本当の声はなんなのか。
表面的な事ではなく、善悪でもなく。
心はどう言ってる。
常識とか全て取っ払って感じた時に何を望んでる。
全部、自分で選んで決めてきた流れの中で。
その行動の本当の理由はなんなのか。
何をどうすれば満たされるのか。
きっと、本質を無視して目の前の問題を取っ払っても、何度でも何度でも同じような出来事が起きるだろう。
現実の世界に起きているのは、自分が働きかけた結果だけど、無意識のうちに働きかけているものも少なくない。
だから理由がわからないのに大切にされない、理由がわからないのに苦しい、理由がわからないのに上手くいかないって事あるんよな。
不幸な事ばかり起きる人がいる。
いつも運がいい人もいる。
それは、その無意識の段階での自分の働きかけによるものだと俺は思ってる。
運が悪い人、上手くいかない人は無意識のうちに上手くいかないように自分でやってる。
幸せな人は、無意識なうちに幸せになるように行動出来てる。
この無意識の段階に自分で気づくのは難しい。
なにせ、無意識だから。
劣等感を抱えていたり罪悪感を抱えていると、周りから見て不可解な行動や言動が目立つようになる。
その違和感を感じると人が離れていく事もある。
劣等感や罪悪感を持っていると、過剰に反応してしまって、それが喜怒哀楽にも反映してしまう。
行動にも出てしまう。
どこにいって何をやっても同じような結果になるのはそういう事なんよな。
場所を変えても結果は同じだよ。
表面的な現実をどれだけ解決したと思っても、本質に手を伸ばせていないのであれば何度も同じような事が起こり、なんで自分だけ。。と思うようになる。
そうなると物事のマイナスな側面を見るようになって負のループに入る。
他の人の評価とか、誰かの言葉とか、相対的な事は変動していく。
でも、自分は自分としていつだって自分を認めようと思えば認める事が出来るんよな。
だから自分で自分を肯定してしまえばいいと思ってる。
そのうえで、自分が本当はなにをどうしたいのか。
心の声に耳を傾けたらいいよな。
ほいで、そこで出てきた声を叶えていけばいいじゃんな。
だって、人生において、やったらいけん事ってそんなにないじゃん。
無駄遣いしようが損しようが、昼寝しようが忙しくしようが、本来自分次第なはずじゃん。
欠乏感を上手く利用して頑張らされてる気がしてならない。
自分が自分らしくいる、そのうえで色んな事をやっていいはずだ。
もちろん、馬車馬のように働くのもいい、1日中寝まくるのもいい。
全て選択出来るはずだ。
安心という言葉と引き換えに「お休み」さえ決められる権利を明け渡してしまう事に昔から違和感があってさ。
そんな生き方しか出来ない!?いや、違う。もっとゆったり楽しく生きてる人はいる。
そういうことずっと考えてきた。
様々な観点で自分なりに調べてみたけどさ、いくつか考え方があると思う。
左脳的な成功の仕方と右脳的な成功の仕方。
これを間違えると結構危ないと思った。
俺は完全に感覚を信じていくタイプの人間だと思ってる。
昔から直感だけでやってきたようなもんだから。
俺は「ちゃんと」「常識的に」やる人間ではない。
マジでやばいくらい気分屋だしな。
それでも出来る方法、探したっていいじゃんね。
心の声に耳を澄まして。
本当にやりたいことはなに。
自分が自分でいられる生き方。
誰もが模索していいと俺は思ってる。
型にはまる必要なんて一切ないしな。
理解されないくらい独創的な道をいけると楽しそうだな。
そこまで突き抜けないと俺が俺らしくなんておれんよな。
常識とは合わない価値観を持ったからこそ模索していこう。
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