人は本来、ありのまま居て幸せなんだと思う。なのに、人の目を気にするのは”変”だと思われるといじめられたり嫌われたりするからだ。
実際には、人に嫌われても幸せな状態というのは可能で、むしろ誰にも嫌われずに生きるなんて正直無理。
勘違いしがちだけど、嫌われない為には好かれる事をしたらダメなんよ。嫌われないようにするための最善の方法は空気になること。存在を極力なくすしかないんよな。
好かれてたら嫌われないというのはマジで幻想で、憎悪というのは好きが嫌いに反転した産物であり、エネルギー自体は好きも嫌いもそんなに変わらない。
だからストーカーというものが生まれたり愛情が憎悪に変わるんよな。対局にあるものだけど、本質は愛情と憎悪は同じ。
嫌われないようにするという事は、そこにエネルギーを発生させないという事なので、空気になる事が正解という見解。
本当に無数の人達と関わってきて経験から思う事なのでまず間違いないと思ってる。好意を寄せてくれた人がアンチに変わる事も珍しくないからな。笑
最近はそのへん差し引いて人と関わるようにしているので昔に比べショックは少ないけど、マジで気持ち悪い。笑
で、人の目を気にした瞬間から幸せは遠ざかるという件についてなんだけど、人の目を気にする理由は嫌われないようにするためという要素が大きい。
逆に言えば、嫌われる覚悟さえ持ってしまえば同時に愛される覚悟も持つ事になるので、結果的に嫌われる事もあるけどそれ以上に愛される事を実感するんだと思う。
愛情っていうのは、単に恋愛の事だけじゃなくて全体的な話ね。
俺の事を嫌いな人は多分おると思うけど、それでも幸せだよ。嫌われているから幸せじゃないなんて事はないんよな。
本当に不幸なのは、嫌われる事を恐れて自分らしくいられない状態だと思った。
本当の自分を出してそれでも嫌われるなら結構納得いくというか、「そりゃそうだよな。笑」って思える。
本来好かれる人間だとは思っていないので。
自分らしくいることの一番のメリットは、軸がしっかりするという事。無理に人に合わせる必要が最小限になるので一貫できる。
ガチで嫌われまくって自分の周りに一人も人が残らなくても自己責任。それでも発言、行動出来るかってこと。
結構勇気いるよな。俺もビビる事はある。ただ、好かれる前提をマジで捨ててるので結構言えるようになってる。笑
好かれたいと思うのって、作曲する人が「名曲を作りたい」と思うのと同じだと思う。
作ろうと思って作れるものじゃないでしょ。「狙ってる感」でるしな。
そんな事しなくても自然に名曲は生まれるし、名曲を作れたと思っても全否定される事だってある。
人の判断基準なんてそれぞれなのに、そこに合わせるのって馬鹿げてる。もちろん、状況にもよるけどな。人のコミュニティに土足で入っていって好き勝手するのは違うよね。笑
だから俺は人のコミュニティに進んで入っていかない。俺は自分の感覚しかよくわかってないので。
空気読めます的な空気出してるけど、時々圧倒的に空気読めてない時あるし、よくわからない事もある。
所詮俺の空気読めます的な感じは、全て経験則だけだから。あとは人に不快な思いをさせたくないという気持ち。
過去のパターンでこういう時はこういう結果になったっていうのを積み上げていって、心理学も本屋さんで学べるレベルだけど色々見てみて総合的に考えているだけなので、本来は全く空気を読めない人間。
そんな人間に何故か人が寄ってきてくれるのはきっと、俺が俺らしくいる事で、集まってきてくれる人達の価値観を代弁しているからなんじゃないかと思ってる。
いつも一人ぼっちになりそうでならないんよな。先の事は分からないけど。絶対理解してくれる人が一人はいた。本当不思議ね。
金が無い時も仕事が無い時も、何もかも上手くいかない時も、何がどうなっても誰かしら理解してくれて支えてくれた。
今、再び不安定な時期に差し掛かりちょっとビクビクしてるけどとにかくやるしかないよな。
金に余裕作りたいな〜。そこクリア出来たら本当やりたい放題なんだけど。
