世の中にはありのまま居て好かれる人とそうじゃない人がいると俺は思ってる。もしかしたら、俺が見ている世界が小さすぎるからなのかもしれないけど、本心を言うとそうなんだ。
ありのままいて好かれる人の特徴は、喜ぶのが上手、容姿に優れている場合が多い、恩を忘れない。
ありのままいると嫌われてしまう人の特徴は、悪気がないのに人をかなりの頻度で不快にさせてしまう、感謝や恩に対する感情が薄い。
ありのまま居て好かれる人というのは、そこに存在しているだけでプラスのエネルギーを放ってる。プラスのエネルギーというのは曖昧なものではなくて、嬉しい、幸せ、可愛い、格好いいなどワクワクするようなもの。
だから、容姿が優れているだけでも放つことが出来る。しかし、容姿が優れていないから全員ありのまま居て嫌われるわけではない。
ありのまま居て幸せになるという教えがある。あれは、一部本当で、一部無理があるんじゃないかと俺は思っている。全員に当てはまるものではないのではないかと。
普段から人に好かれる傾向にある人は、あの教えで本当に切り開けるものがあるかもしれない。しかし、あの教えに飛びつく人って、比較的好かれない人が多いのではないか。実際に効果が出る人も必ずいるので、嘘ではないだろうしやってみないとわからないというのは理解できる。
最悪な組み合わせは、普段から自然にしていて人に嫌われがちの人がありのまま居たほうがいいという教えを鵜呑みにしてしまうことだ。
じゃぁ、俺はどうかと言われると、現在は一部信じて居て一部信じていない。自分のダメダメな所を出すという意味では、ありのままの自分を前より出せるようになり支援をお願いしてみたり実際に支援してもらったりしているので成果が出ているといえる。
しかし、その支援をお願いした件についても、数年間やり続けている実績と信頼関係の上で成り立っているものであり、何も積み上げていないのにお願いをしているわけではない。支援してくれた人の声にも、俺だから支援した、自分は簡単にお金を出す人間ではないという声があった。
本当そうだと思う。安易に考えてるわけではないので、当然だと思ってる。だからこそ嬉しい。俺の場合はありのままの自分でやりたい活動をやってその結果としてプラスに繋がっているけれど、これが何も積み上げず信頼関係も構築できて居なかったとしたら本当に無理だと思う。
そして俺は万人にウケるようなキャラでもないと自覚しているので、完全にありのまま居ていいのかは探り中で、手応えでいうとあまり人に任せっきりにしてしまうとよくないような感じはある。一応極端に実際やってみた結果だ。
自分の性格の部分に関しては口が悪いところも含め、出しても問題なかった。性格が悪いところもね。特段現実世界に影響はない。むしろ、狭く深く人と関わるなら好都合。こっちの方がいい。嫌われる事もあるだろうけど、それはそれ。そもそも好かれる人間ではないと思っている。
本来の自分を出すようになり、一部の人とより距離を縮めることができた。それは大きな事。
育ってきた環境で感じ方がねじ曲がってしまっている人もいる。そういう人がありのままいると、どんどん嫌われていってしまうというパターンを何度も見てきた。その人が悪いというより、環境によって捻じ曲げられた感じ方が人に嫌われるような反応をさせてしまっているのだ。
そういう人の場合は、まず感じ方を矯正したほうがいいんじゃないかと思う。例えば、相手に敵意があると錯覚してしまって強めに反応してしまうなど。過去の経験から、本来そんなことはないのにねじ曲がった感じ方をしてしまうというのは誰にでもあることで、俺もよくある。
それが極端な人はありのままいるようで、経験により捻じ曲げられてしまった感覚のせいで人に嫌われる選択を無意識でとってしまっている。その状態のままありのまま居るというのは「自分はありのまま居るのにどうして成果が出ないんだろう…。」ということに繋がっていく。
そしてどうして成果が出ないのだろうという答えをまたお金を払って”ありのまま系”の別の人のところに行って知ろうとする。俺から見れば、それはあなたがありのままいられていないから成果が出なくて、根本的な問題から目を背けてありのままいるから成果が出ないんだよって思う。
きっと、どんな事でも人と関わる事は不可欠になってくる。ありのまま居ていいという教えに関しても、ありのまま居て人に好かれたり信頼関係を構築出来るようになるから成果が出るという仕組みなんだと思う。
