だってやらないといけないし生放送を毎日やる事で犠牲にしてきたこともたくさんあるのでそれをやればいい。
実際、昨日撮影に行ったしね。
参加する側と運営側に熱量の差があれば、いい話にならないよ。
それなら無理する必要ない。暇だからやってるわけじゃない。
熱くやりたいし、生活をかけて俺はやってる。
だからそれを理解して支援してくれてる人には感謝しかない。支援が全てとは思っていないけど、支援してくれてる人は自分ごととして考えてくれているのは間違いないと思うし、頑張って!とか、応援してる!と思ってくれてるのは間違いないと思う。
こういう存在に救われてるよ。お金も必要でしょ。当然のことなのに、なぜかお金の話をすると距離を取る人もいるね。いや必要な話をして距離取られるなら関われないでしょ、普通に。
何をやっても不満を持ったり文句を言ってくる人っている。それは建設的な意見とは全然違うよ。
どんな意見を持つ人もいるだろうけど、そいつと関わるかどうかはこちらで決める権利もある。
無意味にめんどくさい人とは関わらないよ。
参加者が参加するかしないかを決める事が出来るのと同じように、運営の俺も参加させるかどうかを決めさせてもらう。
運営は弱い立場ではない。一方的に攻撃されるサンドバッグでもない。
何を言ってもいいと思ってる人とは関わらない。
なめた態度の人とも関わらない。
礼儀正しくマナーを守れる人とだけ関わっていく。
そうする事で活動の全体が快適に保たれるので。
2019年は特に後半にたくさん感じる事があった。2020年も自分らしく生きる。自分らしい時間を取り、自分らしい活動をする。
自分の考えや感覚を洗練していき、誰と関わり関わらないかを決めていく。
関わる人は大切にする。俺のことを大切にしてくれる人は特に大切にする。
よくわからない人とはかかわらない。
2020年が終わる頃、きっと今想像してる年とは全然違う年になっているだろうからワクワクする。
内容はわからなくても、軸に置いている考え方は一切ブレてないと思う。
ここ数年ずっと軸は同じ考えだから。
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1月1日にここまで書いて今3日。
読み返すのがめんどくさいし消すのは勿体ないのでこのまま書く。
2020年はもっと自分らしく生きられるようにしたい。
自分の活動をすればするほど豊かになり自由になるように設計する必要がある。
もちろん、自分だけが幸せになれればいいということではなくて活動を通じて同じ時間を過ごしたり共感する中でメンバーと楽しんでいきたい。
俺は俺が作り出したテリトリーの中の事しか分からないので、テリトリーの中だけに特化していく。
自分の手の届く範囲は常に快適に楽しくしておきたい。
趣旨に沿って参加してくれる人を幸せに導くことと、俺がやりたい事がイコールになっているのがベスト。
というか、そこしか目指さない。
自分が犠牲になったり我慢して成立するような世界観なら外の世界でいいじゃん。
自分が最高の状態になった時にメンバーも最高の状態になる、そんなふうにしていくし考えていく。
俺は俺の作り出したものや俺自身にこだわりを持ってくれている人を大切にする。
上手く利用しようとする人とか暇つぶしに使っている人は、それだけの人。
こだわりを持ってくれているわけではなく俺が作り出したものを利用しているだけなので何かあればすぐに去っていってしまう。
状態や条件に関係なく関わってくれる人というのは”俺だから”参加してくれているという人物なんよな。
多分、そういう人って想像以上に少ない。自分で分かってる。
俺自身や俺が作り出したもの、場所などにこだわりを持ってもらえるようにならないと支援も増えないだろうな。
だから単純な技術やスキルで勝負するんじゃなくて(上には上がいるから)、快適さや居心地の良さや共感で人と関わらないとダメだと思ってる。
そういう意味で、出来るだけ価値観は全面に出すようにしてる。
そのことにより関われない人が一定数出てきてしまうのはしょうがないこと。
全ての人を受け入れようとしていないのが俺の強みでもある。
最高に合う人達と最高に楽しい時間を過ごすというのが、もともと狭く深くしか人と関われない俺の幸せでもあるからな。
なんでもありにはしない。
考えが合わない人をわざわざコミュニティに入れようとは思わない。
建設的な意見とただの悪口は違うし、全ての考えが合う人なんていないのは分かってる。
大筋合意、細かい部分で建設的な意見交換というのはあり。
ただ、否定するだけではなく否定するからには論理的な代替案を出して欲しいというのは思う。
そうじゃないとおかしいしな。もっといい考えがあるはず!って思ってるのに代わりの案がないというのは否定する事が目的になってしまっているということだから。
あと、無駄にリスクを気にしすぎるのも俺はあまり好きじゃないな。
何やってもリスクなんてあるよ。取り返しがつく事ならやってから考える方が早いこともある。
そのへんの感覚が合うかどうかも大切ね。
2020年、今のところトイカメラで撮影したような動画や写真に力を入れたい気持ちが強くなってる。
前からちょいちょいやってることではあるんだけど、気持ち的に盛り上がってる。
YouTubeも続けていく。
ただ、意思の疎通が大切な段階に入ってきてるとは思う。
誰もが好き勝手やりはじめたらあっという間に崩壊するよ。
それは宣言しておく。
何回も経験してきたから。
誰と関わるか、関わらないのかを明確にして趣旨のど真ん中の人たちを一番大切にする。
全てのメンバーを全員同じ扱いにする方が俺は平等じゃないと思ってる。
貢献度も違うし価値観が合う具合も違うだろうし。
そもそも個人的に友達になる事だってあるだろうし。
俺の活動が俺自身の自由を奪ったり狭めたりするのはおかしいと思ってる。
そうならないようにやっていきたい。
じゃないと、大きくなればなるほど不幸になるでしょ。
一般的な価値観とかそういうのは俺の活動には持ち込まないでほしいし俺も持ち込まない。
一つ一つの事を自分で考えて自分なりの答えを出して反映していく。
だから決定の理由はちゃんと頭で考えたカスタムされたものになる。
一般的にこうだから。。みたいな決め方はしたくない。
あと、前例がないから。。みたいな却下の仕方もすごく嫌い。
前例がなくてもやりたいならやる。
やって失敗したらその時はその時。
マジでどんな年になるかわからんけど、出来る事なら今関わっている人たちと今年が終わる頃にも楽しくやっていられたらいいな。
どれだけ仲良くても関係性って変わっていってしまうものだから何が起きても軸はブレさせずにいくよ。
俺が作った場を大切にしてくれる人を大切にしていく。
一体感を持ってまとまって楽しんでいける人とはずっと一緒にやっていけるんじゃないかな。
ネット、リアル問わず俺を大切にしてくれてる人を大切にしていきたいな。
当たり前のことだけどさ。
身近にいてくれる人たちを俺はいつも誇りに思ってる。
自慢したくなるような人たちだし、個性的。
人としてすごくかわいらしくて美しい部分もある。
めちゃくちゃ面白くて真剣な話も語り合える。
そういうのがすごく好き。
大好きだと思える人たちが今年も増えていくといいな。
たくさんいなくてもいいけど、増える事は歓迎じゃん。
友達は多い方ではない。でも、マジで最高だと思える人と繋がれてるということが幸せだよ。
お世話になりっぱなしだけど、活動で恩返ししていけたらいいな。
おもしろいことしていきたい。
今年もよろしく。
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