最近この事ばかり考えている。作業効率をあげたいから集中力を上げたいわけだが、作業効率だけを突き詰めていくと逆に集中出来なくなるというジレンマに陥る。
「無駄」というものは実は必要なのかもしれないと最近よく思う。「無駄」は「余裕」とも言いかえる事が出来る。これがないと、逆に作業効率が落ちるという事をすごく実感している。
ここ数ヶ月、無音、テレビを見ない、不要な事はせずに仕事のことだけを考えるという事をやってみていた。
とても味気のない日々で、正直そんな日々を過ごすために生きてるのではないと激しい違和感を感じた。
状況に余裕がなければそういう日々を過ごす覚悟をしていたので実際にやってみた。
仕方がない状況ならやるが、やらないで済むならやりたくないものだと素直に思った。
あれだけテレビを毎日楽しみに見ていたのに数ヶ月ほとんど見ていない。見れる状況であれば見る。単純にテレビが好きだからだ。
テレビは人生にとって無駄だという人もいるが、俺は楽しむ為に生きているので無駄な事なんてない。ドラマ、アニメ、ドキュメンタリー、ニュース、何を見たってインスピレーションに繋がる。
だから本当は見たい。それが本心だ。
音楽を聞きながら仕事をしていると歌詞が脳に入ってきてしまって文章を理解しにくくなっている事を実感したので音楽は聞かずに作業するようにしていた。
今日、久しぶりに音楽を聞きながらやってみて思った事がある。
確かに頭に文章が入ってきにくくなったり理解力が確実に落ちるが、集中力を継続するという意味では効果がある。
俺が今やっているライターの仕事は文章を正しく理解しないと書けない内容なので、理解出来なければその分作業効率が落ちる。
だからそこを最優先に考えてきたが、娯楽がないと1日集中力を保つのは至難の業だ。
キリが良い所で休んだらまた復帰するのに時間がかかる。
音楽をつけているとキリがいいところまでいっても次の作業にスムーズに移行しようという気になる。
多分、無駄なストレスが軽減されているからだと思う。
作業効率を最優先した場合、集中力が途切れ1日単位で見ると成果物の量は減る。
30分あたりの瞬間風速はあがるが、続かない。
短距離走をしてバテるのと同じだ。
短距離を全力で走って自己ベストを出す事と、長距離を走って自己ベストを使うのでは使う筋肉も戦略も大きく異なるだろう。
それと同じだと思った。作業量が少ないのであれば作業効率重視のほうがいいと思う。
しかし、今の俺の仕事はノルマは無いが実質1ヶ月で必要なお金分を稼がないといけないわけで、自ずと最低作業量は決まってくる。
1ヶ月単位でこれくらいはこなさないと生活できないというラインがあるのだ。
だから1ヶ月かけて長距離を走るようなものだ。
ペース配分を見するとアウト。バテてもアウト。計算を間違えてもアウトだ。
今まで、短距離を走るような考え方でやっていた部分が大きい。
1時間あたりの作業量を若干落としたとしても1日や1ヶ月単位で見た時の成果物の量が増えるなら問題ない。
時給換算してどうかという事ばかり考えていたが、そこばかり見ていると疲れるということだ。
最近は糖分も意識して抑えていた。昨日炭酸のジュースを飲んでみたら集中力が上がった。
もしかしたら一時的なものかもしれない。
でも、本当に頑張らないといけない時に実感として何が効果があるのか知っておくのは大切な事だ。
短期的にでも頑張らないといけない時はあるから。
自分自身の事すらほとんど知らないのだなと改めて実感した。
真っ直ぐに、等身大の自分でいこう。
情けないところも優れているところも等しく自分自身なのだから。
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