先日から参加型のマイクラ生放送を復活させてる。
一時期はよくやっていたのにやらなくなったのは、単純にめんどくさい事が多すぎるからだ。
それでもなぜ復活させたかというと、検証してみたい事が出来たから。
この一ヶ月くらい一人でガッツリやるマイクラ生放送をやってた。
その時の反応と、参加型の反応、そこに来る人達の属性を比べてみたいと思った。
以前のように参加型のマイクラをやってほしいという声は根強くあった。
俺が一人でやるマイクラに興味を持つ人と、参加型のマイクラを求めている人たちが求めている事というのは全く違う。
その事は分かっていたけど、再開してみて本当に分かりやすすぎた。
ようは、人がやってるのを見るのには興味がないけど自分が参加できるのであれば、興味を持つということ。
オレ個人としてはそれは寂しい。本心はね。
俺に興味はないけど、自分が楽しめる環境を作ってくれるなら行くよ。と言われているのと同じなので。
でもそれが現状なんだなって思った。
You Tubeをやっていると、視聴者の反応というのは本当に分かりやすいのを実感する。
いわゆる常連と呼ばれる人たちでさえ、興味がないゲームをやりだすと顔を出すことさえしなくなる。笑
俺に興味を持っているというより、楽しくゲームが出来る環境を作ってくれる存在という位置づけで俺を見てるってことなんよな。
俺の理想はリアルでの関係性のように、俺という人間と画面を通した先の人間に信頼関係が生まれたり心から楽しめるようになったり助け合えるようになったりするといいなと思ってる。
俺は言葉じゃなくて行動を見てるので、どれだけ持ち上げてくれてもそれは表面上の事だと理解してる。行動を見れば本心を見抜くのって難しくない。
長期的に見れば見るほど、言語とは違う部分で証明されて行く感じ。
もちろん、俺の思考の届かないところに原因があることもあるとは思うけど、さすがに10年以上いろんなコミュニティを運営してきて無数の人たちと関わってきて行動パターンを見てくると分かるよね。
それがいいとか悪いとかじゃなくて、そういう事なんだなと思う。
良くも悪くも、人はほとんどの場合、自分にメリットをもたらしてくれる人の場所に集まるものだ。
当然の事だとも思う。一般的な心理と、自分が望む世界に乖離がある場合、普通の人なら一般的な心理に合わせると思うけど、俺はまだ理想を追求したい。
一部の人でも心で関わってくれているのを感じることがある。
それは、支援してもらったときだ。綺麗事じゃなく身銭を切ってくれた人というのはやはり印象に残る。
勘違いされたくないのは、金を出せば信用する、金を出さないと信用しないということではなくて、支援するという”行動”そのものを見てるわけなんよな。
支援としてお金を出していない人でも人間性を見てこの人はかなりの確率で大丈夫だと思える人もいる。
俺は正直、参加型のマイクラに熱狂する人の気持ちはあまり分かっていない。
だから聞いた事がある。参加型を求めてる人に、どうしてそんなに参加型をやってほしいの?と。
すると、「一人でするのはつまらない、さみしいから。」という答えが来た。
みんな寂しいんだな。
俺は寂しいと思う事が少ないんだと思う。
だから生放送なんて継続していられるんだと思うけど。
寂しいと思うことはあるよ、実際には。でも、しょうがないと割り切ってるとこもあると思う。
以前よく来てくれていた人が来なくなる事だってあるし、関係性が悪くなることもある。
楽しい時間を共に過ごした相手であればあるほど寂しい気持ちにはなる。
でも原因は相手にだけあるわけじゃなくて、俺にある事だってよくあるだろうし
単純に価値観の違いの事だってある。
”寂しいから”という原動力で動くとろくなことにならないのは本当によく知ってるんだ。
嫉妬も寂しさからくるじゃん。
寂しいのに言えなくてこじらせて迷惑な行動に走ったり。
メンヘラとかそうよね。笑
寂しさが原動力となり行動する事って、長期的に見れば本当によくない結果になる事が多い。
参加型のマイクラの根本の部分が寂しさで成り立ってしまっているのであれば、自己中心的な人が集まるのも当然なんよな。
だから俺は参加型のマイクラに苦手意識を持っているのだと思う。
そもそも協調性を持ってマナーを持ってやれるなら楽しいに決まってる。
それは原動力になっているのが寂しさではなく良いものを作りたいとかみんなで楽しみたいということであり”寂しさを埋めたい”ということではないからなんだと思う。
