そもそも自粛するかどうかって、本来本人が決めることだよね。不謹慎かどうかって、世間が決めるものなのかもしれないけれど、この感覚も人それぞれ。そもそも何で不謹慎かと言われているかの理由も知らずに”そうだそうだ!”と乗っかるやつもいる。
こういうものに対して激しく違和感を感じる。本来、誰もが違った感覚を持っていて価値観も感じ方も全く違うはず。”自粛しないやつはおかしい”みたいな叩き方をよく見かけるけど、大概そういうやつって別に当事者や関係者じゃなくて、ただの暇人である事が多いように思う。
ネット上のコメントを見回すと、リアルとは大きくかけ離れたものになっている。夏休み中のキッズや古い価値観から脱却できない人達や、ただ叩けそうなお手軽なところを叩いて日常のストレスを発散している人達を見かける。
本当合わないなと。ネット上の書き込みも、リアルに近づいていけばいいのにと思う。そもそも「ここにそんな事書いちゃダメでしょ!」と叱らなければならない立場の人間がストレスのはけ口にしてたりするんだろうなと思うと、顔が見えなきゃなんでもありかよって思う。
こうなってくると、当然全ての人達の発言を制する事なんて不可能で、もしリアルとネットの発言が一致する日がくるとしたら、インターネット上での発言に責任を持たないといけないという法律が罰則付きで出来たらという感じか。
インターネットを使うには身分証明書が必要で、マイナンバーと全ての発言が紐づくとかそういう事にならないとパブリックな場所での発言の自主的な制限は望むのは無理だろうな。
だとしたら、同じ価値観や感じ方の人達で閉ざされた場所で関わるということが重要になってくる。
学生時代の仲良しグループで友達の部屋に集まっているようなノリ。それをネット上に作るという発想。オンラインサロンってその要素があると思う。もっと身近にそういう世界観の事をやる人が増えてくるだろうな。
話を戻すけど、自分の正義感を人に押し付けるような不謹慎ムードや自粛ムードは嫌いだ。しかし、圧倒的な数の力で強要されかねない雰囲気をネット上に感じる。だからクローズドな世界で感覚が近い人と”共感”を軸にやっていくのがいい。
今、少しずつそういう場所を自分の中で作ろうと動いてみてる。実験的にとても小さな物も作ってみた。人間関係も、そうやって区切って関わっていかないと、ざっくり全体と関わるみたいな事が難しくなってるように思う。
俺の場合はコミュニティとして人と関わる事が多いので、その場合はゆるく統制が取れているので不快に思う事は少ないけれど、外部を見回すと居心地悪そうだなぁとよく思う。
クローズドなコミュニティを作っていくと、人間性がよろしくない人は当然その中に入る事は出来なくなる。当然、貢献度が高い人や感じ方が似ている人達が中心に来る。”一部の人にとって最高に居心地がいい場所”というのを目指してる。
心地いい人間関係と自分らしく居られる時間。これらは人生においてすごく大切。時代に合わせて自分で確保していかないといけない。
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