本来お金を支払っていた人がお金を受け取るようになっていき、受け取っていた人が支払うようになるという構図を見かけるようになってきた。
しっかりこの辺の事を意識しておかないと、理解できないまま新しい動きについていけず批判しまくって置いてけぼりになると思う。
よく見かけるのは西野亮廣さんのイベント。参加者がお金を支払って準備を手伝うというもの。
お金を支払って準備を手伝わせてもらうっていうのは、古い考え方だとおかしな構図のようにも見えるけど、今の時代は発信する事に価値が生まれているので全然ありえる。
というか、すでにこれは西野亮廣さんのコミュニティの中では結構前から成立していて、当たり前になっている。
当たり前になっているということは、実際にイベントを準備するという権利をお金を出して購入している人がたくさんいるということであり、その概念を理解し行動している人がいるということ。
今までの考え方だと、イベントの準備を手伝うという労働に対して報酬が支払われたりボランティアで手伝う事はあっても、手伝う側がわざわざお金を支払う事なんてなかったので、理解出来ないのも分かる。
発信する事に価値が見出された現在では、イベントを手伝わせてもらうというのは特別なことであり、その特別な経験を発信する権利としてお金を支払う人が増えている。
もちろん、西野亮廣さんと近い距離に行けるという事を求めている人もいると思う。
でも、場合によっては西野亮廣さんが現場にいない事だってあるだろうし、実際にスケジュール的に行けなくて単純に準備だけをするということだってあると思う。
それでもイベントの準備をさせてもらう為にお金を支払っていくのだ。
お金の価値観は本当に変化しているのを感じる。コミュニティのリーダーが楽しみながら自己実現していくストーリーを一緒に楽しむ為にお金を支払っている人も多い。
参加する余白があるということが重要で、全てキッチリ固めて用意されているものには参加できる余地が残っていないので魅力を感じないわけだ。
クォリティの高いものを見せてもらって楽しむのではなく、クォリティはまず置いておいて、楽しみながら一緒に作り出していく、その中でクォリティを上げていくということに価値を見出している人が多いように思う。
クラウドファンディングやオンラインサロンなど、だいぶ一般的になってきたと思うが、それ以前にお金の価値観をしっかり最新の物にしておかないと、そもそも”どうしてそこにお金を支払うのか”ということさえ理解出来ないという状態になってしまうだろう。
価値観の多様化は今後も広がっていくので、ただ理解できないとバッサリ切り捨てるのではなく、”どうしてそうなるんだろう。”と落ち着いて考え、調べ、理解する努力が必要だ。
自分が理解出来ない行動をしている人達にも必ず考えがあり、その感覚が自分とは違うものであろうと、論理的に理解し、”自分とは違うけれど理解は出来る。”という状態を常に作り出しておく事が自分と相手にとって双方の快適さに繋がるだろう。
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