この違いは大きい。
俺は参加型のマイクラを通して、原動力が寂しさを埋める事だった人を、協調性を持つ人になれるように持っていけないかの実験をしてみようと思う。
これは本当に難しい事だというのは分かってる。
初見さんをガンガン入れながらワールドを継続していくと毎回何かしらアクシデントも起こる。
現在、2回やって2回とも家を燃やしたり重要なアイテムを盗まれるみたいな事が起きてる。
本当にしょうもないし、協調性を持ってやる事を一番に考えてワールドを開いていたらうんざりしていたと思う。
今回は、所見さんをワールドに入れ続けるという前提でどこまでやれるのかを考えていこうと思っているのでアクシデントも楽しめるようになりたい。
もちろん、関われないと判断した人はブロックする。
そのへんの対応は今までやってきたので慣れてる。
初見さんを入れずにワールドを形成していくのが安定するには楽なんだけど、寂しいからという原動力を持った所見さんをガンガン受け入れる中で俺自身も成長出来ると思う。
どうにか解決策を考えなければ、そもそも成立しない事だから。
ワールドを継続させるという「安定」と、所見さんを入れ続けるという「不安定」「リスク」は相反するものがある。
これを共存していく面白さを自分の中で持とうと思った。
だから極限までルールは甘く設定し、それでも関われない人はブロックする。
あとは、みんなで成長していけばいいかな。
小学生とか中学生が普通に入ってくる世界でどこまで管理できるんだろ。
やつらマジで理不尽だし逆恨みするからな。笑
中には精神年齢が高い子もいる。ネット上での関わりなので、実年齢は正直どうでもよくて精神年齢が高い、もしくは大人と関われる人を中心にやっていけたらいいと思う。
逆に言えば、大人の中にも一定数精神年齢が低すぎる人がいて、そういう人は実年齢が俺より年上であろうが関われない。
精神年齢が低くてもマナーがあったり配慮出来る人なら構わないんだけどさ。
キッズの言い分は本当にメチャクチャな事が多いので、冷静に対応していく。
どこで何をやっても、”楽しく快適な場所を作る”という事を優先していきたい。
今回の試みでは、所見さんをガンガン入れるという条件を自分に課しているので限界はあるとは思うけど、第2段階で以前作ったオンラインマルチのワールドを厳選メンバーで再開するという流れも踏まえての行動なので、そこまで辿り着けるといいな。
一人でやるマイクラをこっそり見ていてくれた人がコメントくれて、昨日の参加型マイクラに実際に参加するという流れも出来ているので、一人でやるマイクラも無駄ではない。
あれは一部の人が理解してくれたらいい。好き勝手やってるだけなので。
好き勝手やってるのを楽しんでくれる人が一番貴重だと思うので、そういう人は大切にしていきたい。
条件付きのファンというのは本当に脆いものだと知ってる。何かが崩れたら勝手にする失望するよね。
だから、もっと俯瞰で見てくれる人との関係性を大切にしていきたい。
一般的な事と自分の理想を混同せず、一般的な事は理解した上で理想を追い求める。
そのスタイルは変わらない。
本質に近い部分で応援してくれたり理解してくれる人を大切にする。
表面上の関わりに惑わされない。
表面上の関わりで接してくる人に対しては、それなりの対応にはなるのかな。
もともと狭く深く人と関わるほうなので自然にそうなっちゃうと思う。
こだわりを持ってくれる人にこだわりを持つ傾向がある。
返報性の原理ってやつか。
スプラだけで登録者数1500人まで持っていった時と同じような流れをちょっと感じてる。
手応えというか。舵取りが大事だよ。
参加者にゴマするような事はしない。
しっかりと軸を持って楽しめる環境を作っていく。
そうする事が、本当に心ある参加者を大切にする事に繋がるから。
参加する側にも初見さんをガンガン入れ続けるワールドだということを理解してもらった上で参加してもらうようにしてる。
理不尽な行動を取るやつも出てくると思う。やる気なくなるくらいの事をするやつも出てくるかもしれない。
それでも、このワールドでは所見を入れ続ける。
当然、対応は事後ということになるので、被害が出てからの対応になる。
何か被害が出たら全員でリカバリーするようにしよう。
ハプニングさえ楽しめる環境にまで昇華出来るかどうかがこのワールドでの鍵となる。
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