6000人以上メンバーがいるコミュニティを作って管理しているわけですが、毎日のようにメンバーが投稿をしてくれてる。管理人がすべき事とは、投稿をする事ではなくてグループ内の基準と価値観を守る事だと思ってる。そして、メンバーの願いが叶い続けている状態が理想的だと思ってる。
広島県福山市周辺最新情報Facebookグループでは、そのグループ名の通り、福山市周辺の情報を求めてメンバーになってくれている人がほとんど。なので、ここでいう願いを叶えるというのはグループで情報を共有する事なんだけど、オレ一人が情報発信していたら結果は知れてる。レバレッジが効いていないから。
オレ1人が毎日1投稿するより、極端な話6000人のメンバーが月に1投稿するほうが圧倒的に情報が集まるということ。実際はロム専も相当数いるのでそんな事にはならないけど、これは理想だと思ってる。グループメンバーの理想が叶え続けられていれば自然とメンバー数は増えていく。
グループの基準と価値観を守るというのは、”なんでもあり”にしちゃうと個人の日記のような物を投稿したり宣伝しまくる人が出てきて1投稿あたりの平均的な価値が失われてしまうから。毎回気になる情報をアップしてくれるグループと、興味ないどうでもいい個人の日記とか宣伝ばかりのグループ、どっちが価値があるか考えると分かりやすい。
管理人が少しでも嫌われたくないと思ってしまっている場合、例えば常連が調子に乗って個人の日記のような身内ネタをアップした時に「ここにそういうのアップしないでください。」と伝える事が難しくなる。誰かがどうでもいい投稿をした瞬間から、他の人もそんな投稿していいんだ〜って思ってしょうもない自己顕示欲を出してくる。(口悪い。笑)
全く全体の事を考えていないし、そのどうでもいい投稿がグループを殺すという事を想像出来ていない。グループの趣旨にもよるんよな。そういうのが許される趣旨の所もあるかもしれない。趣旨に沿っていればいいんだと思う。
あまりきつくしすぎると投稿するハードルが上がるし、何も決めなければどうでもいい投稿もされてしまう。このバランスを取って状況に応じて変化させていくのが管理人の役目だと思う。小さいコミュニティと大きいコミュニティでは基準もルールも全然違うから。
軸は同じだったとしても、最初のうちはちょっとゆるめのところからスタートした方がいい。じゃないと最初の核が作れないから。しっかりとグループ内の価値観を統一していくことも大切。合わない人を残していくとろくな事にならない。色んな価値観や考えがあっていいとは思うけど、グループの中では統一しておかないと同じ方向に進んでいけない。
不快に感じるポイントも人それぞれなので、価値観が合っていると不快に感じるポイントも揃ってくる。その結果、満足度が高いグループになる。無駄な争いは好まないけど、考えが合わない人とはとことん話して関係を切るかどうかを判断していくべき。不満を持たれながら残ってもらう理由もないしね。
意見を聞かないという事ではなくて、意見は聞くけど参考になる事なら即採用、すぐに反映する。参考にならなければ1ミリも取り入れない。いつも言う事だけど、これが大切かなと思ってる。でも現実にこれをやろうと思うと結構難しいのも知ってる。親切でいってくれる人ばかりだし、常連の言う事だったら取り入れたい気持ちだって出てくる。いつも意見をはねのけていたらあの人は頭が固いなんて陰口を叩かれるかもしれない。
でも、グループを守る為には一貫した価値観が必要なので、そこを譲ってしまった時点で居心地の悪い場所になる事に繋がったり、コアなメンバーの不安にも繋がる。そのグループで提示する価値観のど真ん中にいる人達が不快にならないようにするのがいいと思ってる。その基準は、想像では難しいしどうしてもブレるので、リアルに自分が感じる事を軸に据えるのがいい。人の気持を想像して作るのではなく、リアルに自分の価値観を反映していけば、それに賛同してくれている人だけが残るようになるので、自分もメンバーも心地良い。これが最強だと思う。
だから意見を取り下げてもらう際には極力丁寧に理由も添えるようにしてる。伝える為に時間も労力もかかる。それでも不機嫌になるような人とは関わらない。尊重したい気持ちがあるからこそそうやって丁寧に説明しているのに、それ以上ゴネるのってただ構って欲しいだけの人だと思うので。