あ、もう一つ気付いた事がある。俺はフリーランスになりたいと思ってたから奇跡が起きた。自分でも行動したけど、周りの人が奇跡を起こしてくれたと思ってる。
これ、願っていなければ絶対俺今でも雇われてると思うんよ。会社員時代に独立やフリーランスになるって想像出来なかったけど、それでも願い続けて行動し続けた。
周りにそんなやつがいなかったし、親も経営者ではないので、本当今フリーランスで生活できてるのは奇跡的。
望んだから叶った。望んでなかったらこの方向にさえ進んでない。
この事をすごく思ったんよ。きっと、お金もそうなんだと思う。真っ直ぐに欲しいと思い考え続けないといけないんだろうなって。じゃないと集まるわけないよな。笑
堂々とお金が欲しい、どうしたらいいかなぁ。っていつも考え行動し発言し続けるのがいいと思った。
一般的にはお金の話をすると敬遠されるだろうし、お金がないなんて言うと人は離れていくかもしれないけど、これも自分の人生を使った実験だと思ってる。本当に一人ぼっちになったら、こんな発言と行動をしてたら人はいなくなるんだなぁって思って行動を変えればいい。笑
ここ数年お金がない!ピンチ!ヤバイ!なんて言い続けて見てるけど、どうやら助っ人が現れる事はあってもお金の有無だけで判断されてない感じあるよ〜。
ピンチ!って叫んでたら仲良くなった人もおるしな。笑
ピンチなのにピンチって言えない状況が一番のピンチだと思うし、常日頃からお金が無い時には無いと言ってたらそもそもお金が無いと関わらないという人は全員遠ざかっていって最適化されるよな。
だからお金が無い事によって人が離れていくというのは俺との関係性の中では皆無なんじゃないかと思う。
フリーランスとしてはとてもやりにくいけどな。笑 金がある時も無い時も、それは一時の状態であり、お金は流れていくものなんよ。その状態だけで人を判断してたらころころ付き合い変わっちゃうでしょ。そんな人間関係ならそもそもいらんて。
ほんまの友達はそんな事でいちいち関係変わらんしな。笑 多くの人達の顔色を伺えば伺うほど、窮屈になっていくよ。
本来の自分でも関わってくれる人が世界に一人くらいはおるもんだよ。
自分らしくいて少数の人達と過ごすか、たくさんの人と関われるけどお金がなくなったり人間性を疑われる度にゴッソリ人が去るのを経験するかって、俺は前者だと思った。性格的にな。人に合わせ続けるのって無理よ。笑
いい時期に人が集まってくるのは当たり前。それは関係の数にカウントしてない。本当にヤバイ時期に助けてくれたり一緒に居てくれた人こそ本物。だからずっと覚えてる。
人が集まる場所に人が集まるのは当然だし、人が去り始めると去る人が加速する。これも当たり前。その流れに身を任せる人達は浮遊票みたいなものなので、正直関係ない。そこを意識しすぎると自分らしくはいられなくなるのでね。
色々あるけど、一つ一つの物事に自分なりの答えを経験から導き出し、同じような出来事が起きたら過去の経験を踏まえて考え、その結果からまた再考する。人生はその繰り返しなんよな。失敗も成功も、どちらもただの一つの結果にしかすぎなくて、物事に善悪はないので自分が望んでいる結果を狙って出せるかどうか。だから失敗をする事を必要以上に恐れるのは馬鹿らしい。失敗も成功も同じなんよ。上手く説明出来ないけど。行動した、その結果の事象。何を求めるかはあるけど、良し悪しを判断しているのは自分。
心が楽になる考え方なら任せてくれ。笑 野良猫のように生きるフリーランスを目指しているので、ありのまま感を出しながら生きてたい。猫ちゃんがお手本。
寒空の下で震えてしまったり、お腹が空いてしまう時もあるかもしれないけど、野良猫に餌をあげる人がいるように助けてくれる人も現れるかもしれない。笑
野良猫のように、助けてくれる人が現れなくても耐え忍び自分らしく生きる。だからこそ助けてくれたり優しくしてもらえた時の幸福度は安定した生活を送っている人達の何倍もあると思う。
いつも感謝の気持ちが溢れてる。こうしていられる事に感謝。ありがとう。
この記事へのコメントはありません。