先日から考えている事。小規模のコミュニティと中規模や大規模のコミュニティでは、同じルールではやっていけないという事。ずっと考え続けてる。
小規模コミュニティの場合は、ある程度舵取りをするのも簡単だ。比較的思い通りに導線を作る事が出来る。濃いメンバーの割合が極端に高いため、そもそも変な話になる事自体が少ない。
コミュニティが大きくなってくると、コミュニティに依存するだけの人間が出てくる。文句を言う割に貢献をしようとは考えないメンバーだ。こういうメンバーがコミュニティの価値を薄めていく。
基本的にコミュニティっていうのは、各メンバーがコミュニティを大切に思っていて、何か自分に出来る事はないかと考え貢献する事を前提に動いている場合が多いように思う。下手したらその善意がなければ回らないという事もある。特に、予算がつかなかったり少なかったりするコミュニティにおいては死活問題だ。金を取れば文句を言う、かといって貢献するつもりもない、そのくせコミュニティにはいたいという。お客様根性を見せてくる人間が増えていくと、全体の士気も下がり重要な人物の離脱につながる。
大きくなったコミュニティは「入り口」と位置づけ、そこからより趣旨に合ったメンバーをクローズドなコミュニティに招待し、小規模コミュニティとして核を守っていくべきだと最近考え始めてる。今、まだまだ日々の仕事で手一杯になってしまっているのだけれど、手が空き次第簡単なサイトを作りたいと考えている。
入り口の役割は、適正判断。最低限趣旨に賛同してくれていてコミュニケーションも取れる人なら入れるくらいの最低限の関門を設置する事で絞り込んだクローズドなコミュニティ内での快適さは保たれるはずだ。しかし、長く付き合わなければ分からない面もあるので、更に深い階層にもっと絞ったコミュニティを作るべきだ。
入り口、最低限関われる人間のコミュニティ、常連コミュニティ、有料コミュニティのような感じにしていくといいと思った。どこかしらに継続的なキャッシュポイントを作らなければどんな活動も難しい。広告に頼ると、メンバーの快適さが失われるだけではなく、アドセンス等の規約のあるものでは、時によくわからないペナルティをつけられてしまう事があるので、それに一喜一憂するのも精神衛生上よろしくない。
今の時代は、直接キャッシュをやり取り出来る仕組みができあがっていっているから、本当に応援したいと思ってくれている人達に支援してもらうというのが一番いいと思う。
その事を「結局お金が目当てだったのね。」みたいに想像力がなく、建設的な考えの出来ない人とはそもそも関わる必要自体がないだろう。全ての人の機嫌を取らなくていい生き方をするには、ド真ん中の自分を認めてくれる人達に応援してもらう事だ。支援してくれる人の数を増やせばいいってもんでもない。
つい、選ばれる側に回ってしまいがちだが、支援される側も支援する側も本来どちらが下という事はないのだと思う。お金を払った方が偉いという考え方でいけば、コンテンツは軸を失うだろう。誰かの都合のいいように歪められていくのが目に見えている。だから、舵だけはどんな時も自分で持っていなくてはならない。
それと、理由がないとお金を渡したらいけないとか、受け取ってはいけないと考えている人ともあまり関わらないほうがいいと思っている。お金自体に善悪はなく、まさに「気持ち」として渡す事、渡される事だってあるのだから。ご飯を友達におごる時に特に大きな理由なんてなかったりする。そもそも別に理由なんてなくても、おごりたいと思ったからおごった。それでいいはずだ。これがご飯の話ならある程度納得出来る人もいるが、お金の話になると納得できない人というのは割といる。
同じ話なんだけどね。物を挟まないと価値を提供してはいけない、直接的な受け渡しをしてはいけない、下品だみたいな考え方っていうのはただの刷り込みでしかない。物やサービスを挟まなければ、手数料や無駄な事にお金を使う機会自体が減るので、支援出来る額は多くなるし、用途も広がるに決まってる。「なんとなく」そう思っている事や「親が言ったから」「先生が言ったから」というのはやめたい。明確な理由を自分の中に持つべきだし、そうじゃない事を聞く必要はない。
そして、その理由がその人にとって正しかったとしても俺に当てはまるかどうかはまた別の話だ。自由に生きて生きたいと考えるのに、お金を受け取る事から目を背けてしまう人は多いように思う。俺自身もそうだったから。ただ、お金をくれた人は振り返ってみてもすごく大切に思ってくれていたのだなと今でも感じるし、そこには人間愛が確実に存在していたと感じる。
コミュニティだけではなく様々な活動をしていく際に、どうしてもお金の事というのは後回しにしてしまったり見て見ぬふりをしてしまいがちなのだけれど、ここがスムーズに行くと、本当にやりたい活動にたくさんの時間を使える事になる。一番解決すべきはここと言っても過言ではないくらい。
自然にお金が集まり、自然に回っていく。それが理想。そのための第一歩として、お金はいつでも欲していますよ!という事を常に公言し続ける事が大切だ。お金の話をすると厭らしい、下品だという人を遠ざける効果もある。お金をかけずにやる事が美徳だと考えるのは俺は考えが合わない。使う必要のないところに使う必要はないと思うが、使うとより良くなることには惜しげもなく使うべきだ。
お金って使ったら無くなるものではなくて、使った先の人が助かるわけだから無駄なんて無い。無駄遣いなんて、破って燃やすとかそういう事以外にはあまりないんじゃないかとさえ思ってる。何事にも固定観念にとらわれることなく真っ直ぐこれからも考えていきたい。
