自分の特性を理解する事は重要なことだ。自分が何に向いているのか、何をどうしたいと思っているのか。案外把握するのは難しかったりする。
そんな時は、ありのままの自分は何をしたくてどこに向かいたいのか考えるようにしてる。同時に、今まで何が出来て何ができなかったかも。
俺が得意な事は明確で、0を1にする事が得意だ。これは誰でも出来る事なのだと思っていたけれど、周りを見回すと案外やらないという事に気付いた。
やる必要がないと思っているだけなのかもしれないけれど。一般的に多いのは、どこかに所属しようという意識を持った人。
だから相対的に何かしたいと思った時に0を1にしようというより、すでに50くらいまで育った場所に行こうとする。
それも当然な話で、ある程度育った場所ではすでに人がいるし、快適だ。効率もいい。
多分俺は頭が悪いんだと思う。笑 俺がなんでも自分で立ち上げてやりたいと思う事の大きな理由に、好きなようにやりたい、やりたいようにやりたいからというのがある。
どうしても誰かの組織に所属しちゃうと、その組織の意向に沿わないといけなくなる。当然の話しで、そうしないと組織は成り立たないし、賛同して参加すべきだからだ。
おそらくその意識が他の人より高すぎる為に窮屈に思ってしまうのだろう。だから難しくても効率悪くても自分で立ち上げようという発想に至るわけだ。
おそらく学生時代の校則や、先生の言うことを聞かないといけなかったり、そういうことが大人になっても嫌悪感として残ってしまっているのだと思う。
意味がわからない校則や、理由を説明されないマニュアルが嫌いだった。それは大人になっても少なからず経験する事になる。
バイト先や様々な場面でどうしてそのマニュアルが存在しているのか理解出来ていないのに更に上の人間に「そういうものだから。」という理由で下を管理するようになったあげく、真正面から理由を聞いても「そういうものだから。」で済ませられてしまった事に納得がいかなかった。
でも、これも「だったら自分で立ち上げろよ」という話で、組織に所属するのであれば理由はわからなくても取り敢えずルールは守るべきなのだろうと思う。もちろん守っていた。でも、納得がいってなかったというだけの話で。
疑問を持たなくてもいいところに疑問を持ってしまい、それを解決してくれる人が身近にいない(ルールを設定した人とは日常的に会話が出来ない)事によるフラストレーションを、どこにいっても感じていた。
ようは、俺はめんどくさい人間だということだ。すべて分かってる上で、自分でやったほうが心地良いわけだ。大変なこともあるけど、難しい事を乗り切る楽しさも大いにある。
孤独になる場面も多々ある。人間関係は変わっていくし、人に囲まれているときもあれば一人ぼっちで生活することもある。
すべてを受け入れられなければ精神的に持たない。
改めて、今の道が、俺の道なんだなって思う。孤独な時があろうと、上手くいかない時があろうと、俺はこの道しか歩けないんだなぁって。この道しか歩きたくないんだなぁって。
自分でもメチャクチャな選択をしてると思う事が多々あり、でもそうしたくてしょうがない。
とても賛同してもらえるとは思えない選択も取りたい。だからこんな道しか選べないのだろうと思う。
客観的な自分が少しはいるので、いっそのことそんな自分がいなくなったほうがラクなのにとは思う。そしたらメチャクチャだけど。
論理的に考える自分と、無防備に突き進もうとする自分がいつも戦ってる。
論理的な自分は、まるで親のような感じだ。これがこうなるから今これをこうしてないと後々危なそう。。と、常にリスクの事を考えている。
無防備に突き進みたい自分はまさに猫だ。明らかにジャンプ出来ないところを「飛んでみなけりゃわかんないじゃん!」と言いながらジャンプしてみて見事に落ちる。
でも、飛べない事を知る。そして次こそは。。とまたチャレンジする。高い木に勢いで登って降りられなくなって困ったりする。難しい。でもやりたい。
この猫モードの時は突破力はあるけど圧倒的にお金と時間が足りなくなってしまう。本当はずっとこっちでいたい。
親モードの時は先を見越して行動をするが、楽しくはない。
猫モードの時の湧き上がる情熱が好きだ。1日やっても飽きないあの感じ。ずっとそうしていたいし、そうなれるように行動していきたい。
その為に、具体的に好きな事をもう1段階現金化していけるようにならないといけない。
今、俺はフリーランスとして生活していて、ライターや撮影の仕事をしている。
これはクライアントにお仕事をもらってやらせてもらってるわけだ。
嫌いな仕事は受けないので、嫌いな事はやってない。
ただ、親モードでやってるのは間違いない。生活のために。猫モードの自分を養うために。楽しいとはあまり思えない。必要だからやる。やらせてもらう。
クライアントがいてくれるから今の生活が成り立っている。本当に感謝している。事あるごとに感謝の気持ちが沸き上がってくる。
ただ、最終的に俺がやりたいのは猫モードだけで成立させられることなんだと思う。
刺激的で情熱的で、そんな毎日を送れるのは猫モードの時だけだ。
今日で9月が終わる。10月からは猫モードを意識していきたい。そうはいっても自分で金を作るしか現状ないので、親モードを発動しながら。その割合を減らしていきたい。
今、無いものを嘆いてもしょうがない。野良猫は雨に打たれるときもあれば寒さに震えるときもある。
この生き方は、人の奥底にある優しさを信じられなければ出来ない。だからこそ恐いときもある。色んな人がいるから。
でも、一定数確実に優しい人って存在していて、いつも心打たれる。その真っ直ぐさに。純粋さに。
自分が不安定な存在だから、そういう人に出会う事がある。人間って、あたたかいんだなって思う。自分もそんな人になれたらいいなって思わせてくれる。
自分らしく生きるということ、それだけなのにこんなにも難しいものかと思うことがある。
お金を作る為だけの労働、時間を作るためにお金を稼ぐこと、これは向いていない。
これからの世の中は、そういう思考でやっている職種は淘汰される傾向にある。無人化が進むからだ。ロボットがやってくれるようになる。
クリエイティブな仕事、人間にしか出来ないような仕事じゃなければ費用対効果が悪くなっていく。
だからというわけではないが、磨いていきたい。
そして、猫のように自分らしく生きられる人を増やしていきたい。
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