クラウドファンディングというものは自分の人生の中においては比較的最近出来たものなんよな。最初に知ったのは数年前に海外でクラウドファンディングというものが流行ってるらしいというものだった。それから間もなく日本でもクラウドファンディングというものがやってきたが、日本人は助けを求める人に親切な一方、お金に対して嫌悪感を抱いている人が多いのでどうなるのだろうと思って見てた。当時の自分は今ほど自分を貫く事は出来ず、人間関係もバランスを取っていくのがいいと思っていたので、人から嫌われる事も恐かったし自分でクラウドファンディングをやってみたいと思う半面、出来ずにいた。
きっと、当時自分がやってもほとんど集まらなかったんじゃないかな。知り合いだけは多かったけど、お金を支援してくれそうな人の顔を想像すると数える程しかいない。もう一ついえば、俺はクラウドファンディングという形じゃないけど昔からお金を支援してもらう事はあった。自分で稼いだお金はほとんど自分の活動や興味がある事にぶちこんできているので、行動している割に報われていない俺を見て助けてくれたんだと思う。とても優しい人達。
今の俺はどうかというと、繋がっている人間自体は極端に少なくなったけど、人に嫌われる事をほとんど恐れなくなった。自分らしく生きていくと決めているので、嫌われて当然なので。アクションを起こしたり挑戦したり自分らしく生きる人は叩かれる。これはもう当然の事だと認識してる。叩いている人とは価値観が全く違うので、話は平行線。そこの目を気にする事がとても馬鹿らしくなってね。そんな事気にしてるよりも挑戦しまくって結果出した方が説得力あるしね。挑戦している最中は馬鹿にされまくる。この事が納得いかなかった。安全な場所から何も挑戦してないやつに言われたくない。ずっとそう思ってた。
今回支援のお願いをしたのは大きく分けると3回目くらいなのかな。毎回恥をかく覚悟を決めて文章を書いてる。まだ変な冷や汗出る。笑 支援者0人なんてことも可能性的にはあり得るわけじゃん。「ダセwww」「信用ゼロですねwww」なんて、ニコ生風のコメントが脳内を駆け巡る。笑 それを振り払うように出来るだけ丁寧に文章を書く。そして出来上がったのがこの文章。
文章を書き終わったのが深夜0時近くだったように思う。このブログを書いている現在は5時間が経過した。支援のお願いの投稿をした数分後に1件メッセージで思いと共に支援してくれると言ってくれた人がいた。過去に作ったフォトブックも見てくれていて、合計2口支援してくれた。過去に作ったフォトブックは1年間注文しなかったら業者からデータを削除されてしまうので、これもとてもありがたい。その後、支援のお願いの投稿のコメント欄に1件支援してくれるというコメントが入った。その返信をしている時にメッセージで支援すると言ってくれた人がまた現れた。深夜にもかかわらず、1時間以内に3人の方が合計4口分支援してくれたということ。
この勢いは過去にはなかった。とてもありがたい。今回、どうして俺が支援のお願いをしようと思ったかというと、継続的な活動をするには、活動の中で継続的に資金を得ていかなければならないと思ったから。詳しくは支援のお願いの投稿に書いた。
1日で福山周辺を撮影してまわるっていうのは定期的な活動にしていったほうがいいと思った。まず、自分自身が興味があるし記録に残せて情報もグループで発信出来るしフォトブックを作る事でデジタルデータだけじゃなくてアナログとしても残っていく。アナログのフォトブックにしておけば、例え世界中のパソコンがクラッシュしてしまったとしても残り続けるんよな。全て文庫本サイズで作っているので、文庫本サイズの収納に入れたら可愛く保存も出来る。
世の中でクラウドファンディングを成立させている人が無数にいる以上、支援が集まらないというのは誰のせいにも出来ない。自分の未熟さ以外何物でもないと証明された昨今、こうして支援をお願いするのはとても勇気がいる事。なぜなら、自分の信頼のなさを露呈してしまう結果になる事だってあるから。それでもチャレンジするかどうかなんよな。ここで恥をかいたって馬鹿にされたって死ぬわけじゃないから…と覚悟出来たからこうして真っ直ぐに支援のお願いを出来るようになったんだと思う。そういうのってどうしても文章に現れてしまうから。言い訳がましくなったりね。
俺は20代後半から30代前半くらいまでかな、迎合して生きていくのがいいことだと思ってた。角を立てず、人を不快にさせないように何事も丸く収めていくことがいいと思ってた。その結果、なめた人間が周りに残る割合が増えた。笑 もちろん全員じゃない。コミュニティをやってるとこの割合を敏感に感じるようになる。昔は自分に似た感じの人が残ってくれていたはずなのに…なんで自分と全く違う人がこんなにも周りに残ってるのかな…。と思った。答えは簡単で、俺が迎合する事に心地よさを感じる人が残るから。とても自然な事。
