あまり自分自身スピリチュアル寄りの事は言わないようにしてるんだけど、龍の存在というのを実感しているのは大きいので2回なので書いておく。
もともとスピリチュアル的な事はさほど信じていなくて、自分が実感した事しか信じないというのはいつものように前置きとして書いておく。
今年のはじめか去年の終わりか、1日の間に2回「龍」が気になった日があったんよ。テレビかネットの動画で見たんだったかな。で、ちょっと頭の中にあって、普段行かないのにたまたまツタヤに行ってたまたま気になった本が龍に関するものだった。普段全く龍について気にもとめてない感じだったんだけどね。
で、書いてある事に結構共感したというか納得できる部分があったり、龍という存在はキュートな面があるなぁって思った。帰りの信号待ちでバイクに乗りながら、本に書いてあったように「頑張りますので後押しをよろしくお願いします。」とお願いしてみた。これで何か変化があったなら信じてみようなんて軽い気持ちで。
それから1ヶ月も経たないうちに今年最初のフィーバーよ。去年の9月くらいから続くピンチがそのタイミングでほぼ終わった。今年のはじめから2月半ばくらいまで凄まじかった。色んな良い事が重なって、この1ヶ月でピンチが去った。
こんな事ある?タイミング良すぎなんよな〜。で、まるで役目を終えたように状況が収束しつつ、望む事と望まない事が繰り返されるようになってきた。毎日ころころと状況が変わる。なんだこれ…って思いながら過ごしてた。ちょっと先行き不安だなぁ…と思ってて、昨日深夜に食料品を買いに行こうかなぁどうしようかなぁ…って思ってたらちょうどバイクのガソリンがなくなってきた。
あ、出る前にホワイトボードアニメーションの仕事1件決まったんか。だから軽くお祝いにと思って食料品買いに出たんだ。ホワイトボードアニメーションについての問い合わせが全部で2件来てたんよ。具体的な相談もらってて、その中の1件が決まった感じ。
時間は深夜1時頃だったので、行きつけのガソスタまで行くんだったらツタヤに行こうと思ってツタヤに行った。一通りめぼしい本が無いか見たけど、特になかったのであれから気になってた龍についての本をまた見てみる事にした。前と同じ本の近くに、違う人が書いた龍の本があったのでそっちも見てみた。
やはり、その人も龍という存在を少しコミカルに書いていた。今回面白いなと思ったのは、龍にも分からない事があること、人間のように個性や性格があること。ダメな龍もいるということ。内容的にスピリチュアル的な表現が多かったので、俺の場合あまり多すぎるとまっすぐ話が入ってこないのでその辺差し引きながら読んだ。
帰りのバイクで、また信号のとこで「龍さん、いつもありがとうございます。頑張りますのでまた後押しよろしくお願いします。」と心の中で言ってみた。で、帰宅して仕事して朝起きてみたら別件でホワイトボードアニメーションの依頼がもう一件来てたっていう。笑
こんな偶然ある?笑 いや、あるかもしれんけど、龍は本当にいるよと教えてもらってる気がしてね。不思議な話だけど。人間が理解出来ない領域っていうのは無いほうがおかしいと思ってる。それが一般的に言われるスピリチュアルというものかどうかは別として、もっとフラットで作られていない存在として俺は受け止めてる。
形が一般的な龍かどうかはわかんないし、それが神様と呼ばれるようなものなのかもわからないけど、本に書かれていたような体験をした人が複数いて、自分も2回も偶然とは思えないような出来事があったなら、龍と呼ばれる存在はいるのではないかと信じてみようと思った。
信じたからって損する事は無いしな。笑 結局自業自得で、行動しない人は後押しもしてもらえないと思うしな。笑 だからどこまでいっても絶対なんてないんだけど、夢があるというか自分の中のモチベーションとしての一つとしていいなと思って。
今も毎日眠る時と、出来れば朝起きた時も思いつく限りのものに感謝するようにしてる。笑 これも意味あるんかわかんないけど、自然と思いついて習慣になってる。自分が心地良いからやる。意味がなくったっていい。やりたいからやる。感謝の気持ちを持つという事は、結局自分自身の幸せに繋がってると思うからな。人の顔色を伺ってとか、体面を気にしてとかじゃない純粋な気持ち。だからいい。他人に信じてもらう必要がない。だから純粋。
