ネットを見回すと、偉い人の受け売りの言葉をドヤ顔で書いて目立とうとしてる人を見かける。そういう人に限って、客観的に見て上手くいってないんだろうなぁって思う。
意識が高いだけで実績が伴っていないから、言葉が薄っぺらいし信憑性がないんだなぁと。
完コピしてんじゃないかっていうレベルまで言葉を覚えていて本もちゃんと読んでいるだろうその人が、どうして上手くいかないかっていうのは俺の中で考えが3つあるので書いておく。
1つ目は、上っ面だけ真似をしようとしているから。実績がある人と実績がない人が同じ言葉を言っても周りの人の反応は全然違うっていうのは考えたら分かるはずなのに、成功している人のように振る舞っているのは周りから見ると、ただただ見るに耐えないだけなんよな。信用を得るどころか失う。
2つ目は、人には属性があり、その属性を無視して違う属性の成功者の人の言葉を信じて実行しても結果が出ないということ。先駆者や革命家のようなタイプで成功する人と、サポートに徹したり縁の下の力持ちとして力を発揮する人では全然使う能力も筋肉も違う。自分の属性をちゃんと感じて、その先にたどり着く人物像が近い成功者を参考にしないといけない。
3つ目は、人間的なレベルによって重要な事柄が違うので、成功者と同じフェーズに立っていないのに参考にしても参考にならない。これ結構気付けない人多いと思う。万物に当てはまる成功法則ってかなり限られてると思うんよ。
人間レベルって、人間力という言葉でも表せると思うけど、子供と大人ではそもそも違うじゃん。子供の世界で有名になる方法と大人の世界で有名になる方法は違う。年齢は同じでも、コミュニケーション能力も違えばスキルを持っているかどうかも違う。
例えば、圧倒的にコミュニケーション能力が低い人が、コミュニケーション能力が高い成功者の成功法則を真似しようとしても、そもそもコミュニケーション能力が低いと人を無駄に不快にさせる機会が多いので、同じ行動をとっても結果が違ってくる。
この人のまずやるべき事は、コミュニケーション能力を磨くことであり、成功法則を実践する前の段階という事になる。これがフェーズが違うことだと考えている。
だから、俺は色々ここに書いたりしてるけど、参考になる人とならない人がかならずいる。ここに書いているのはあくまでも俺に当てはまる話であって、読んでいる人に当てはまるとは限らない。考えてみれば当然の事なんだけど。
俺が”嫌われてもいいから自分の本音を伝えるようにした!”って書いても、他の人にはもしかしたら当てはまらないかもしれない。どうしてそう思うかというと、俺の場合は、極限まで迎合してみた時期があり、その結果どうなるかを実感として知ったから、じゃぁ逆の方法で生きるとどうなるかということをやってみる過程でこの思考に至った。
極限まで人に合わせてみた時期、マイナスの発言をせずにマイナスの思考も極力避けるという時期を経たからこそ、その時期が比較対象になるからいいんよ。
比較対象がなければ、やってみたけど手応えがあるのかないのか分からないということになりかねないし、コミュニケーション能力が低い人がこれをやると救えない状態に陥るかもしれない。
俺はけしてコミュニケーション能力が高いわけではないけれど、ある程度の空気を読む事は出来る。だからこそ、空気を読まないとどうなるのかの実験をしてみているということ。
成功者の言葉を受け売りでドヤ顔で話している人には特徴がある。
- 対して出来ない事でも、「出来る」と言う。そして、実際全く出来ない。
- 資格を取るのが好き。
- 肩書を羅列するのが好き。
- コミュニケーション能力が低く、意図せず人を不快にさせて嫌われる。
- 自分がない。
- 人の意見に流されやすい。
- 経営者など肩書がある人に弱い。
- 空気が読めない。
- 自分を守るために相手を必要以上に責める。
- 自分を大きく見せる。
言い出したらキリがないけど、これがかなりの確率で当てはまる。ようは、実力がないのに金を払えば誰でも取得出来るような資格を取って安心し、それを武器だと思いこんで使おうとする。しかし、実力も実績も無いので自分を大きく見せるがすぐにハリボテだとバレてメチャクチャ嫌われる。
不思議な事に、これを繰り返す傾向にある。そして問題を解決する為にまた資格を取得する。
資格を取得するのが一概に悪いということではなくて、例えばガソリンスタンドで働いている人が危険物の資格を取ったら時給があがったりするよね。あれは時給を上げるという明確な理由があり、具体的に短期間の間に成果が出るので効果的な資格の取得だと思う。
看護師の人とか、介護士の人とか職業のスペシャリストの証明として取るというのはそれも就いている仕事に具体的にすぐにでも反映される信頼になるのでいいんだと思う。
資格がないと仕事が出来ないと思っている人がいるけど、俺はライターとか動画編集とかで食べていってるけどそれ系の資格を取ろうとか思ったことはまったくないよ。
実績があれば話は聞いてもらえるだろうし、実際資格があっても実績がないと厳しいと思うし。成果物をみてもらって気に入ってもらえれば資格なんてなくても仕事出来るしね。
自分がどういう属性なのか、人間レベルはどの程度なのか、正確に把握するのは難しいかもしれないけど、どれだけ正論を言っても偉い人の言葉を完コピしても、相手が見てるのはそこじゃないよ。そんなところで判断していないよ。それを伝えたい。
ネットでちょっと文字で関わるだけでどの程度の人なのか分かる時がある。文章で悪意が伝わってくる事もあるし、言ってる事がメチャクチャだったら相手は感情的になって論理がメチャクチャだなと思う事もある。
昔は相手してたけど、今はもう極力そういう人とは関わらないようにしてる。意味もなく気分を害されるのはすごく苦手。最近はそういう人と関わる事がほとんどないから快適なんだけど、連絡すれば何かしらで言いがかりをつけられて不快な気持ちにされたりする時期あった。思い出したくもないけど。
大切な人達はまた違うんだけどね。関係性が作れてる相手なら、普段のその人を知っているからきっと特別何かあったに違いないって思うし、単純に心配になる。
属性と人間レベルは、その人と関わるかどうかの判断としてすごく大切。属性は価値観による所も多い。他の価値観の存在を理解し、適度な距離をとることが大切。近くにいて快適な人達とやっていきたい。当然だけど。
偉い人の本を読むことよりも、本は参考程度にして実際に行動してそこで何を感じるかを大切にしたほうがいい。誰かにあてはまっても自分には当てはまらない事ってたくさんあるし、そもそも本を書いた時期と読む時期に大きな時間の差があるので、その考えが古くなっている可能性だって十分ある。
自分の感覚を信じながら何度も失敗しながらやっていくのがいいよ。結局、自分の人生を歩くのは自分なんだから。
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