だったら、まず人との関わり方について勉強したほうが早いだろうし、そこの土台をしっかり固めてしまったほうがいい。ちゃんとたくさんの人と関われるようになって本当の信頼関係を構築出来るようになってからありのまま居る方法を学んだほうがいい。
その順番だったら確かに成果が出るかも知れないと俺は思う。その基本的な事から目を伏せて人と関係性も構築できないのに、そこをすっ飛ばしてありのまま居るという教えを聞いてもおそらく網目が大きなザル状態で関わる人はどんどんザルの底から落ちてしまうのでありのままいるかどうか以前の状態になってしまう。
基本的に人と信頼関係を構築出来るという前提だとすれば、ありのまま居るという事はあらゆるマインドブロックを取り払うということになるので上手くいくかもしれないと感じた。
ありのまま居ると思っていても、必ず人は生きてきた間に歪んでしまっているので、一般的にはどうなのかを知ることで補正が出来る。自分が一般的な生き方をしないといけないということではなくて、一般的な感覚を知れば自分とのズレを知ることになるので、そこで検証ができる。
自分は自分の感覚として持ったまま人と接する時にズレを補正して接する。で、最終的には補正するかしないかを自分で決めていくという作業。補正するかしないかという選択肢を持っていない状態では、「やらない」のではなく「できない」という状態。
自分を偽って「自分はやらないだけだし…。」って思ってるのがダサい。いやいや、できないんでしょ?って思う。笑 そういうと大抵「やりたくないし興味もない」みたいなことが返ってくるんだけど、じゃぁどうしてありのまま居ることを勉強してんの?ってなる。そこからは自分を守るための言い訳が始まり話が平行線になる。
こんなやり取りをこのタイプの人と何回も繰り返してきた。結構このタイプの人おるんよね。で、「あ、関わるのやめよ。」ってなる。この人はこの人の考えでやっていて、俺と根本的に考えが違うわけで。この人の世界ではそれが正しいわけで。俺の中では今書いたような論理で考えているので合わない。
合わない人に対して自分の考えを押し付けるつもりもないしな。多分こっちの方が上手くいくよと伝えたいだけだから。不要であれば関わらないし伝えない。ただ、俺の中ではずっとこう思っていく。偉い人にどれだけそれっぽい事を聞いてもさ、結局自分が体験して感じた事には勝てないでしょ。
俺は基本的に体験して感じた事を元にして考えてる。だから絶対正しいとも思ってないけど、少なくともどうしてそう思うかという事を経験を踏まえて語れることが多い。この時こうしてこうなったからこう思うということね。
こうしたら想像通りになった、こうしたら失敗した、その検証の結果今の自分がある。明らかに意識高い系の人の言葉を鵜呑みにしてるだけの人って分かるし、大体そういう人は薄い。その言葉の薄さは経験から来てないからだ。この人がこう言ってたから…とか、なんだそれってなる。
あと、まるで自分が創始者のように受け売りの言葉を書いてる人も見かけるけど、あれもバレてますよwwwってなる。笑 それあなたの体験からきた言葉じゃないですよねって。そういう薄っぺらさというのは伝わるもの。
ありのまま居て人が寄り付かない人の特徴としてそういう薄っぺらさがある。何も知らないなら何も知らないでいいじゃん。知ったかぶりしないとバカにされるって思われると思ってるんかも知れないけど、知ったかぶりするほうがバカにされるよ。
知らなくても真っ直ぐに学ぼうとする姿勢がある人は、結構みんな好きだよ。同じこと何回も聞く人は嫌われるけどな。価値観の違いで嫌われるのは仕方ないけど、単純に価値観じゃないところで接してて不快に感じさせているというのがありのまま居て人が寄り付かない人の特徴だな。
先の事はどうかわかんないけど、今の所俺はこんな感じで思ってる。俺も俺自身がありのまま居ていいのかどうなのか、ダメならどの程度ならいいのかは検証していく。あの考え自体は嫌いじゃないからな。最低条件が必要だと感じているだけで。
なんとなく書いてみた。最近何かあったというわけではない。結構いつも思ってること。また何かいつも思ってる事を思い出せば書こうと思う。
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