本質を見てくれている人はそんな表面上の事じゃなく関わってくれていた。ある時期から、自分らしく生きると決めて迎合するのをやめた。その時、自分からも切ったしきっとガッカリした人もいたんじゃないかな。そして今がある。迎合するのを止め、自分らしく生きると決めた瞬間、一瞬孤独に近い時は来るように思う。厳密には全然孤独じゃないんだけど、色んな思いが駆け巡るし、人間関係も大きく変わっていく。でもこの時期を避けて変化していく事は出来ない。
支援を募る事って、これに似てると思った。支援を募る事自体に嫌悪感を示す人って一定数おるんよな。だから出来るだけ丁寧に説明をしているんだけど、理解できない人もいる。そういう人はこれをきっかけに離れていってしまうかもしれない。「グループは好きだけど支援を募るのはちょっと…。」とか、「こういうのはボランティアでやるべきであってお金を取るのはおかしい。」と思う人もいるかもしれない。この意見に対しては明確に説明が出来るんだけど、「グループは好きだけど支援を募るのはちょっと…。」という意見は言い換えるとグループを無料で利用したいし支援するのはダメだから管理人が働いたお金とプライベートの時間を犠牲にしてやるべき!っていう事なんとな。笑
もちろん、自分の時間とお金を圧倒的に注ぎ込んできた結果だよ。投稿の承認作業なんて24時間体制でやってる。支援をしないというのは自由だと思う。支援をしない人でも全ページ見れるようにグループに投稿してるしね。俺の活動は支援するに値しないと考える人もいるだろうし、金銭的な事情は人それぞれなので全員から支援してもらえるとは思っていない。支援してくれない人を無視するんだったら全ページ公開なんてしないでしょ。自分なりの誠意として全ページ公開してる。
逆に支援を募ったらどうしていけないのかその理由を教えて欲しい。お金を強奪してるわけじゃないんだから。笑 理由を説明したうえで、納得頂けたからは是非よろしくお願いします。という話なので、誰にも迷惑はかけてないと思う。
「こういうのはボランティアでやるべきであってお金を取るのはおかしい。」という意見に関しては、どうしてボランティアでやるべきなのか聞きたい。そもそも活動をするのには費用が必ずかかる。持ち出しはするべきだけど支援は募るべきではないって、自分を犠牲にするべき!って言ってる事と同じなんよな。支援とお金を取るっていうのはまた意味が違う。あくまでも賛同してくれた方から受け取りたいという事。
こういう説明を繰り返していくうちに、最初は反対派だった人も理解してくれるようになると信じてる。世の中には色んな意見があるし、それでいいと思ってる。ただ、俺の活動や俺に関しての事は俺が決めるので、支援を募るのが嫌いな人は合わないなと思う。説明は続けていく。
支援についての認識は日本中が変えていくべきだと俺は思ってる。誰もが挑戦したり困ったりする可能性があるわけじゃん。支援について反対してる人って、いざ自分が支援をお願いしないといけない側になった時最悪の事になるよ。笑
支援と向き合う事は、人と向き合う事だ。活動や俺の考え方に賛同してくれて関係性を構築出来ている人がいればいるほど共感してもらえる。「価値があるのにお金になりにくい活動」をしっかりやっていきたいと考えた時に支援から目を背けるわけにはいかないと思った。
批判や否定を恐れて自分でチマチマ働いてその枠の中で活動をしていく事ももちろん出来るんだと思う。でもそれでは十分な時間が取れないしやりたい活動が全然やれない。批判や否定を恐れずにしっかりと向き合って恥をかいても失敗しても支援をお願いし続けていって説明し続けていって協力的な人達とめちゃくちゃおもしろい未来を作っていきたい。
楽しみながら、重要な事をやったり貢献したりするのがいいと思ってる。フォトブックの数だけ賛同してくれる人達が居てくれると考えたら嬉しくなる。支援してくれた人だけで限定公開のFacebookグループでコミュニケーションを重ねていこうと考えてる。これはすでに前回の支援の時からスタートさせてる。協力的な人達だけで集まったらどんな世界が見れるのだろうとワクワクしてる。
安定して支援してもらえるようになってきたら需要の高い事からなんでもやっていけるようになる。お金を生み出さない事でも求められているならやれるという事になるので、かなり自由度が高くなる。そして自由度が上がっていくと俺から活動に貢献出来る事も一気に増えると思う。仕事に使ってる時間を活動に使えるようになるから。
福山市周辺の活動、ゲーム関係の活動は特に力を入れていきたい。心から楽しめるし、一緒に楽しめるものだから。頻繁に弾丸ツアーやれるようになりたいな。福山市周辺の季節を全部残していけるように。合間に立ち寄った場所が後々「あの時撮影しておいてよかった!」となる気がしてる。偶然性も楽しみながらやっていけたらいいな。今はフォトブックを軸に支援のお礼を考えてるけど、今後違う物も何かしら考えていけたらいいなぁって思ってる。フォトブックは興味ないけど、これなら支援しようかなぁって思ってもらえるような何か。
実際に色々やってみて反応を見て…っていうのを繰り返すのがええわな。また何かあれば報告する。
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