「今そんな事やってる場合じゃないでしょ。」
「優先順位を考えなさい。」
そんなふうに言われ続けて大人になったので、好きな事を先にやろうとすると少なからず心に抵抗感が出てくるようになってしまった。
きっと、社会的には間違ってはいないんだろうし、いいことなんだとは思う。っていうか、無難なんだとは思う。
会社員になるならきっとそれでいいんだ。会社に行きたくない日もあるだろう。でも行かなきゃいけないもんね。契約だもんね。
そっちの道を選ぶ前提で学校教育は構成されていると思うんだ。
友達とは仲良くしましょう。友達をたくさん作りましょう。先生の言う事を聞きましょう。親の言う事を聞きましょう。毎日学校に行きましょう。制服は正しく着用しましょう。ルールに則って学校生活を送りましょう。
正直、うんざりだった。毎日同じ学校に同じ服を着ていって全く興味のない知識を増やし机に縛り付けられて。休憩時間、放課後、給食のためだけに行ってた。友達に会うためだけに行ってた。
それでもいい思い出もたくさん出来たし、青春っぽい事もたくさん出来たので、それは学校のおかげだとは思ってる。俺にとっては勉強しにいくところじゃなくて青春しに行くとこだったよ。
フリーランスになって、どうして自分が学生時代あんなに違和感を感じていたのかよく分かった。答えは簡単で、単純に自分は会社員に向かない人間だったから。
会社員になれなければだめだという考え方は世間が作り出したもので、本来人はどのように生きてもいいはずだ。そのために法律にもあそびを設けている。
会社員にならないと法律違反になるわけじゃないもんね。たくさん選択肢があるはずなのに、見えないように考えないようになってる気がする。
親が自営業者じゃない場合、よっぽど勉強したりアドバイスしてくれる人がいない限り自営業の道に進む人は少ないんじゃないかな。
俺の場合は親は自営業じゃないし、近くにも教えてくれる人はほぼいなかった。自分が頼ろうとしなかったからというのもあると思うけど。それでも漠然と昔から”自由になりたい”と渇望していた。
フリーランスになると、今まで信じていた基準や概念通りにやってたら一瞬で終わると思う。言われるがままやってれば給料がもらえるわけじゃない。会社に行ってそこにいてなんとなく仕事をこなすだけで給料がもらえるわけではない。
具体的に売上を作っていかないと生活さえ出来ない。フリーランスをやっていてよく思うのは、保守的になった瞬間に身動きがとれなくなるということ。
広がりを常に作っておかないと、現状維持をしようとすると尻すぼみになっていくのを感じる。誰も見ていない所で黙々とライターの仕事をしていくと、単純に仕事がなくなった瞬間にフリーランス生活が終わりを迎えると思った。
今の時代を見回してみると、周りを楽しくしている人が反映してる。正直、スキルよりもコミュニケーション能力のほうが重要な時代だと感じてる。人としての魅力の部分を磨いていかないと今の時代は生き残れない。スキルなんて50歩100歩でしょ。とくにウェブライターの仕事って、俺と同じ内容のものは他の人でも書けると思ってる。俺の思想や価値観なんて関係なくてSEOを意識した内容が書ければいいので、それはテクニックであり知識でありスキルだから。
ネットの時代では個人がいくらでも発信できてしまうので、スキルやテクニックで勝負しようとするとあっという間に埋もれてしまうんよな。それでもウェブライターの仕事だけでなんとか食いつないでいた時期が長いので、いい時代だとは思うんだけど。
最近はホワイトボードアニメーションの方の売上がちょっとずつ安定してきてる。伸ばしていきたい。
支援で活動が回っていくようにならないと、いつまで経っても自由に動けない。だからそこを目指すべきなんよ。どうやったらそうなるかというと、当たり前だけど支援しようと思ってもらえるような活動をしないといけない。でも、”支援してもらう事が目的の活動”をしても恐らく支援には繋がらない。大切なのは関係性であって、自分ごとに思ってもらう事なんだと思う。
仲いい人にフリーランスのイメージを聞いてみた事があります。やはり、スタバでMacBook Airを開いてドヤ顔で仕事をしているというイメージがあるようですが、現実はそんなことはありません。
普通です。僕の場合は、家でずっと仕事をしています。気分転換に外にパソコンを持ってやってみることはあります。マクドナルドやカフェだけではなく、椅子とテーブルを持って屋外で仕事をするのも好きです。
