「一人でなんとかしなくちゃ。」
「思考を止めてでもやりきらなくちゃ。」
責任感で自分を追い詰めてしまう時ってある。特に自分で始めた事に関しては誰にも頼れない事ってよくある。そんな時、優しい言葉や手助けが身に染みる。
誰に何を頼ったらいいかなんて本当にわからないから基本的に自分でやろうと考える。
いつの間にか相手の負担になってしまう事もあるしな。
そういう性格を知ってくれているからか、困ってそうな時に声をかけてくれる人がいる。
恵まれてるなぁって思う。
俺の判断基準は一般的なそれとは違うと思うので、全てを理解されるとは思ってない。
どこか、どうせ理解されないだろうなって思っているから人に相談せずに決めてしまう事がある。時に、その事が一人で悩みを抱え込む事に繋がってしまう。
自分で選んだ事だから。。というのがまた自分を追い込んでいったりね。
誰にも理解されないだろうなという事であればあるほど、理解されたり心から背中を押してもらえた時は感動のような嬉しさがある。
去年何度もピンチに陥った。その度、手を伸ばしてくれた人がいたり、過去にも一人ではどうにもならないような状況に陥ったときも手を伸ばしてくれた人がいた。
10年間くらいずっと見返りを求めずに色々やってたんだけど、その事で唯一良かったと思える事は、一部の人が困った時に手を貸してくれたり手を差し伸べてくれることだ。
たくさんの人と顔を合わせて関わっていたけれど、時間が経って見えてくる事がある。
今でも当然のように手を差し伸べてくれる人がいるのは奇跡的な事だと思ってる。
まるで野良猫のような不安定な生き方を選択している俺にとっては浮き沈みは必ずあるものであり、沈みそうになった時に浮き上がらせてくれる存在というものは極端な話、生命線になる事もある。
去年、出来るだけ自分の性格の悪い部分を出してみた。それも俺の一部だから。意図的にそうしてみたんだけど、今年はもうちょっとフラットな自分で行こうと考えてる。
自分の心の狭い部分を出したらどうなるんだろうと考え、等身大の器でいった。
出来るだけこれからもそうしていきたい。じゃないと、言いたいこと言えなくなるから。
それで人が離れていくのであればもともと合わない人だったということだから。
もっとフラットな自分で人と接していきたい。悪いところだけじゃなくて、良い所もどんどん出していきたい。
過剰な期待は最終的にはあまりいい事にはならないので良い所も悪い所も出していく。
それで納得してくれる人だけ関わってくれればいいというスタンス。
マイナス(だと自分が思っている)がある分、プラスも大きくする。
本当はマイナスとプラスの区別なんてないのだけれど、一般的にはそういうふうに判断されるから。
困っている時に手を差し伸べてくれる人のように俺も優しさを持っていきたいと改めて思った。
もともと全然優しくない人間だから。
心がカラカラの時、優しさに心は救われる。
ピンチになってしまった時、手を差し伸べてくれる人の存在に救われる。
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