リアルの繋がりには知らせずにネット上でスタートした事、ネット上ではあまり伝えていないけど、リアルの方で活動している事等、一度統合してみようかと考えてる。
人間関係が複雑になりすぎると本当にめんどくさい事が起きる可能性が高いと過去の経験から学んだんだけど、最終的には避けては通れない事でもあるんだよな。
最近考えてる、プラットフォームとコミュニティを分けるという考え方。これでいくと、プラットフォームを統合するという事。不安ではあるんだけどね。インターネットというものが普及して随分経つけど、やり始めたときとは大きく状況が変わってきてると思うんだ。
今では年配の人もFacebookをやってるのは普通の事だし、子供がYouTubeを見ているのも普通の事。ネットリテラシーに欠ける人達が溢れていくのも自然な話。無数の人達と関わる機会が多いので、この温度差はいつも感じてる。昔は、パソコンが使えたりネットに詳しい人達がやってたからよっぽど変な事をしなければ楽しめたし、空気読めないみたいな人も今に比べて少なかった。
今は、ネットを使う人の世代が広がった事により、多様な価値観がネット上に流入しているだけではなく、ネットリテラシーの欠如による争いや不用意な行動が溢れていて本当にめんどくさいなと思う。ただ、これは時代の変化なので、そこに文句を言ってもしょうがないんだよね。
これらを把握して、全て踏まえた上で行動していかないと、避けようと思っても避けられるはずはないし、今後、更にこの格差は生まれていく。俺に出来る事は、常にネット上の空気感や人を見て、リアルと比べどうなのかを見て現状を把握し、次の一手を考えることだけだ。
マイナス面に目が行きがちだけど、ネットが普及すると今まで出来なかったようなアプローチも可能になる。今俺がフリーランスで仕事していけてるのは、まさにネットのおかげ以外の何物でもない。今後も、今まで想像もしなかったような事が個人レベルで出来るようになるだろう。
人との出会いがないというのは本当に幻想だと思う。その気になればどうにでもなる。何も男女の出会いだけの話ではなくて、全ての出会いにおいて、ネット上では簡単につながれてしまう。だからこそ、その質が大切になるし、プラットフォームの存在が大切になるわけだ。
人間関係が複雑化していく事は本意ではない。極力、細かく分けて関わっていきたいとは考えてる。あまりざっくりしすぎると希薄化するからだ。本来、狭く深く人と関わりたいので、本当に大切な人とは個人レベルで、それ以外はコミュニティレベルで、薄い関係性はプラットフォーム上だけで関わる。
今まではコミュニティと個人レベルの2段階だったものを、3段階で考えようと思ってる。コミュニティの規模が大きくなるにつれて、問題がある人が顕在化してくる。これは参加人数に対して単に相対的な人数が出てきているだけなのかもしれないけど、結構めんどくさい。
こうなってくると、細かすぎるルールを設定するのは難しいと思った。小規模、中規模、大規模でルールの細かさも対処の厳しさも変えていかないと対応できないと思った。プラットフォームを統合するというと、広くなる、まとめるという印象が強いが、「その他」というジャンルを作るという事に近い。
ここまでが俺の活動ですよという、最後の外枠。趣旨を理解し、参加しているといえる一番薄く遠いライン。ここから、コミュニケーション能力やスキルに応じてコミュニティに振り分けていき、場合によっては個人レベルで仲良くなっていくというわけだ。
メリットとして、1段階目では厳しすぎるルールを設定しなくていいというものがある。1段階目で見込みがありそうな人、楽しそうな人を2段階目に引っ張り上げて、もともと趣旨を理解している人を引き入れるので説明の必要がほとんどないのと、関係性もそこそこ出来上がっているので無理がない。めんどくさそうな人はそもそも入れないし、ある程度判断してから入れる事が出来るので問題が起きにくい。
人間関係は大きく変化していくものなので、仲良かった人がアンチに変わる事も珍しいことではないし、その都度対応していかないといけない。でも、現在の管理方法よりも問題は起きにくいと思うんだ。誰もが自由に行動したいと思うと思うけど、ある程度ルールがある場所の中で動いた方が効率がいいと俺は思う。
めんどくさい人を全て自分で対応しようと思うと心が折れる場合もあるし、無駄に恨まれる。俺のコミュニティに関しては俺が注意するから、逆恨みされるのは俺だ。めんどくさい人は基本的に相手にしないのでそれでいい。
仲良くなるにも「場所」がいる。その場所を提供する事をずっとやってきているけど、この場所を大切にしない人、当たり前だと思っている人がいるのが本当に残念だ。用意されて当然だと考えている人ほど勝手な事をやりだす。
人と仲良くなるには場所が必要だという概念がないからそんな事になる。提供してやってるとは思わないけど、大切にしてほしいとは思ってる。それが出来ない人とは今後関われないなぁとも思う。そういう意味での自分勝手な人が俺は嫌いだ。メチャクチャにするから。せっかく積み上げてきたのに。俺が関わる人を選べばいいだけの話なんだけど。感情もあるからね。簡単には割り切れない。
