今思えば、色んな事にチャレンジしてきたのは、自分が何者なのか確かめたくてそうしてきたように思うんだ。
過去の事のように書いているが、今現在も走り続けてる。
昔から根拠のない自信があった。
自分はなんでも出来るというふうに思っていた。
現在は、色々な経験を踏まえて考えるようになり、なんでも。。とまではいかなくとも、ハマる事に関してはいいとこまでいくと思ってる。
そして、集中力が限界を超えるタイミングが人生の中で何度かあったんだけど、それがある時はかなりの事は乗り越えられると信じてる。
人生、いい時もそうじゃない時もあるわな。
最悪一人ぼっちになってしまったとしてもたくましく生きられないといけないと、ずっと思ってきた。
約束にしがみついてもどうにもならない事が過去に何度もあったし、人の言うことを鵜呑みにしてしまった事もある。
結果が教えるのは、いつも自分の考えを信じろということだった。
人のせいにせずに生きるにはそれしかないんだって結果が教える事ばかりだった。
人生というものを想像する時に、想像したものと現実にギャップがある事は少なくない。
今も、きっと俺が想像しているものとは違うものなんだろうと思う。
自分自身の人物像に関しても、きっと他人からの印象は自分が想像するものと大きく違うだろう。
大人になると、厳しい現実を知る事もある。
逆に、捨てたもんじゃないと思うこともある。
ようは、想像しても意味なんてないってことだ。
走り続けて、ぶつかり続けてはじめてその形の片鱗を知る。
人生というものが例えば四角いものなら、真っ直ぐに走り続けているといつか壁にぶつかる。
壁だけではなく、「隅」を見る事もあるかもしれない。
右の壁と左の壁がぶつかる点に出くわし、八方塞がり、後ろに下がるしか無いと思うかもしれない。
壁にぶつかった時、どう感じるか、どう対処するかでその後の考え方が大きく変わると思った。
ある人は後ろに下がるしかないと思うだろう。
ある人は壁沿いに進んでみようと思うだろう。
ある人は壁をぶち壊そうと考えるかもしれない。
やったらどうなるか。。
やってみないとわからない。
自分の人生においてコントロール出来る事は本当に小さい部分だと思う。
だからこそ、コントロール出来る部分を精一杯コントロールして自分を信じていくしかない。
世界や人生ってのは、あまりにもふわふわしすぎていて掴みどころがない。
だから子供の時から体当たりで、これは出来るかな?あれは出来るかな?と、純粋な興味で色々やってみた。
これからは、もっとそんな純粋な興味で動きたいな。
大人になって、関係性とか常識とか、やっていいこと、悪いこと、勝手に決めつけまくってる。
今年は、様々な関係性を切ってきた。
縁がないものは向こうから切れたり切れる流れになったり。
自分からも切ってきたし、相手からも切られてきたんだと思う。
だけど、生きてる。
好きな事で挑戦したいと心が騒いでる。
金も時間もいるな。
どうにかしよう。
今年もあと一ヶ月とちょっとで終わる。
失ったものや、去った人の事を考えるのではなく、前を向いて進んでいこう。
少しの間、すごく忙しくなるとは思うけれどそれはしょうがないわな。
過去に感謝し、今を生きる。
現在も積み上げてるもの、たくさんあるんだ。
花開くには時間がかかるものもあるだろう。
いつ出来るかなんてわかんない。
無理にその期限に間に合わせるなんてこともしたくない。
だって、自分のプロジェクトなんだから。
大事に大事に時間をかけて大きくしていこう。
一生をかけてやろうと思ってる事っていうのはそんなもんだろ。
形は変われど、いつも挑戦し続けてきた。
自分は何者なのか。
その確認作業は続く。
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