お金がないと公言し続けている身分ではあるのですが、隙きあらば自己投資しています。
仕事で使うより良いシステムやツールが無いかというのはいつも目を光らせているし、最近では自分の理想のレトロな写真の加工を実現出来るような質感を求めています。
良さそうな物には基本的にお金を使って実際に体験してみる事にしています。
ハズレを引くこともありますが、お金を支払って体験しない限りハズレだということすら知る事が出来ません。
なので、現金は失われますが物事は前に進んでいます。
有料、無料問わず色々試してみますが、だからこそ言える事があります。
やはり無料のもののクォリティは総合的に見ると低いということ。
どちらもたくさん使い込んできているからこの違いが分かります。
”できればいい”という考えなら無料のものを寄せ集めてもそこそこの物は作れると思います。
しかし、効率がかなり悪かったりインターフェイスにまで気を配られていなかったり動作が不安定でせっかく作ったものが失われる事さえあります。
お金の使い所に関しては、お金がないからこそ真剣に考えるのですが、節約する事が正義みたいな風潮はちょっと違うと思っています。
そもそも節約をするのが正義という考え方は世の中にお金が回らないので慢性的に不況に陥っていくのが自然な流れになります。
その事以外にも、お金は使わない事がいいのではなくて、何に使うのか、どのように使うのかという事が大事なのだと思います。
消費してなくなってしまうだけの散財と、自己投資して今後も使い続けられるものに使ったり誰かの幸せの為に使うのとでは意味が違ってきます。
お金がなくても積極的にツールやサービスに自己投資していくのは、お金の代わりに価値を得ていけるからです。
お金と価値を正しく交換し続けていけば、現金は失われますが手元に価値が残ります。
場合によっては、この価値で新しい価値を生み出す事も出来ます。
そういうものにお金を使いたいといつも思います。
現金はあらゆるものに変換出来ますが、現金を持っているだけの状態には特に意味はありません。
使って初めて何の価値に変換するのかが決まり、その後に繋がっていきます。
お金がないからお金を使わないという考えは、現状維持の為にはいいのかもしれませんが、変化の速い現代ではそれすら怪しくなってきているように思います。
新しいものに触れ実際に使い、そこから感じる事で次のインスピレーションが生まれる。
それは現金以上の価値だと思っています。
生き金と死に金という言葉がありますが、この事についてはよく考えます。
僕を支援してくださっている方々は、僕に支援してくださる以外にも生き金を使う方なんだろうなぁというのが言動で見て取れます。
基本的に他者の幸せを願っていたり、感謝の気持ちを持っていてお金についてフラットに考えています。
生き金を使っている人達は穏やかな人が多い印象があります。
人は、人が喜んでくれたら嬉しいという感情を持っています。
そして嬉しい感情をくれた人を幸せにしたいという感情も持っています。
この両者の感情が好循環を生み、関係性を深めます。
実際、ピンチを救ってくれた事から関係性が深まっていったことが何度もあります。
支援をしてくれた事がきっかけで仲良くなったり、プラスの感情を自然に交換するようになっていったり。
好きな事をやりたい、活動に専念したいと思った時に、一緒に喜び楽しんでいけて自分ごととして考えてくれる人達の存在が重要になってきます。
もちろん、普段からしっかり活動をしていないと支援される事なんてないだろうし、ある程度形になっていないと難しいと思います。
だからこそ、わかりやすい活動や行動は出来るだけ見せたほうがいいのだなと思いました。
自分が好きな事を活動にしていけば、無理なく基本的な行動量と継続する土台を作れます。
その結果、やりたい事をやっていたら感謝されるという状況になっていきます。
自分一人の力でどうにかしようと思ってしまうと、1日は24時間しかないので働ける時間にも活動出来る時間にも限界があります。
支援の本質は、”時間をもらう”という事だと思っています。
お金というのは多くの場合、働いて得ていきます。誰が働いてもお金は手に入ります。同じ作業を同じクォリティでこなせば基本的には同じ金額は稼げるはずです。
もし、自分と他者との境界線がなかったとしたら。。自分と他者が一つの生命体だと考えるのなら、誰が働いてもいいはずなんですよね。
全員が全員のメリットを考えていった時にフラットに考えるのであれば、特技がない人やお金を稼ぐのが得意な人はお金を稼ぐ事に専念し、活動をするのが得意な人は活動をするのに専念する、その結果、全体がうまく回っていけばそれでいい。
これ、大きい意味でいえば誰もが得意な事に専念出来るという状況を作り出せる可能性を秘めています。自分が苦手な事でも、自分より得意な人が自分の分もやってくれて、逆に相手が苦手な分を自分が得意な事でカバーする。これがコミュニティレベルで実現したなら多くの人が得意で好きな事に専念出来るはず。
俺は正直、お金を稼ぐ事は苦手です。上手ではない。もっとお金を稼ぐ事が得意な人はたくさんいます。
その代わり、コミュニティを管理する事は得意だと思っています。自分が思う表現をするという事も得意と言えるのかな、レトロな表現はまさにそれ。
やりたい事に特化したほうがパフォーマンスは圧倒的にあがります。
コミュニティを自分で管理するのが苦手だけど快適にコミュニケーションを楽しみたいと思っている人が俺に支援してくれて、俺が活動全般に専念するというのは本当にいい事だと思っています。
自分にとって得だとかメリットがあるから言ってるんじゃなくて、あくまでもフラットに考えた結果そうです。
これは自分の例で自分で言うと自分が得したいだけでしょ?となってしまいがちですが、他の人を軸に考えてもやはり全く同じ事が言えます。
もし、俺がお金を稼ぐ事が得意だったとしたら、苦手な事を他の人が活動としてやってくれているならその人を支援した方が自分は仕事だけに専念出来るので効率はいいはずです。
