何が自分の軸にあるのかをしっかりと捉えんといけんよな。自分ではやりたいことだと思いこんでいても、そうじゃないものも混じっていることはよくある。
毎日毎日考え続ける。本当の自分、本当は何をやりたいのか。その度に純度が上がっていく。自分のいいところ、ダメだと思っているところ、全て一旦受け入れて話はそこからなんよな。
劣等感からくる行動は、鼻についたり無駄に人を不快にさせる。妙に言い訳がましくなったり意味が分からない言動に繋がる。
例えば、出来ると言い切っているのにいざやらせてみたら全然できずに、その事によってみんなに迷惑をかけたりとか。客観視出来ていないのか、もしくは出来ないと言うと馬鹿にされるとか下に見られると思うのか。
とにかく、一般的に出来ると言えるレベルじゃないのに出来るといい切る。もちろん、その後努力してある程度上達して、出来ると言った時点では出来なくとも、期日には出来るようになってるのであればいいのかもしれない。
不思議なのは、大した努力をした形跡がないということ。この手のタイプは一定数いる。これは嫌われるというより信用を失う人。
嫌われる事と信用を失う事って似てるけど違うと思うんよな。
嫌われるという事は一部の人には嫌われるけど、合う人には嫌われた度合い以上に好かれる感じがある。
単純に信用を失ってるのって、嫌いな人からは更に嫌われるだろうし、本来合う人からも軽蔑される。
自分自身を一旦全て受け入れるということは、自分の未熟なところもいいところも自分で感じるということだと思う。その上で、譲れない部分は常識と違っても譲らないのがいいと思う。
等身大の自分でいると信用を失ってしまう人と、等身大の自分でいると今までの頑張っていた自分より好かれるようになる人の違いはそこだと思った。
ちょっと前にも似たようなこと書いたね。
無理せず生きているはずなのに上手くいかない人はここを気をつけたらいいと思う。
思考を言語化するのって難しいね。脳内では感覚で考えているから。人に説明をするのって難しいけど、このブログは思考日記なので、素直にその時思っていることを書いていく。
最近、人を応援することを考えてる。昔は積極的に誰でも応援していたんだけど、時間が圧倒的に足りなくなってしまう。だから、応援してはいけない人を具体的に決めて応援する人の優先順位を考えたらいいのかなと思った。
応援してはいけない人の特徴は、感謝の気持ちがない、簡単に手伝ってくれた人を陥れる、人の時間や労力をなんとも思ってない、信用に値しない人というところか。
応援すべき人というのは、現在有名かどうかは関係ないと思ってる。感謝の心が強く、情に厚い人だね。
有名人かどうかで判断するのは勿体無い事だと思ってる。誰もが最初は名も知らない存在だったわけだ。その状態から応援するのが1番いい。ただし、有名になったら応援してくれた人をなんとも思わなくなる人は応援してはダメだ。判別するのは難しいけどね。
応援する側の言い分として、「あの人は変わった…。」みたいなのあると思うんだけど、それもちゃんと考えんといけんと思う。人の価値観というのは変化していくもの。情に厚いかどうかと、価値観の変化は関係ないので、そこを履き違えている人をよく見かける。
価値観が変化したらいけないのであれば10代の男を応援したらその男は40代になっても同じ考えをしていないといけないということになる。そんなの無理でしょ。考えたら分かる。
それなのに、「あの人は変わった…。」みたいなことを言う人がいる。どうかと思う。
等身大で生きるということは、過去の自分自身の考えに今の自分自身が縛り付けられたらいけないということでもあるよ。過去の自分自身の発言に自分自身が苦しめられたり動きを封じられるって馬鹿げてる。
人は様々な経験を日々してるんだ。チャレンジしてない人間の価値観でチャレンジしている人間を測ったらいけない。行動しないやつは経験値が貯まっていかないから価値観の変化も少ない。
行動しまくってるやつはその過程でたくさん失敗してたくさん成功してその都度価値観を最適化していくので気がついたら何も経験していない頃とかなり価値観が変わってるなんてことはよくある。
ファンはそこまで愛すべきだと俺は思う。そして自分を軸に生きる人間は、今書いたようなことを常日頃から発信しておくべきだと思う。常に今の考えを書き続ける事によって、「いきなりあの人は変わった」みたいなことを防げるんじゃないかと思う。
きっと賛同されないだろうなという考えも中にはあるだろう。でも、出来るだけ出した方がいい。合わないと思った人は早めに立ち去らせた方がいい。まとまるとめんどくさい。
その作業を怠ると、どこかの時点でファンがアンチとなり結託する事も考えられる。だからどうって話でもないんだけどね。めんどくさいだけで。
自分の理解力のなさを人のせいにして大して調べずに批判する人ってメチャクチャおるんよな。ということは、表面上だけ見てファンぶってる人もいる。
そういう人は簡単にアンチになったりファンになったりを繰り返す。自分の軸がないってことだね。
等身大の自分でいることを心がけ、出来るだけ相手の等身大を見抜き、表面ではなく深い部分を見て関わっていけたらいいとずっと思ってる。表面上のことなんて、摩擦を減らすことくらいしか機能してないじゃん。
他人との接触には便利だけど。無駄に不快にさせたいとも思わないしね。ただ、相手を不快にさせたとしても自分の芯を貫くくらいの覚悟がある人じゃないと信用って積み上げにくいと思ったんよ。
嫌われることを恐れない人が好かれて信用され、嫌われることを恐れている人が嫌われ信用を失っていく。このイメージが見えたから今回書こうと思った。
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