「捨てる神あれば拾う神あり」とは本来の意味合いが違うとは思うんだけど、心に浮かんだのでこの言葉を使う。
ここ数日、色んな人が心配してくれた。お金が絡む話なので誰にも直接は相談出来ずにいた。誰かに頼りたいと思っても、お金が原因で繋がりを失うくらいなら誰にも言わないほうがマシだ。。なんて思っていたけど、結局解決策もないまま時間が過ぎていっていた。
その間、もちろん支払いサイクルが極力早い(けど単価は安い)仕事をやってた。仕事量自体はいけそうだけど、クライアントとのやり取りや修正が複数入るとアウトだなぁ。。と思っていたら連絡がきた。
結論から言うと、仕事をもらえた。本当にありがたい。しかも、かなりこちらの事情を考慮してもらった。
ここ数年、人との距離を意図的にとっていた。けど、結局困った時に自分一人の力なんて本当にちっぽけなんだなって思った。
上手くいってる時はいいよ。今回のクライアントが飛んだ件のようにアクシデントが起き、様々な悪い条件が重なった時に一瞬で身動きとれなくなるんだと実感した。
良いときもあれば悪いときもある。一人の人間の人生だけではなく、世界はそんなふうになってるんよなぁ。
いつも余裕を持って行動したいと思うのに何故か出来ない。これも性分かなぁなんて半分諦めてはいるけど、どうにかこの性格は変えたいな。生きにくい。
ここ数年はろくに人付き合いもせず、最小限の人と連絡をとるくらいだったけど、人との繋がりって自分が思っている以上に凄いものなんだなって。
過去10年位、たくさんの人と繋がって活動してきたからこそ、ここ数年はその逆をやってみた。極端だから、どちらもやってみた結果見えてくるものがあるんだと思う。
こんな俺にも応援してくれる人がいる。
いくつかの活動それぞれに。
誰かが困っている時に、自分から手を差し伸べられるような余裕と心が欲しいと改めて思ったよ。
今日、ご飯食べながら休憩してる時に見た映像で、「物乞いしてるホームレスに、物乞いして受け取ったお金を渡す」っていうYouTuberを見た。
そしたら、物乞いしてるホームレスのおじさんが「これ、少ないけど。」って自分が受け取ったお金を渡したんよ。
自分の事でいっぱいいっぱいなはずだし、自分の近くで物乞いされたら自分の取り分が減るかもしれない。そう思ってもおかしくないのに。
ホームレスのおじさんに、なんでその大切なお金をそのYouTuberにあげようと思ったのか映像の中で聞いてたんだけど、「自分より若い人がやってたから。」みたいな理由だった。
俺らの1000円の価値と、ホームレスのおっさんの1000円の価値ってかなり違う。今日食べるはずのご飯代かもしれないのにそれを自分より人にあげるっていうのは本当に美しいなって思った。
それを見て涙が出たんよね。辛さが分かるからこそ、おじさんは自分のご飯代だけど、あげようとしたんだなって。自分より若い子に対して自分より優先しようと思う気持ちを持ってるんだ。本当に心がキレイだなって思った。
なかなか出来る事じゃないよね。なんかそういうのに弱い。見返りを求めない愛。けなげというか胸を鷲掴みにされる。
人生、いいことばっかりじゃない。けど、悪い事ばっかりでもないよな。そして奇跡は自分で起こそうと思い行動するけど、気づけば誰かの行動が俺にとっての奇跡を起こしてくれる事のほうが多い。
感謝の気持ちが溢れる日々だ。
この記事へのコメントはありません。