プラットフォームを統合しようと考えたからこそ、このブログの仕様も少し変えた。恐れからくる判断は、大概良い結果に結びつかない。恐いけど踏み出す事は大切だ。
自分のダメなところ、嫌なところをここ数ヶ月出来る限り出していってる。それで嫌われるようならそれまでだと思ってる。もともと人とぶつかる事がすごく嫌いだ。疲れるし、相手を傷つけたくない。だから本音を隠そうとしてしまう。そんな自分がいる事に気付いてから、あえて出すようにした。ぶつからないように避けていたのは傷つけたくないからだったんだと改めて思ったし、平行線の話もかなり多いけど、中には分かり合える事もあるのだという事もわかった。平行線っていうのも本当嫌いなんだよね。時間が勿体無いと思ってしまうし。
でも、今はやりきる。嫌われてもバカにされても。どうしてそうしようと思うかというと、この数年、リアルな関係性をかなり絞ってみて本当の自分は何をどう考えているのかという事に集中してきた。そして嫌われても思ったようにやってみようと思って、自分が好きなようにやってみた。気が楽になっただけではなく、そこそこの成果も複数出てきてる。そこで分かった。人に合わせて頑張っても成果は出るだろうけど、合わせなくても成果って出るんだと。人に合わせて作り上げた成果は、俺が人に合わせないと成立しない(その代わり作り上げる時の時間は少なくてすむ)けど、本来の自分で作り上げた成果は、本来の自分のままでやっていけるのだと。
一生人に合わせて生きるって俺は馬鹿らしいと思ってるのでやりたくない。自分の人生を生きたいし。だから、今自分が「これやったら嫌われるかも。」と思ってる事の中でやりたいことはやるようにしてる。誰だって人を傷つけたくないけど、遠慮したままだと本当の力は出せない。協調性は大切だと思うけど、その優先順位は立場によると思う。創始者、管理人、リーダー等、個性が協調性を最優先していたら物事が前に進まない。
革新的なことや、新しいことって、協調の中にはないしね。誰だって批判されるんだ。結果を出してはじめて認められる。それまではクソみたいな扱いをされる事も多い。そんな中で協調なんてしてたらどうにもならない。立場的にそういう位置づけなんよな。だから、メンバーには協調性を求めるけど、自分は協調性を持ちすぎると良くないわけだ。ここを理解していない人が、人にはダメっていうのに自分はいいの!?みたいな事を言ってくる事もある。いやいや、じゃあお前やってみろよと。笑
参加する側にしか立ったことがない人は、当然参加者としての立ち位置での発言をしてくる。参加する側の心理を知るにはいいけど、参加する側の視点で考える理想と、運営する側の視点は全く違うもの。大概参加する側の考えで運営するとうまくいかない。これは、雇用される側の人間がオーナーに求める事をそのままやると経営上上手くいかない事が多いのと同じで、雇用されて力を発揮していた人が独立してうまくいかないのと同じ事だと思う。
雇用されている側では気づかない空気のようなものが存在してる。会社の看板だったり信用だったり。それがあるから成立している事もあるのに、気付かずに自分の力だと過信する。だから独立して失敗するわけだ。雇用される側からは見えない事があるようにコミュニティに参加する側からは見えない事がある。でも、その見えない存在があるから成立してるってことはよくある話。管理人が裏で人間関係を潤滑に回るように調整していたり、イベントが成立するように根回しをしていたり。
管理人としては普通の事だから口に出す事でもないから言わなかったり。そういうのは参加する側からは見えない。これだけじゃなく、人知れず時間を使って構築しているものがあったりするわけだ。想像力がない人っていうのは、表面上の事だけを見て判断する。だから簡単に見えるのだろう。コミュニティに関しては、その見えない部分が大きいので、それなりに労力も時間も使って場を整えてる。
だからこそ、場所を大切にしないやつに腹が立つんだよ。当たり前のようにそこにあるわけじゃないんだ。手入れして、時間も労力も注ぎ込んで作ってんだ。こんな事言わせんなよって思う。笑
多様化していく価値観やネットリテラシーの幅。全てを同一のラインでまとめるのは難しくなった。
関わる人、関わらない人を明確にしないといけない時代に入ってる。リアルでは友達もいなく誰からも相手にされないやつが普通にネット上で関わろうとしてくるんだから、そりゃおかしな話にもなるよ。文章からめんどくさいやつってある程度わかるから、そういうところから読み取るようにしていかんといけんよね。
それにプラスして、単純に価値観が合わない人の存在。これはしょうがない。相手が悪いわけでもない。ただ、いい距離感で別々の道をいきましょうという話。大好きな人に囲まれて生きていきたいし、共感の上で成立する関係性を構築したい。
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