自分の考えは曲げたくない、でもグループにはいたいみたいな人時々見かけるけど、無理だよ。笑 自分で作れよ。笑 こっちは時間も労力も圧倒的にかけて積み上げてきてんだよ。笑 一朝一夕で作れてんじゃないんだよ。楽そうに見えるだろうけど、水面下でめんどくさい人とメッセージでやり取りして行き場のない憤りを感じたり、仕事よりも優先してやるときだってある。そういう事を想像出来ない人がそんな発想になるんだと思う。
言わないと分からないこともあるだろうからこうして書いてるけどな。必要であれば本人にもそう言うし。ただ、気持ち的には頑張ってるアピールみたいになるのであまり気乗りはしない。ずっと言わずにやってたしな。
大変な時は大変だとここ数年はここに書いてる。「これで美味しいものでも食べな。」と、ふいに入金してくれる人まで出てきてる。本当に恵まれてる。大変、辛い、ピンチ、そういう事を口に出しても結局やらないといけないので無駄だと思ってたけど、そうやって実際に行動してくれる人が少数でもいてくれるんだなと思うと救われた。
「知らね〜よwww」とか思われそうじゃん。笑 本当に優しい人って存在するんだなって思った。話を聞くと活動に感謝してくれているとの事。そして苦労も想像してくれてた。本当にありがたいし、もっと活動していきたいと心から思える瞬間。
お金の話もしなければ、きっと俺の状況なんて全く分からないだろうから基本的にヤバイ時はヤバイと書くようにしてる。このブログでも散々書いてるけどさ。手が差し伸べられればありがたく受け取るし、そうじゃなければ一人ででも頑張る。活動が止まってしまうのは悲しいけどな。自分ごととして、同じ気持ちでそう思ってくれる人を増やしていきたいな。
コミュニティはメンバーの願いが叶う場所であるべきだとここ数日、心の中に何度も思い浮かぶ。楽遊会とかってまさにそういう感じだったと思う。「何やりたい?」「あれやりたい!」「よし、やろう!」って。下手したら数日後とかその週の週末とかにパッとやったりね。
あの感じいいと思うんよな〜。無理がないというか。あの頃はコミュニティの中に色んな価値観が存在していいと思ってたけど、やはり最終的に合わないメンバーが悪口を言い出して崩壊する感じだったな。笑 「俺のどこが悪いんだろう。」なんていつも考えていたけど、悪いところなんて無数にあるよ。でも、価値観が合う人はそこを重要視してないだけなんよな。価値観が合わない人もコミュニティに入れておくっていうのは、そのメンバーはずっと不快に感じ続けるという事なんよな。
結構この人他のとこじゃ受け入れてもらえないだろうなぁ…っていう人も受け入れてた。笑 もうまるで仏のように。笑 それがいい事だと思ってたし、そうしたかった。居場所を作ってあげたかった。でも、結局そういう人って、どれだけ恵まれても不満を持ち文句を言い出すんよな。だから居場所なくなるんだけど。笑 居場所がない人には居場所がない理由がちゃんとあるんだなってその時に知った。それは俺の問題じゃないし、その人が解決しないといけない問題なので、関わるべきタイミングではないのだと思った。
俺に原因があるのか、相手に原因があるのかというのは判断しないといけない。それは自分のせいとか相手のせいとかっていう次元の話じゃなくて、誰もが心が屈折していて感じ方にクセがあって、そのクセを持っている限り人と上手には関われないという部分があるんよ。伝えて理解出来る人ならいいけど、そういう思考のプロセスを持っていない人には言ってもそもそも伝わらないので関われないと。
その事に気付いてから、なんでも関わればいいわけじゃないんだなって思った。学校のクラスのような感じでやっていければいいと思ったんよ。いろんな人おるじゃん。考え方も様々。でもよく考えたら、クラスの中でいじめ発生しとるよな。笑 歪みは確実に出てくる。だったら、クラスを運営するのではなく、仲良しグループや部活を運営するイメージがいいのではないかと思った。
何を主軸に置くかによっては、人間性よりも知識の方が重要視されるグループなんかもあるかもしれない。大切なのはそこを明確にしておくことだなと。
ここに書いたからといって、すぐにすぐ出来るかどうかは分からないけど、メンバーの願いを叶える事を何かしらやりたいなぁって思い続けてる。なんか表面的な事とか短期的な事ではなくて、コンセプトに組み込むくらいの感じで長期的な視点で何か出来たらいいなって。直感が騒いでるんだよね。
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