朝目覚まし時計をかけないでいいようにいつも仕事のスタートのタイミングを調整して寝るようにしてる。納期が毎日あるので、予め早く終わらせるだけなんだけど。自由であるという事はその制約の上に成り立ってる。
最近幸せを感じる事が多いので書いておく。夜寝る時や朝起きてすぐに外の匂いを嗅ぐだけですごく幸せを感じる。何日間も家にこもって仕事を続ける事が多かったから外の空気を吸うだけで幸せが溢れるようになってる。
ここから分かるのは、不便だからこそ幸せを感じられるようになるということ。不便だから不便を解消したり欲求を満たそうとしてしまうし、きっとこれからもそうしてしまうんだけど今質素な食事を繰り返している中で差し入れてもらったマクドナルドのハンバーガーがとても美味しく感じた事を思い出した。
自分で当たり前のように買える状況だったら、嬉しいけどそこまでじゃないんだと思うんよ。節約して質素な食事にしているからこそ「染みる」ものがある。制約があるからこそ幸せを感じられるのだと。正確には、制約がなくても幸せは感じられるがより深く感じられるということ。
昔から悟りを開く為に苦行をする方がいるが、ここに通じているのかもしれない。困難な状況というのは一つひとつの事に涙が出るほど幸せを感じやすくなるものなんよな。人の優しさや無条件の愛など。
幸せを感じるコツはあえて不便な状況に身をおいてみることなのかもしれない。今の俺の状況は一般的にはもしかしたら恵まれていないと感じる人もいるかもしれない。客観的に状況だけ見ると現在はいいが、1ヶ月前なんて本当に絶望的だった。
その中でも小さな面白いことや幸せを見つけながら厳しい現状自体にも時々笑えてた。「どんだけ金ないんだよ。笑」とか、「中学生でももっと財布にお金入っとるぞ。笑」なんて支払った後の財布の中を眺めながら自分にツッコんで自然に笑えた。
今回のピンチはいくつかの事が重なっていて、クライアントの報酬の支払いがストップしたことと2ヶ月連続でいつもより出費が多かった事がヤバかった。もちろんいつも笑えてたわけじゃなくて、深刻にどうするんだよって考える日もたくさんあった。
けど、結局動くしかないのでとにかくクライアントを見つけまくって1ヶ月で10以上の取引先を見つけ1ヶ月半で体勢を立て直した。現在は一応2つのクライアントで生活を回せるようになっていて、このメインの2つのクライアントのどちらから契約が切れてもおそらく生活は成り立つだろうというところまで立て直せた。
どちらもちゃんと支払いを行ってくれたのでおそらく大丈夫。しかし、フリーランスというのは外注扱いなので、いつ先方の都合で切られるかなんてわかったものじゃない。もう一つくらいちゃんとクライアント見つけておきたいとは思うが、今はもっと安定した状況にする為に動いてる。
この1ヶ月半の行動量は過去10年の中でもなかなかだったと思う。10以上のクライアントと取引をしたということは、少なからず同時にかなりの数の仕事をやっていて、どれも初見の仕事でレギュレーションも違うし正直頭の処理能力が追いつかない一歩手前だった。どれだけ大変だったかというのは2ヶ月で10キロ体重が落ちた事を見てもらえば分かると思う。俺の意思の力では絶対2ヶ月で10キロ落とせない。笑
困難な状況の時も安定している時も幸せを見つけながらいこう。朝起きた時に脳がじんわりして幸せだと感じられるような。天気がいいだけで嬉しくなるような。今困難な状況の中にいてもそういう心境になれていることが嬉しくて。
本当に状況的に諦めてたら終わってた。無理だと思ってたら今回は本当に危なかった。当たり前のように毎月仕事があって、当たり前のように生活をしていると忘れてしまうけど、お金を払えなければ今の生活なんてあっという間に破綻するんだよ。
ヤバイ!と思っても仕事をして報酬を受け取るまでにはタイムラグがあるので仕事はあっても破綻するということはある。企業が黒字倒産するというのはそういうことなんよな。今回思ったのはヤバイと思った時にヤバイと言える環境を常に作っておいて、いざという時には力を貸してもらえるような人間関係を構築しておかないといけないということ。
そのためには、自分が人に先に力を貸したり役に立ったりしておくほうがいい。「この人が困ってるんだったら助けるよ。」と、思ってもらえるような人になっておかないといけない。かといって、崇高な人になればいいとは思っていない。ありのままの自分で出来る事はあるよ。自分が自分じゃなくなったら自分を生きる意味ないしな。
関係性を考慮して出せる自分のレベルを変化させていく。自分の中にしっかりと本当の自分を存在させながら。ダメなところも出せるところまで出す。俺に足りないのはそこだ。これは人によって違うんよな。ダメなところが原因でガチで人が寄り付かなくなってしまってる人もおるからな。笑
そういう人を見てきたから俺もそうなるんじゃないかと思って恐かったけど、数年間出してみてむしろ良かった。交われない人も当然でてきたが、そもそもそういう人は関わったとしても合わないと思うのでこれでいい。後悔は1ミリもない。