お金を稼ぐのが得意じゃなかったとしても、特にやりたい事がなかったら誰かの活動に乗っかってしまった方が楽しさは倍増すると考えています。
お金を支援するというのは繊細な話ではありますが、自分が誰かの分まで働いて、本来相手が働くはずだった時間をプレゼントして有意義にすごしてもらうという行為なんだと思います。
フリーターと給料がいい会社で働く人とでは1時間あたりの報酬が大きく違います。ということは、時間の価値もお金という尺度で測ってしまうと違うという事になってしまいます。
お金がない人が見ている世界と、お金がある人が見ている世界ではかなり見え方も感じ方も違っていると思います。
お金がない人は自分でその生き方を選んでいる場合も多いので、ほとんどの場合は自業自得だと思います。僕もそうです。
フラットに考えた結果をもっと伝えていきたいけど、どうしても自分に当てはめて伝えてしまうといやらしく見えてしまうので、もっと正確に伝わるといいなと思っています。
俺はお金以外の価値はたくさん持っていると自分では思っているので、支援してくれる人は俺の弱点をカバーしてくれていると思っているので本当にありがたいし嬉しいです。
だから、まっすぐに好意を受けるようにしています。遠慮している場合じゃない。もっともっとやりたい事があるから。
自分が何か表現したり活動をしていく事で楽しんでくれる人が増えるといいなと思っています。一緒に快適に楽しめたり居場所と思えるような場所を作っていけたらいいなという理想は昔からずっと持っています。
自分の事のように活動を応援してくれる人が増えていくと、楽しいこともどんどん増えていく気がしています。
順調な時もそうじゃない時も自分だけは変わらず活動を続けていく事になるので、好きな事に特化して活動を継続していきます。
やりたい事にお金も時間も労力もぶちこんでいきます。
時間をかけて調べまくったり検証していきます。
そのすべての時間が自分にとっての幸せであるような活動の内容にしていきます。
だから、複数の事をやっているように見えると思いますが本質は一つです。
アプローチや見え方が違うだけで、やっている事の本質はどれも同じです。
表現、居場所、コミュニケーション。
動画もグループも写真も文章も、やっている事は全部繋がっています。
もっともっとやりたい事に集中していきます。
来月末はどうなるかわかりませんが、今月は乗り切れそうです。
そして来月は4泊5日で東京に行ってきます。
たくさん撮影してグループやSNSに投稿していこうと思っています。
自分の目で今の東京を見てみんなにも見てもらえるようにしっかり撮影してきます。
一緒に楽しむような気持ちで見てもらえたらなと思っています。
昨日、ほぼ徹夜で色々調べながらレトロな加工の写真も結構作ったのでちょこちょこアップしていきます。
レトロな写真のフォトブックも近々作れたらいいなと考えています。
予定ではスクエアサイズのフォトブックで1ページに1写真でじっくり見れるものがいいかなと思っています。
前回のブログにも書きましたが、レトロな表現のフォトブックと、今まで作ってきているフォトブックは別々の扱いとして作っていこうと思っています。
今までのやつは今までの感じで作り、レトロな方は贅沢にページを使ってちゃんと見てもらえるようにしたいです。
やっていくうちに変わるかも知れませんが今のところそう思っています。
レトロなフォトブックと通常のフォトブックと呼び分けるようにしようかなと考えています。
今まで通り、支援者以外にもフォトブックの内容は見えるようにしようと考えています。
だいぶ話がそれましたが、有料のものと無料の物があるなら極力有料のものを選ぶように考えています。
どれだけお金がなくても、目先のお金の増減よりも本質的な価値を優先したいです。
ピンチのレベルによってはそうも言ってられない状況になる事もありますが、基本的にはそんなふうに考えています。
今、こんなふうに考えられているのも過去に支援してくださったり物資を送ってくださった方々のおかげだなと思います。
文章を書いてもこんなふうに恵まれている事に気付きます。
ご飯を食べても、この幸せは当たり前じゃないな、特別なことだなと感じられます。
お金がなくても心が荒まないのは、心優しい方々が応援してくださって支援してくださって、一人で頑張ってるわけじゃないと思えるからなんだと思います。
お金がなくても幸せ。
いつも、そう思います。あるに越したことはありませんけどね。笑
清貧を貫く気はありません。
チャンスが有れば活動資金を自分の力でも増やしてもっと面白い事をやっていけたらいいなと常に思っています。
でも、幸せの有無はお金の有無とは直接的な関係はないんだなといつも思います。
ご飯と味噌汁だけの質素な食事の日があっても、お腹が満たされて温かい毛布に包まれて眠れる事に心から幸せを感じます。
お腹いっぱい食べられる事自体がすでにこの上ない幸せなのだと感じます。
自由にいつでも自宅でお風呂に入れたり、心を無くさなくて済んでいるこの状況こそが幸せなのだと感じています。
あたたかい気持ちが乗ったお金や物資というのは、そのままプラスの感情を乗せて届く感じがあります。
それを全力で感謝しながら受け取る事が自分に出来る事なのかなと。
せっかく、大切な物を渡そうとしてくれているのに、こちらが遠慮してしまうのは逆に失礼な事もあると思っています。
相手は申し訳なく思わせたいわけではなく、純粋に喜んでほしい、助けになればいいと思ってしてくれているから。
だから、今出来る事は感謝が一番。そして、活動で恩返しをしていく。
そう思うようになりました。
毎日感謝の気持ちを持って暮らせる事が幸せです。心穏やかでいられます。
ありがとうございます。
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