心の中の出来事なので、絶対に人から見つけてもらえる可能性なんてないこと。誰かに見つけてもらう事を目的としてやっていたら、少なからず邪心が入ってしまうからな。俺が幸福度が高いと自称しているのは、きっと感謝の気持ちが大きいからなんだと思ってる。
もう何年も会ってない人に対して、ふとおもいだした時に「あの時はありがとう。」なんて、今でも心の中で思ったりするからな。笑 ヤベ〜やつよな。笑 でもええんよ。その方が気持ちいいので、心の中で思うようにしてる。変な執着の仕方はしないから安心してくれ!笑
偽善っぽくなるからこれもあまり言わないようにしてるんだけど、人が幸せそうにしているのを見るのが凄く好き。だから猫ちゃんが好きなんだと思う。いつも自分らしく快適な姿を見せてくれるから。お腹いっぱいで眠い時には寝て、そんな姿が可愛らしいから。これは人に対しても同じ。楽しそうに笑っていたり満たされている人を見るのはすごく好き。
だから金持ちの人に妬みの気持ちがない。たくさん努力されて実って幸せそうだな、すごいな、カッコいいなとは思うけどさ。自分とその人を比較して自分なんか…みたいなことにはならない。笑 その人はその人の人生があって、俺は俺の人生。比較するものではない。人の成功は素直に称賛するのがいい。
コミュニティをずっとやってきてるのも、楽しそうにしてたり幸せそうにしてる所を見れるから継続できたんだと思う。いいことばかりじゃないからな。笑 めんどくさい事も起こるし、それでもやろうって思えたのは幸せそうな姿を見たいからなんだなって。
俺にはいいとこも悪いとこもある!いい人だと思われないように気をつけてる。(誰も思ってないよ!笑)
本当の自分が出せなくなると良くないからな。へんてこなとこも極力出していく。
誰が望まなくても、本来の自分をいつでも出せる状態をキープしながらいいとこもいっぱい出していく!
龍さんの話もそうだけど、スピリチュアル的な話は自分が信じられる領域だけを信じればいいと思ってる。無理に人の解釈を全部理解する必要はない。そもそも、スピリチュアルという領域があるとして、その形が一つしかないというのは逆におかしいと俺は思ってるので。誰かが見ているその領域が自分と同じとは限らないでしょ。
平行世界が影響しているのであれば、影響を与えている平行世界だって無数にあるはずだしな。ありが人間という存在を見えていても意識出来ないように、人間よりも大きな存在がいてもおかしくない。見えていても認識出来ないもの。
例えば、宇宙というもの自体がとんでもなく大きな生物の細胞の一つで、俺達が住んでる地球派その細胞の中のとんでもなく小さな要素でしかなかったとしたら、その大きな生物の一部を俺達は常に見ているはずだけどそれが大きな生物だとは認識出来ない。そもそも概念がないので。
アリから見て人間がそうだとしたら、人間から見て同じような存在が宇宙に一つもないという方が無理がある。どんだけ人間特別視してんだよって話じゃん。笑 アリから見れば人間は大きいけど、宇宙から見れば人間なんて見えないくらい小さい。
だからこの縮尺に意味なんてほとんどないんだよ。どこまでも大きいものは存在しているし、どこまでも小さいものも存在してる。そんな中で俺達は日々、目先の事に一喜一憂しとんよな。笑 大きな存在からすればマジでどうでもいいだろうな。笑
何が存在していてもおかしくない世の中。龍といわれている存在が存在していても全く変じゃない。好き勝手、好きなものを信じればええんよな。笑
いつも心の中は自由でありたい。龍さんのキュートな面は好き。あと、想像以上に人間のような面があるのだとしたら更に好きになる。
ペットのような存在だと書いてる人もいるくらいだからな。
型にはまらず一般論は完全に無視して自分の感じる事を大切にこれからもいこ〜っと。
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