何かを始める時、2つの立ち位置で物事を考える。プレイヤーと運営だ。自分がプレイヤーの場合、どれだけ自分の個性を発揮していくかを考える。運営を選んだ場合はどれだけ周りの力を押し上げるかを考える。
この2つの立ち位置は本当はグラデーションだと思っている。自分の中で明確にする為にどちらかを一応選ぶが、運営よりのプレイヤーだったりプレイヤー寄りの運営になる事も多い。
プレイヤーとしての自分の立ち位置を結構やりきった感があるので、運営として色々な事をやって見ていきたいと思った。
これもインスピレーションなので、何かあったわけではないがそういう時は身を任せるようにしてる。
プレイヤーとして作る基盤と運営として作る基盤は全然違ってくる。
どちらも所有しておいて損はないと思うので(インスピレーションでまた立ち位置が変わるかもしれないので)どちらも構築しておくのがいいのではないかと思う。
おそらく、どちらもやってみようという人は少数派で、本来はプレイヤーか運営かで属性がある程度決まっているのではないかと思う。
俺の場合は先天的にはプレイヤーだが、後天的に運営になった。
選べるメリットは、「次の一手」の選択肢が単純に増えるので行き詰まりにくいという事と、違う視点から見れるようになる事だ。
プレイヤーは自分の事だけを考えて自分ととことん向き合う作業だと思う。
運営は周りにどれだけ勝たせるかなんじゃないかと思う。
だから自分の中で解釈が混在してしまうと混乱する。なので、一応立ち位置は自分の中ではいつも明確にしてる。
自分中心か、周り中心かという事で相反する事のように思えるが、実際にやってみるとグラデーションだった。
特化してもいいのだが、軸を保ちながらももう一方を「意識」する事でバランスが保たれる。
孤立と個性、優しさと八方美人、ストイックと排他的など、物事には同一のものなのにプラスとマイナス両方の要素を含む事になる。
立ち位置として際立たないといけないが、視点は持っていなければならない。
採用するかどうかは別として、今自分はどう見られているのかを判断すること。
その為に違う立ち位置での視点は必要だ。
「おそらく嫌われているだろう。」と思った場合でも、更に突っ走る事もあるし、「高感度はこっちのほうがいいんだろうな。」と思っても採用しない事も多い。
大切なのは嫌われない事ではなくて自分の中の軸を貫くことだ。
大切な人と意見が対立する事もあるだろう。もともと軸を持っていたから大切だと思えるほど関われたわけで。
仲良くなれたきっかけだったはずの軸が原因で去った人もいる。
人はそんなものなんだと何度も思ってきた。
多分、その軸よりも大切にされたいという承認欲求があるのではないかと思う。
それを選んだ時点で正直終わりだと思う。
「仕事と私、どっちが大切なの?」という質問と同じだ。
本来同じ軸におくべきではないものを置いて比べさせる。
あたかも正論のように聞こえるがおかしな事を言っている。
厳格なルールがあってたくさんの「不快」から守られていた事を忘れ、ルールが窮屈になり去る人だっている。
そのルールがあったから仲良くなれたというのに。
そんな事は数え切れないほどあった。
もともとあるものを捻じ曲げて自分を大切にしろというのはおかしな話だと俺は思っている。
この選択を過去に失敗した事があって、それから教訓として今の考えに行き着いた。
誰だって、大切な人が大切だ。
歪んだ承認欲求は全てを投げ出して自分を選べと選択してくる。
本当に大切なら出来るでしょと。
その割にそちらを選んでも「永遠」なんてない。
残るのは孤独な自分だけだ。
プライベートでも仕事でもこういう事は本当によくある。
「プレイヤー」を選んでいる時も「運営」を選んでいる時もどちらでも発生することだ。
経験から物事を語りたいので、過去の出来事はもういい。
例が一つ増えただけだ。
俺はその先を見ないといけない。
最近はずっと穏やかで、ずっと自分の仕事だけをしてる。
会いたい人はいるが会えていない。
そんな日々。
今、自分の生活の細かい判断基準が変わってきている。
これもインスピレーションによるもので、意識して変えようとしているのではない。
流れに身を任せてみようと思う。
結果は後から分かるから。
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