こんな事があった。会話の中で、俺が間違っている情報を言ったんよ。普段ほぼ関わり合いがない人が指摘してきた。その人の言い分は100%正しかった。でも、俺はその指摘を歓迎しなかった。理由は、コミュニケーションにおいてその情報の重要性を重要視していなかったから。
誰が間違っているかで言えば、絶対的に俺が間違ってる。なので、普通の人の感覚だとここで話が終わるんだけど、俺は自分の考えを伝えた。きっと、この人は俺が今後も間違った知識を持ち続けないように優しさで言ってくれたんだと思う。でも、俺にとっては気分転換の場所なのでこういう事が続くと気分転換が出来ないと思ったので必要ないと理由も添えて伝えた。
実際、本当に正しい情報を書こうと思えばちゃんと調べてから書けば書けると思うんよ。でも、会話の流れの重要な部分はその情報の整合性ではなく他にあり、その一部の例として書いたつもりだった。なので、主題がその指摘された部分ではなかったので、そこまで情報の正確性について重要視していなかった。
プライベートで何か言ったり書く為に全部調べてから書かないといけないのなら、俺は疲れるので何も書かないよ。別にちゃんと調べれば正しく書ける内容だったので特にそう思った。仕事ならちゃんと調べるべきだと思うけど、日常会話であり伝えたい重要な部分じゃなく、しかも他の人と話しているところに入ってきて指摘してる。
この人が間違っているという事を伝えたいわけじゃないんよ。そこだけはハッキリしておく。間違っているのは俺なんよ。ここもハッキリしておく。笑
ただ、感覚の違いは確実に存在していて、これを放置してしまう事から人間関係のストレスは始まると思ってる。この人にとって大切な事でも、俺にとっては「そこはそんなに重要じゃなかったんだけどなぁ。」という感じ。これはもう感覚の違いとしか言いようがない。ちゃんと調べればちゃんと書けるとは思うけど…っていう。
俺の場合、書く事を仕事にしているので、その部分に関しても心配してくれたり困らないようにと考えてくれたのかもしれないとは思う。ただ、やはりプライベートで楽しんでいるところが息苦しくなってしまうと本当に何も言えなくなるのでよくない。適当にグダグダする場所がなくなるとキツイ。
例えるなら、家の中でもちゃんとしないといけない感じ。ずっときちんとなんて出来ないでしょ。だらける場所は必要だよ。大人の対応をするなら「そうですね。ごめんなさい。教えてくれてありがとう。」で済むし、これなら相手の気分を害する事もない。ただ、次回以降も”親切で”教えてくれることになるだろう。笑
こうして自分で自分の首を締めていくことになる。相手は悪くない。感謝されたらまたやろうと思う。親切でしかない。そうならない為には、相手に「こいつ頭おかしいんじゃね!?」って思われたとしても、理解されないかもしれなくても伝えるしかない。理解されない事を恐れない。最悪、縁が切れたとしても伝える。これで縁が切れたりこじれるようであればそれまででしょ。
言って伝わり、「あ、この人はこういうの求めてないんだ、じゃぁ次からは言わないでおこう。」と思ってくれたならそれでいいじゃん。相手からすれば親切で言ってくれている事なので、言い返すような形になるのは気分が悪いとは思うけど、出来るだけ丁寧に返す事で一度関係が問われ、正常化する。
縁が切れたとしても継続されるとしても、それが本来のあるべき形。この関係性を問う事を繰り返した上で継続していく関係は強くなっていくと思ってる。関係を切りたくて言ってるんじゃない。俺はこういう考えで、ここに関しては譲れないけどそれでも関わりたいですか?ということ。直接言いたくない事を言う時ってそういう事よな。どうでもいい事は譲る。自分にとってはどうでもいい事でも相手にとっては譲れない事だってあるからな。
俺は物事に対して潔癖症(本来の意味の潔癖症は関係ないよ!あくまでも考え方のことね)な考えの人とは関われない。少しでも常識や一般的な考えと違うとすぐに人を叩く人。これ無理ね。関われない。俺自身が一般的な考えとは全然違うから。合わない。だからこそ、どこにどういう違和感を持つのかを伝え続けなければならないと思ってる。時に人とぶつかっても。一般的な考えと違う事を相手に伝えるのは本当に勇気がいる。理解されない可能性が高いから。
それでも案外本心なら伝わる事もあるよ。こうして残っていった関係性って当然価値観が似た人以外は関係が切れていくので同じような感じ方の人が残っていく。これでいいと思ってる。数だけを追い求めるならだめかもしれないけど、繋がっている数だけを増やすのって、ただ混沌とさせるだけだと実感してる。価値観が合わない人と繋がり続ける意味ってなくない?無理に切ろうとしているわけではないけど、こういう考えだと結果的に切れるしそれでいいと思ってる。
これは繋がりを蔑ろにしてるんじゃなくて、むしろ大切にしてると自負してる。なぜなら、嫌いな人の事を考える時間を無くし、大切に思う人達の事を考える時間を増やし、嫌いな人に使う時間を減らし、大切な人達に使う時間を増やす行動だから。ここに対して迷いはない。
たくさんの人と繋がって「人脈増えた〜!」って喜んでる人いるけど、それ人脈じゃないよ。笑 いらないの混じってるよ。笑 そのいらないやつ、足引っ張ってくるよ。笑 繋がりを増やせばいいというものではない。気分を害する原因が増えたり、分かり合えない人も中には含まれているので。
子供の頃、喧嘩しまくりながらも友達が増えていったり深い絆を作れたのは、ぶつかってたからなんだと思う。大人になると衝突を避けるじゃん。一見、いいことのように思うけど、表面上マイルドに接していても影でボロクソ言ってるならそんな関係性いらないでしょ。意味ないし。
子供は違う。気に入らないなら気に入らないと言う。だから合わないやつと関わっていないので似た者同士で繋がって価値観も自然に統一されて快適。大人げないと思われる事もあるかもしれんけど、相手がおかしいとか間違っているということではなく、自分の考えとは合わない、そうは思わないと伝える事は悪いことではないと思う。関係が切れる覚悟を持っているのなら。これは相手を軽んじているとかそういう話でもない。
ぶつかると疲れるよね。本音を相手に伝えるというのはとてもエネルギーのいる事。今回の事でなかなか気分が戻らなくて今これ書いてる。笑 関係ないけど、さっき雷が鳴って勝手に電気がついたんだけどそんな事あるの?笑 半分眠りかけてて目を閉じてたら凄い雷と同時にまぶたの向こうがメチャクチャ明るくなったんよ。ヤバ!家に落ちた!?って思った。笑 あまりにも明るいので目を開けると電気がついてた!
デスクトップの電源は切れていなかったので停電は関係ない。まぁ、電気が関係してる事だからそういう事もあるわな。
いやまぁでもさ、今回の事で俺改めて俺という人間はめんどくさいやつだなぁと客観的に思ったよ。笑 相手には本当申し訳ない。でも、これは言っとかんと今後も続くようであれば書きたい事書けなくなるしな。求めてない事は求めてないと伝えるほうが良い。
優しさで言ってくれてるのに本当申し訳ない!人間関係のストレス0を継続している事を自負してるけど、これでまたストレス0を継続できそうだ。
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