一部の人との距離感が縮まったことが何よりうれしいしな。持っている距離感の数字が10だとして2人の人と関わるなら5と5に振り分けるんじゃなくて8と2とか7と3とかのほうがいいってこと。10と0でも構わないしもちろん9と1でもいいってこと。
この数字の割り振りを価値観の相性で決めていけばいいってことだ。以前の自分は出来るだけ5に割り振ろうと頑張ってた。合わないと思っても関わる努力をした。その結果、その相手から陰口言われてた。笑 何の時間だよと。笑 感謝される事はあれど、お前に陰口言われる筋合いはゼロだよ!ってマジで思った。笑
俺はそういう人にも居場所を作ってあげたかったんだけど、無理だね。あれは無理。俺の視点から言わせてもらえばそりゃ人離れていくわ。っていう。それからそういう人達とは極力関わらないようにして数年経ち、今人間関係の悩み0。
関わる段階にない人たちっているんよ。もっと人間レベルを高めてから来いよっていう。価値観がどうこうの話じゃない。人間的なレベルが低い。笑 俺も誰かにそう思われてるんだろうけどさ。笑 価値観を横の広がりとして捉えると、人間的なレベルは縦の広がり。人間レベルと価値観が両方合ったら相性がいいと思えるんだと思う。
この人間的なレベルってなんなんだろうと考えたことあるんだけど、やはり成熟度合いなのかなと。子供ってまだ成熟してないじゃん。でも、中には大人みたいな内面を持っている子もおる。逆に大人でもマジでしょうもね〜なこいつっていうやつおるじゃん。だから年齢ってそんなに関係ないんよ。
それをまとめて人間的なレベル、人間レベルだと自分の中では思ってる。これ不思議なもので、ある程度の人間レベルを持っていないと感じる事も出来ないみたい。そういえば子供の時に人間レベルみたいなことってあまり考えてなかった。
中学生くらいの時からかな、先生とか大人の理不尽さとかに気付き始めて色んな視点で考えるけどやっぱり理不尽よな〜って。でもまともな大人もおるし。というわけで、人間的なレベルという概念にたどり着いたと。
人間的なレベルが高ければ高いほど相手と話しただけで相手の価値観と人間レベルを正確に把握することが出来る。そして同じレベル同士の人って口に出さなくてもこの概念を持っていてお互いをリスペクトし合う傾向にある。
だから一定以上のレベルの人と関わるのがいい。そういう意味でまだ関わる段階にない人って存在してるんよな。本来争いにならなくていいところで争わないといけなくなったり、論理的に考えれば疑問に思わなくていいような事を疑問に思うので話が進まない。
価値観の違いとかじゃなくて、単純に1足す1は2になるよね?っていう話。どうしてもコミュニティの入り口を広く取ってしまうと、ここが大変になってくる。だからコミュニティは段階的にクローズドなものを用意して割り振っていくべきだと思ってる。
それを実践したい。やってみないとわかんないから。それをじっくりやるには時間に余裕が必要、時間に余裕を作るにはお金を作らないといけない、お金を作るにはまず仕事するということで仕事してる。最終的に支援で回るようになっていけばそういう実験的な事もたくさん出来るようになる。
俺が感じるメンバー割で割り振っていけばみんな快適に人と関われる時間を作れると思うんだけどなぁ。人間レベルと価値観を掛け合わせて割り振っていく。ただ、問題も考えただけでいくつかあってそれはまた気が向いたら書く。
幸せのように形の無いものは感じるコツが必要だと思ってる。お金があるからとか友達が多いからとかそういう条件で幸せを感じるわけではないと本当に思った。落差が大事なんだなと。30の生活をしていれば50でも幸せを感じる。60の生活をしていれば90でも不満を持つ。
幸せを感じるのは才能でもあり訓練によって養われるものだとも思う。あと、知る事で感じられる幸せもある。人がどう感じるのかも参考になるし、自分の状況と世界の状況を比べても恵まれていると感じられたり。
人間関係次第で幸せを感じる機会が増えたり不快になる機会が増えたりもする。物事は相対的なものであるというのがよくわかる。自分の中の最低と最高の範囲の中で判断することになる。だから経験値が低い人は想像力が足りない事が多い。知らないのだから当然だけど。
経験値が少ない人の言葉は薄っぺらく感じる。これは誤魔化しようがないこと。いくら偉い人の言葉を完璧にコピーしたとしても応用がきかない。人間レベルが高い人から見れば一瞬でそれお見通しだよね。バレてないと思ってるのは本人だけ。子供がつく嘘のようなもの。論理的に考えれば絶対おかしいとすぐに分かる。
不毛なやり取りはいたずらに時間を消失させる。ネットの世界では人間レベルも価値観も様々な人達が同じ場所で議論することになって声の大きさが同じだということが厄介だ。集団心理に影響されていると気付きもしないでアンチ活動をする人もいる。
そういうものに影響されてはダメだ。自分の幸せはいつでも自分の中にあり、夜の風を吸うだけで幸せを感じられるのだから。
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