ちょっと前に面白い考え方を知った。俺は過去から未来に進んでいるものだとばかり思い込んでた。でも、必ずしもそういう考えだけではないということ。むしろ、こっちのほうがしっくり来たので書いておく。
時間軸が過去から未来に進んでいるという考え方では、左が過去、右が未来だと考えるならば左から右に向かって進み続けているということになる。
イメージ的には絶対に引き返せない道を左から右に同じペースで歩き続けているイメージが近いか。
未来が過去に向かってきているという考え方では、自分がは”今”という場所から動かずに真正面から未来がこっちに向かって進んでくるという感覚だと思う。
最初に未来が過去に向かって進んでいるという話を聞いた時には全くイメージできずに悔しくて理解出来るように頑張った。
一度ちゃんと理解できれば、なんのことはない、そっちの方が自分の感覚に近いと気付いた。
未来に向かって理想とか夢とかやりたい事を投げまくっておく。すると、やがて未来がこちらに向かってやってくる。その時に、過去に投げた物たちを拾えることもあれば拾えないこともある。
自分が大きな川のど真ん中にある石の上に立っていて、上流に向かって夢や理想というボールを投げる。そのボールはやがて川の流れと共にこちらに向かってやってくる。
川幅があるので自分の位置からは全ては拾えないが、投げていたボールはこちらに向かって流れてきている。
そのボールの事をチャンスと呼ぶのかもしれないね。拾える人と拾えない人がいるし。
せっかく上流にボールを投げても、「この石から万が一落ちたら危ないし。。」とか思って拾えない人もいるだろう。
俺が思うのは、川の流れの速さも人によって違う可能性があるということ。
時間というのは基本的には同じ(厳密には大きな物と小さな物が感じてる長さは違うんだっけ。)だと思うんだけど、成功している人の川の流れは速いように見える。
でも、その石から落ちずに取る意思もあるしリスクも取れるので拾える。
もしくは、成功している人は圧倒的にボールをたくさん投げているか。その両方ということも考えられる。
だから、出来るだけボールは投げるようにしてる。無謀な内容のボールを投げると、マウントを取りたい人達はそこをついてくるだろう。でも、マウントを取ること自体に意味なんて無くて、人にマウントを取ってる暇があるなら一つでもワクワクするボールを上流に投げたほうがいい。
考えてみれば、口に出しておいたから実現したことや気にかけてもらえた事がたくさんある。一人で我慢して負担して活動を続けていけばきっと美徳ではあると思うんだけど、苦しいよ、助けてほしいよと伝えたら複数の人達が助けてくれる現実がやってきた。
叶えたい事は何度でもボールを投げたらいい。口に出さなくても自分の中でたくさんボールを投げれば叶うこともある。最近、レトロな写真を撮影する事にハマっていて、そうしたいと思っていたら徹夜でサイトを作り上げるという現実を引き寄せた。
自分でやってるんだから当たり前じゃんと思われるかもしれないけど、好きな事しか出来ない俺は徹夜で出来る作業なんて限られてるよ。ずっと興味が尽きないからアドレナリンが出て眠気を飛ばしてくれるわけだから。
これは自分の中で何度もレトロな写真で自分が思う理想のテイストを表現したい、見てもらいたいと何度もボールを未来に向かって投げたからだと思うんよな。
お米を送ってもらったりピンチになった時に助けてくれる人が出てきたり、こういうのって本当に奇跡的なことだと思ってる。今、お金は無いけど美味しいご飯を毎日食べられてる。おかずは質素だけれど、徹夜でサイトを作ってみたり好きな事をやれてる。
このサイトもクールでレトロな福山市を表現したいという気持ちから作ったもの。自分の表現を実現すると共に、福山市に興味を持つきっかけを作れるかもしれないし、福山市が好きな人には気に入ってもらえるかもしれない。日常のありふれた光景も切り取り方次第で素敵になるんだと伝えたい。
先々月くらいからかな、ギリギリになるまで好きな事をやると決めて活動してみてる。やりたい活動が複数あるので、一番気が向く事からやってる。それが一番行動量を多くできるし自分も幸せだから。
やりたくない事をやろうとすると、マゴマゴしてしまってなかなか行動が出来ない。それが習慣化している事に気がついたんよ。
ひどいときは一日中やらなきゃ。。と思いながらもほとんど動けない時もあった。
でも、好きな事なら基本的にはパッと動けるんよな。習慣とは恐ろしいもので、そんな自分でさえ好きな事でも動けなくなりつつあったんよ。
自分の心理を分析してみたんだけど、「もっと先にやらないといけない事があるのに好きな事をやるなんてダメなことだ。」というものだった。
正論。ごもっとも。ただ、この考え方だと俺は一生何も出来ない。例えるなら夏休みの宿題をやらないといけないのに気が向かない感じ。
本当は友達とプールに遊びに行きたい、山で秘密基地を作りたいけど宿題を先にやらなきゃ。。でも出来ない。。動けない。。という感じ。
なんのことはない、昔からそうだったんよな。子供のときからそうだった。子供のときはもっとやりたい事に素直だった。隙きあらば親に隠れてファミコンをし、楽しい時間がそこにあるなら門限にも遅れた。
もちろん何度も怒られたけど、今から考えるとあの時間って本当に宝物で、親が寝静まった時にこっそり暗い部屋でファミコンを立ち上げて音量0でやったのは今でも覚えてる。
大人になっても本当は同じなんよ。今しか出来ないことって絶対あって、子供の時には想像出来なかったけど、大人になった自分は子供のときのやりたい事をやってた思い出が宝物になってる。
