自分はこんなに頑張っているのに報われない。。
自分はこんなに常識を守っているのに守っていないやつがいて腹が立つ。。
自分はこんなに尽くしているのに見返りをくれない。。
自分はこんなに正しいのにあの人は間違ってる。。
こんな考えを持っていたら幸せになれるわけないんよな。
これは自分の中の正しさから来る。
そして自分の中の正しさは子供の時の経験や親の教えに強く影響を受けている。
これを壊さない限り何をどうやっても自分で不幸なシチュエーションを作って不幸を味わいまくる人生になってしまう。
何が正しくて何が間違っているか、その基準は自分の中と常識の中にある。
ここから解放されるだけで相当幸せが増えてストレスがなくなる。
親が必ずしも正しいとは限らない。
常識が必ずしも個人の人生において幸せに導いてくれるとは限らない。
世間一般と照らし合わせて自分が間違っているか正しいかを判断していると苦しくなるだろう。
そしていつの間にか自分の好きなものも嫌いなものもよくわからなくなり、誰かが決めた基準に照らし合わせて自分の人生がはみ出さないようにしていくだろう。
なんだかわかんないけど急に寂しくなったり情緒不安定になったりするのは、本当の自分が心の中で声を上げているからなんだと思う。
自由を求める道のりは簡単な事ではない。
必ず人から批判されて誤解を受けるだろう。
正反対の価値観の人から激しく辛い言葉を言われる事もあるだろう。
たくさんの人から「嫌われる」だろう。
嫌われないように生きれば自由に憧れ、自由に生きれば「目立たなければこんな辛い思いをすることはないのに。。」という苦悩を抱える。
何をどうしても何かしらの悩みは抱えるんだ。
悩みをなくすには嫌われる覚悟を持つしかないという答えにいきついた。
どこまで自分を貫けるかだ。
自分を貫けば貫くほど合わない人は離れ、合う人が近くにくる。
今ままで作り上げた人間関係を全て壊す勇気があるかどうかだ。
本当に壊れるかどうかはやってみないとわからない。
意外といけるかもしれないし、ガタガタになる人もいるだろう。
心に歪んだ「正しさ」を持ち続けている人は本当に孤独になってしまうかもしれない。
やってみないとわからない。
俺は、もともと自分が好かれる人間ではないという事を自分自身わかっていたので嫌われるという事に関して一回覚悟してしまえば結構いい線いけてる気がしてる。
もともと性格悪くて自己中心的だからね。
本当の自分を出すだけだ。
そう。
本当の自分を出す。
嫌われる覚悟が出来た時にはじめて本当の自分を人に見せる事が出来る。
そして本当の自分を受け入れてもらえた時、心から湧き上がる愛情や感謝の気持ちが生まれる。
判断基準が「なんかイヤ。」とか、「なんかめんどくさい。」とか、そんなワガママな感じを押し通す勇気。
大人になればなるほど難しい。
俺は猫が好きだ。
猫が好かれるのは自分勝手で自己中心的で可愛らしいからだ。
ワガママであればあるほど可愛い。
そして時に見せる優しさのようなものや寝顔に癒やされる。
見た目も大事よね。
猫の見た目も好きだもんな。
あんな存在に憧れる。
価値観が多様化しているからこそ、理解できないような価値観だって存在すると思うよ。
本当の自分で本当にやりたい事をやれば似たような人って少ないんじゃないかと思う。
誰もがね。
俺に限ったことではなく。
たくさんの人に見てもらったら良し悪し問わずたくさんの言葉がとんでくるだろう。
自分を出せば出すほどそのエネルギーは大きくなるんだ。
だから我慢しながらなんて小さすぎる。
エネルギーに善悪は関係ない。
善悪関係ないのだとしたら一番パワーを出せるのがありのままの状態という事。
何も恐れてない状態ということ。
嫌われるの上等な状態ということ。
心配しなくても世の中常識的な人だけじゃないよ。
常識的な立ち振舞をしていてもクレイジーな人が好きな人だってたくさんいるだろうし、変人が好きな人もいるだろう。
批判を恐れなければ誰にも理解されないなんて事はない。
そして物事っていうのは理解される数が多いいからいいとか理解されないからダメとかそういう話でもないだろ。
だって、常識って簡単に変わっていくし、大多数のアンチが一気にファンに変わることだってあるんだ。
逆もまああるけどな。
一番しょうもないのは誰からも声が上がらない事だろう。
影響力が全く無いということだからな。
自分の判断基準は人に理解されようがされまいが確実にそこにあるんだから、人の言うことを聞く必要もないし遠慮する必要もない。