コミュニティに関して、もう一つ今思っている事がある。それは、コミュニティに参加する人にとって何らかの価値やメリットがあるべきだという事だ。俺は自己満足の事もたくさんやってきたし、逆に人にメリットを与える事だけを考えてやってきた事もある。どちらもやってみて、快適最優先なら自分だけの事、継続的発展なら、メリットも考える事だと思った。人はやはりメリットがないと動きにくい。善意だけで全てが回る世の中が理想的だが、どうもそうはいかないらしい。自分の発展の事だけを考える事は効率が悪い事に気がつく。拡大解釈をしていくと、最終的にいきつくのは嫌いな人にメリットを与える事さえ許可出来るかどうかという事。
ここにイエスを出せないと進めないのだと思う。今、徐々に自分の心を整えていってるけど、俺は嫌いな人を見たくもないし関わりたくもない。嫌いな人は多くないが、一度嫌いだと思った相手に対しては潔癖症のように嫌悪感が止まらない。鳥肌が立つ。そういう自分の心の落とし所をどこか見つけないと先に進めないというのも、思考の中で見つけた。今、こうして書いているのは、そんな自分がいるという事を公表する事で薄れさせる為でもある。
意外と、自分の中でのタブーというのは公表してしまうと昇華する事が多い。それを少し期待している。俺は仲良い人が嫌いな人と繋がるのが極端にイヤなんだよね。というのも、悪意ある人がSNSを通じて俺が仲良い人とわざと繋がって悪口を言ってたという事があって、その出来事がトラウマのようになってるというのが大きい。普通に考えて、誰が何を言ってたか俺のもとに届かないはずがないと考えたらわかると思うんだけど、想像力がないのか、友達が少ないからそこまでわからないのか…どっちにしても気持ちが悪い。
これはコミュニティ単位でも起きる事。メインの目立っている常連メンバーを引っ張って、他のメンバーも根こそぎ持っていこうとする浅はかな考え。誰が裏で手を引いてるかなんてすぐこっちに届くのに。そういうやつって、会っても普通に接してきたりするんだよね。そういう事に凄く疲れていたんだ。本当にめんどくさいなって。
俺が好きな人を嫌いな人に繋げたくない理由はそういうとこにあるんだよね。個人的にはきらいじゃないけど嫌いな人と繋がってる人にも大切な人を紹介したくない。嫌いな人に繋げてしまう可能性があるから。人間関係がゴチャゴチャするし、嫌だなって。それに俺が相手を嫌いな時、大概俺も相手に嫌われてるわけで、そしたらあることないこと言うでしょ。疲れるよね、そういうのって。
だから別次元で生きてたいなぁって思うけど、結局多分活動の幅が広がっていくと無理なんだろうなぁという事にも気付いてる。だからどこかで俺はこの感情を克服しないといけないんだろうなぁと考えてる。簡単な事ではないけど。心の中の引っかき傷は簡単には消えない。
あともう一つ今日気づいた事がある。俺が本音を人に言えなくなって空気で察してくれと思うようになった原因。これは育ってきた中で、「どうせ言っても無理だし。。」とか、「言ってもしょうがないし。。」という事が成長期の段階で多かったからだと思った。思考の癖だなって。明らかに考えが違う人に自分の考えを言わないのも、状況的に無理な事を無理だと分かっていても口に出さないのもそういうのが原因なんだろうなと。
ここ数ヶ月、無理だと思っていても口に出してみたり、明らかに意見が合わない人に対して縁を切る事を覚悟して言ってみたりした。100%自分が思ったような結果になるわけではないと思った。俺はずっと、分かり合えない事が嫌だったんだなと気付いたんだ。分かり合えないくらいだったら最初から言わないって思ってたんだと。
でも、分かり合えなくてもいいから言う!って思って行動した結果、少ないけど分かり合えた事もあった。そして大切なのはぶつかった事を後悔していないという事。相手が去っても後悔してない。100%の本音を相手を傷つけてでも言った時って後悔しないのかもしれない。誰も傷つけたくなんてないでしょ。でも傷つけ合わずに人間関係を続けるというのも無理な話で。
言ってもしょうがない、状況が許すはずない、こんな状況でそんな事言うって舐めてんの?って思われるのが嫌だ、そんな理由で欲しいものを欲しいと言わなかったけど、Nintendoswitchが今手元にあるのは紛れもなく無理な状況でも言い続けたからなわけで。
仕事の対価として受け取ったわけだけど、誰にも何も言ってなかったら最短でも8月中には受け取れてなかった。無理でもなんでも、言い続ける事が大切なんだと本当に思った。毎日感謝の気持ちがこみ上げる。本当に欲しいものが手に入った時の喜びって、大人になっても子供の頃と変わらない。自然と笑顔になるし、抱きしめて眠りたいくらいの気持ちになる。
コミュニティの話から随分脱線してしまったけど、お金、コンプレックス、向き合ってる。下手でもミスってもいいから出来る所から行動していくんだ。嫌われても人が去っても、自分の人生と向き合い、真っ直ぐにやりたい事をやっていこう。自分が人に嫌われることと、やりたい事をやり続ける事は別の問題なのだから。どんな時も、自分にやりたい事をやっていいと許可し続けれるかどうかは自分にかかってる。
誰かがどれだけ否定しても気にすることはない。その人は責任をとってくれないのだから。いつだって、自分の人生と共にあるのは自分だけだから。どんなにしょうもない自分に気付いたとしても、生きる価値なんてないと感じてしまったとしても、最後の最後、自分だけは全て自分自身を認めるべきだ。他人には出来ないこと。自分だけは出来る可能性がある。
湧き上がる喜怒哀楽を堪能したいね。マイナスな感情は望まないけど、出てきた時には出来るだけ真っ直ぐに見る。光も影も自分のものだからな。
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