印象的だったのは、フリーランスに”優雅”なイメージを持っているということ。恐らく、一般の人はそういうイメージを持っていて、お金もたくさん持っていると思われているよと言われました。
僕の場合は、数年前からできるだけ格好悪い所も見せようと思って出来るだけ出しています。お金はありません。いつも来月大丈夫かなぁ、今月売上少なめだったけど乗り越えられるかなぁ。。なんて思いながらやっています。そんなもんです。
自分の時間と労力とお金はほとんど自分の活動に使ってしまいます。寝ている時間以外ほぼ24時間体勢でグループを管理、対応していますし、ゲーム実況も活動の一部なので、ゲームにも時間を使います。グループの管理もゲーム実況もその他の活動も全部好きな事なので不満はありません。
ただ、僕がお金を持っていると思われると困ります。笑 どちらかというと、支援してやろうと思ってくれる人が増えていくといいなと思っていますし、そうなっていかないとキツイのが現状です。
フリーランスには明確な休日というものは存在しません。休日を作るということはその分相対的に売上が下がるということでもあります。休日に限らず、何かに時間を取るということは仕事に時間が使えないということです。
グループの問題ある人と水面下でメッセージで対応している時にもお金は発生しませんし、問題解決の為に丁寧にアナウンス文を書いてもお金は発生しません。
その時間、仕事をしていれば幾分かのお金になります。給料というものが存在しないフリーランスという実態をもっと理解してもらって、出来ることならもっと頼りたいです。笑
それが素直な思い。一人で肩肘張ってやろうとも思っていません。助けてくれる人がいるなら助けてもらいながらやりたい。支援してくれる人がいるなら心から支援してほしい。
ゲーム実況にもグループにも、もっともっと時間を使いたい。時間を使うには仕事量を減らさないといけない。仕事を減らすと生活を回したり活動するお金がなくなる。だから活動に力を入れる為に支援がほしいなぁって思うわけです。
「自分の活動をするためなんだから自分で働いて稼いでその範囲でやれよ!」と思う人もいると思いますが、想像力が足りてないと思います。
1馬力で全部を回そうとしたら対して回りません。自分が自分のためだけに動くというのは本当に効率が悪いことだと思っています。
活動全体を回すために動いていけば、活動を通して多くの人達が良好な関係を築き、合わない人は早い段階でグループから退会する事になり、快適になります。
僕に支援をするというか、活動に協力するという感じがちかいですかね。
単純に足りていないものを補ってほしいという純粋な思いです。
どうしても、お金というのは特別視されてしまいますが、お金という形での支援じゃなくても、結局生活が出来て活動が回っていくならなんでもいいです。お金が足りてきたら、支援してほしい内容ってきっと変わってくると思います。お金が万能で使いやすいからそれが一番話しが早いかなとは思うけど。
お金を稼ぎやすい環境にいて、多く持っている人が活動の要素として渡してくれれば、俺は自分が持っているスキルや強みを活動を通して活かし、より快適にする、そうしたいという話。
昔に比べてずいぶん、お金についてフラットに話せるようになった。結局、賛同してくれている人達で得意な事を得意な人がやってみんなで回していきたいって事なんよな。意思決定は俺がするからそれでもいいならという事にはなるけど。
結局揉めるのもこういうことじゃん。だから変に権限は譲らないほうがいいと思う。ここ数年、ほぼ何もブレずにやってきてると思う。それが好きかどうかだけの話かな。
俺は自由に理想を求めたい。自分勝手だけど、それを応援してほしい。それが心からの声なんだと思った。
そのために、ありのまま好きな事をやる姿が魅力的であるべきなんだと思ってる。優先順位がどうとか、そんな事考えてたらフリーランスで好きな事なんてやってられないよ。いつまでも生活費の事考えなきゃいけなくなる。
卵が先か鶏が先かっていう話があるけど、まさにそれ。
魅力がなければそもそも支援したいとも思わないでしょ。関係性がなければ支援なんてしてくれないでしょ。
一人で黙々と生活費の為に仕事をしていたら、魅力を発信する事さえ後回しになっちゃう。
だから、先にやるべきことは関係性を構築したり好きな事をやって見せて、好きな事で人と繋がることだよ。
お金は今よりギリギリになってでもそうするべきだよ。
お金を特別視しすぎる事をやめたい。昔からコンプレックスがあってさ。お金を求めることはなんだか悪い事のように感じてしまう。