自分を圧倒的に信頼する事が出来て初めてファンが出来、ファンからの信頼を得る事が出来るのだと思う。
そしてめちゃくちゃな部分を出しているからこそ、それでもそばにいてくれる人に対して本当に感謝の気持ちが生まれるのだろう。
我慢して我慢して人に譲って、それでも自分の思い通りにならなかったらちょっとの事でいらっとするだろうし、その事で相手を不快にさせてしまう事もあるだろう。
それは本当に勿体ない。
相手からしてみればなんで俺に当たるんだよ!って話で。
ありのままの姿も人によってそれぞれ。
自分が道を切り開いていくタイプもいれば、誰かを応援して喜びを感じる人もいる。
だいじなのは、こんなに自分がして「あげた」のに報われない。。なんて思わない事。
報われる為にやってんの?って話しになるよね。
どんな時も、自分がしたいから、する。
それが基本。
俺は色んな事にチャレンジしてきて、報われた事も報われなかった事もたくさんあるけど、その事によって後悔したことはほとんどないな。
それは報われる為にやってるわけじゃなくて、感謝されたくてやってるんじゃなくて見返りを求めてやってるんじゃなくて、自分がやりたいからやる、やりたい事だからやっているから。
結果は関係ない。
やりきったら満足だ。
だから不満も少ないし幸福度も高い。
あの人が。。とか、これがこうだったら。。ってあんまり考えない。
だって、全て自分次第じゃん。
自分で決めてんだし。
自分で決める、その判断基準も人の意見を取り入れずに自分で考えて決めてるから例え判断を間違えても勉強になった。。で次に活かせる。
イライラする事もない。
間違いは「終わり」ではないしね。
失敗も終わりではない。
これから次好きな事をやる時にその経験は大きく役立つわけだから。
何がどうなっても幸せを感じる事が出来るという思考こそ、幸福の正体だと俺は思ってる。
ありのままの自分を受け入れてもらえて好きな事やれればそりゃ幸福度も高いわな。
当然のことだ。
しかも周りの雑音なんて関係無しで自分でなんでも決められるんだから。
お金があると幸せ。
欲しい物が買えると幸せ。
でも、ベースに何もなくても幸せ。っていうのがなければ、一時的な幸せをお金で買ってるだけになる。
お金があってもなくても幸せだよ。
それは俺をずっと見てきた人はわかると思う。
今はお金なくていいとは全く思わないけどな。
だって、単純に出来る事増えるしやりたい事快適に出来るし。
お金はたくさんあるにこしたことはない。
お金の話をすると「いやらしい」「がめつい」なんて言う人、思う人は俺の周りから去れ!笑
金を1円も使わずに生きてる人を俺はまだ見たことがない。
でも、お金に対して否定的な人はよく見かける。
合わんわ。
お金が全てではない。
という言葉をいう人がいるけど、お金が全てではないけど、わざわざ否定する必要は全くないを俺は思ってる。
お金は紙に形を変えた「豊かさ」なのだから、豊かさを出し惜しみしたり豊かさを受け取る事を拒否するのはナンセンスだと思う。
このお金に対する考え方も子供の時の経験や親の教えが大きく影響してる。
もっとフラットに真っ直ぐに考えていいはずだ。
お金を大切にするっていうのは有意義に使うことでしょ。
楽しく使って豊かさを具現化することでしょ。
お金に否定的な人とは関われないなぁ。と最近よく思う。
いつの間にか自分の中にあった「正しさ」が自分自身を苦しめている事、伝えていきたいな。
本当はもっと誰もが自分らしくいていいのに。
何が正しいとか何が間違ってるとか、そんなにないでしょ。
それが好き、嫌い、自分がこう思う、そういうのを固定概念を外して感じていきたいし、そう在る人が増えればいいなって本気で思う。
正しさなんて人それぞれ違うんだからどうだっていいよ。
フラットになれば合う人と合わない人の距離が最適化されて不快と思う事が極端に減るのに。
喜怒哀楽は、あっていいもの。
自分の中でいつの間にか作り上げた正しさに人をあてはめて当てはまらないと他人に対しても怒ってるってなんか滑稽なんだよね。
自分に害があるわけでもないのに人を批判したりね。
関わってらんない。
俺に必要な物が自然に入ってくる、集まってくるように心の中はいつも自由にいたい。
そしてこれからも自分の判断基準で決めていく。
賛同する人はくればいい。
合わない人は去ればいい。
シンプル。
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