きっと同じように、おじいさんになった俺の宝物は現在の俺が好き勝手やったときの事だと思うので、常識や他人からの批判を恐れている場合じゃない。
俺が好き勝手やる事を少なからず応援してくれる人は出てくると思う。その理由は、俺が好き勝手やったら福山市の写真を撮影する機会が増え、グループを管理する時間が増え、生放送をする時間が増えていく。もちろんお金も今まで以上に活動に出来るだけぶちこむ。
生活は質素になっていき簡単にピンチに陥ってしまうこともあると思うけど、ギリギリまでやる。グループが快適だと嬉しい人にとってはメリットだし、生放送はそんなに応援してくれてる人多くないと思うけど、一部いつも来てくれる人とコミュニケーションはとれるわな。そして仲間が増えるきっかけに必ずなる。
誰かに活動を応援してもらいたいと思った時に、先に活動をしていなければ当然、応援もしてもらえない。応援の前に活動をしっかり見せる事が必要なんよ。でも一般的な感覚で優先順位をつけるなら仕事量を増やした方がいいというのは分かりきってる。
誰よりも分かっているからこそ、好きな事をやろうとした時に罪悪感が勝って動けなくなってしまうんよな。だから強制的に好きな事をやる!ギリギリになったら全力で取り戻す!とピンチになる覚悟を決めて行動してる。
自分の中で宣言しておく事で、川の上流に好きな事をやるというボールを投げるわけよな。それが現在俺のところに流れ着いてきて俺はそのボールを拾った。
すると、面白い事がたくさん起きてる。優しいメンバーがお米を30キロも送ってくれたり、最近見なかった生放送メンバーと生放送中にコミュニケーションを取れるようになったり徹夜でサイトを作れるようになったり。あと、来月ちょっとおもしろい事が決まりかけてる。ほぼ決まったといってもいいのかな。どういう形であれ報告出来るんじゃないかと思ってる。
未来にボールを投げておくと、面白い話が向こうから来やすくなるんよな。それだけじゃなくて自分自身に許可を出せたから徹夜でサイト作れたし。
これ、何も自分の中で覚悟していなければ絶対に出来ていなかったこと。その割に状況が変わるでもなかったと思うよ。どうせダラダラ状況が変わらないんだったらピンチになったとしても好きな事やっちゃいなよ。そういう考え方。後悔するかもしれないけど、きっとシャレになんね〜!とか叫びながら笑えるんじゃないかなって思ったよ。笑
前回のピンチの時も自分の金のなさにマジで笑えたしな。笑 マジで来月乗り切れる気がしね〜!!!とか思いながらコンビニで支払いして震えた。笑
前回のピンチも周りのみんなの支えがあったから乗り切れた。最終的にはめちゃくちゃいい案件に出会って乗り切れたというのもある。
支えてもらえたのも、いい案件に出会えたのも未来にボールを投げていたから。いい条件の案件と巡り会えなければまずい!と思ってたのでボール投げまくった(案件と出会えるように行動した)。
不安定な時期だからこそ人一倍幸せを感じられる機会が圧倒的に増えるというのも実感してる。出来るだけなりふり構わずに真っ直ぐに好きな事をやりたい。
好きな事と活動は俺の中でイコールなんよ。そうじゃないと継続出来ないし行動も出来ないから。
一人でもやりたい事を活動にしてるので、寝ている時間以外やっていてもストレスにならないんよな。
ストレスになりだしたらやり方を見直す時だと思ってる。
出来るだけ真っ直ぐ未来に向かってボールを投げまくろうと思う。投げても拾えないかもしれないけど、投げなければ拾える可能性は0なので。
過去から未来に進んでいるという考え方では誰もが同じように時間が流れているだけのイメージだけど、未来が過去に向かって流れてくるというイメージでは、俺の中では各自それぞれの川のど真ん中の石の上に立って未来という川の流れを感じてる状態。
そして川の上流にボールを投げて拾うという作業なんだなと実感してる。
あと、気をつけないといけないのは上流に向かってネガティブなボールを投げまくっちゃうと、ネガティブな未来もやってくると思うよ!笑
無意識のうちにネガティブなボールを投げまくる習慣がある人は川を埋め尽くすくらいネガティブなボールが溢れてしまい、拾うとか拾わないとかそういう問題じゃなくなる気がする。
常にネガティブなボールを投げ続けるのでポジティブなボールがどこにあるのか分からなくなり、手探りで拾ってネガティブなボールを拾ってしまう。
そしてその事をまた誰かのせいにしたり自暴自棄になったりしてネガティブなボールを投げてしまう無限ループ。笑
こうして考えると、ネガティブな人にネガティブな事が起き続けるのもよくわかるよね。
そしてポジティブな人にはポジティブな事が起こり続ける。当たり前の事なんよな。
自分がどんなボールを未来に向かって投げているのかを自覚したほうがいいよね。
無意識に投げちゃうこともあるから。それでも必ず自分のもとにやってくる。
こんなブログを書く時間だって、一般的な優先順位に自分を当てはめるなら仕事を先にした方がいいということになる。ごもっとも。
でも、やりたい事をやれない人生なんて俺は求めてないし、好き勝手野良猫のように生きるのが性に合ってるんだろうなと。
誰かに理解されなくてもね。いいんだよ。
自分の思考は自分の行動で確認するようにしてる。自分が一番分かるから。誰かの目には一部しか見えない。でも、自分の目には当然自分の事はすべて映るから。
そんなデコボコな自分でもいいよと思ってくれる人と関わっていくほうがお互いにとって幸せなんだろうなと。
欠陥だらけの人間ですが、いい所もたくさんあると思ってる。ダメダメなとこもいい所もたくさんある、これからもそんな人間でいようと思う。
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