でも、それでは何も前に進まない。誰にどう思われても不器用でも向き合って真っ直ぐに求めていく。
その結果、賛同してくれる価値観が合う人とは面白い事をやっていけると思うから。
このブログではありのまま文章を書くようにしてるので、文体がゴチャゴチャだな。笑
いいよ。そういうブログだ。
もっと純粋にお金を求めていきたい。その理由は、好きな事をやりたいから。自由でいたいから。活動を通じてメンバーと幸せな時間を過ごしたいから。日常の中でネット上ででも幸せを共有して快適に楽しんでいきたいから。いつも、力を貸してくれる人を求めてる。応援、支援してくれる人を求めてる。
俺は活動を通じてしか恩返し出来ないけど、出来るだけありのままの自分でいく。それで成立する姿が最強だと思うので。応援してくれる人とは距離を縮めていきたい。
あ、最近思うけど、リアクションや反応がいい活動に力を入れていくのは当然の事なので、それは理解してほしい。全部オレのやりたい事なんだったら、需要がある事を優先的にやるのは当然の話しで。
あまりリアクションもしない割にもっと力を入れてほしいと言ってくる人が時々居る。笑 だったら、もっと協力してくれよ。笑 せめてリアクションとかだけでも。必要とされてないのかなと思うことだってあるじゃん。笑 それでも好きな事ならやるけど、好きな事で求められてる事やっちゃうじゃん。
俺は当たり前だけど行動してくれる人の意見はそりゃ優先的に採用するよ。自分の中にないものなら採用出来ないけど、同じくらいやりたい事があったとして、絶えず継続的に応援・支援してくれてる人が求めてくれる事があるならそりゃそっちやるでしょ。
優しい人と接していきたいな。心が優しくなるから。優しい人が生きやすい環境をグループや活動の中で作りたい。俺が守れるのはグループや活動の中だけだもんな。快適に遊んだり活動出来る環境って、実はあんまりなくない?
外部では、価値観が合わない人が無駄にネガティブな言葉を投げかけてきたり意味なく不快にさせられたりするでしょ。そういうの、俺のグループや活動の中ではなくしていきたいし、それが出来ると思ってる。安心して遊んだりコミュニケーションが取れる場所がいい。そういうのが好き。
それを管理・維持するには見えない所でたくさん時間を使っている事も理解してほしい。支援というのは、その時間と労力を理解し労う事だと思ってる。だからいつも涙が出るくらい嬉しいものなんよな。俺は自分を犠牲にしようと思ってないんよ。出来る事ならもっともっと自由でありたいし。
価値観が近い人を大切にする。その次に、支援してくれている人を大切にする。支援してくれるけど価値観がちょっと合わないという人に関しては、対話を重ねる。本当にどうしょうもないくらい合わないなら支援を受け取らなくなる可能性はあるけど、支援してくれている分、向き合う。
普通だったら、そこまで価値観が合わないなら関わらないという選択を迷わずにとる。価値観が合わないけど、何故か活動は好きと言ってくれる人っておるんよなぁ。俺が合わせちゃうと軸がおかしくなるので、もしそういう人がいるなら、共に学んで行ける場を別で作りたいとは考えてる。人と接するのが苦手で、難しくて、どうしたらいいか分からないけど活動やその場が好きだと言う人。
この手のタイプとは何度もやり取りしてきたけど、結局こっちのせいにされて縁が切れる事がほとんど。でも、それがもし継続して支援してくれる人だった場合はどうなんだろう。きっと、そこに時間を取るのはいい選択とは言えないとは思う。でも、その人が成長したいと願うのであれば俺の視点でよければ手助けは出来ると思うんよな〜。
まぁそういう人が出てきたらその時考えるか。
と、ここまで色々書いて、結局こんな事アップするまでもないかなぁ。。なんていつも思う。そして下書きにしたままの長文がたくさんある。別に誰が読んで得するという内容でもないし、なんかめんどくさい内容だよな。笑
まぁ、でもそれも含めて今の俺か。めんどくさいし自己中だしどうしょうもないけど、全部ひっくるめて俺だもんな〜。誰にどう思われるかなんて思いながら生きてられないや。
客観性は持ちながらも、あえて無視する図太さもだいじだよ。限界まで好きな事をやる人でありたいな。ビビりすぎてる。誰に理解されなくとも、やりたいようにやる。好きなようにやる。その先にやっと、初めて見えるものがあると信じてる。
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