人と知り合ったり仲良くなったりする時に意識しにくいけど物凄く大切な事に「場」がある。
人と人が関わるには必ずその「場」があるわけだ。
学校、会社、コミュニティ、インターネット、様々な場があるが、その場がなければその人と知り合わなかった。。という事は無数にある。
人と知り合ったり仲良くなったりする時に、まるで自分の力で仲良くなったと思う人が多いと思うけど、長年「場」を作ってきた俺からすると、場の力で人と人をつなげてることだってある事を忘れないでいていてほしい。
場を蔑ろにする人は嫌いだ。
各「場」にはルールが有る。
そのルールを守る事もせずに自分勝手に振る舞おうとする人は珍しくない。
ルールがなければそういう人で溢れて場が荒らされてしまうのだ。
その場にとって有益な人は荒らされた場に残りにくい。
逆に、自分勝手に振る舞う迷惑な人は荒らされた場を更に「悪気なく」荒らす為に固執する。
だって、そんな迷惑な人、他に受け入れてくれる所なんてないからだ。
有益な人はどこにいってもその場の価値を高めるし、どこにいっても好かれる。
大概、場を壊すのは一般的にマイナスなイメージをもたれる人だ。
自分勝手にやりたいなら自分で場を作ればいい。
それが出来もしないのに、人の所にきて好き勝手する。
そういう精神姿勢が大嫌いだ。
ここ数ヶ月、自分の中の好きな事、嫌いな事が今までにもましてハッキリしてきている。
それをありのままに表現する事に若干の恐さもあるが、今の俺には出来る。
だからこうして書いている。
自分という人間をハッキリさせたいと思ってさ。
好きなものは好き。
嫌いなものは嫌い。
嫌いなものを嫌いと言えない人生って幸せじゃないとさえ思うようになった。
もちろん、言う必要があるかないかってのはある。
でもその判断基準さえ自分の中にあって、自分で決めればいいんだと思った。
合わない人を引き寄せて、いい事なんてないよ。
マイナスは早めにカットしてプラスは最大化する。
これが一番いい。
まるで投資の話のようだけど、ほとんどの事に通ずる事だと思う。
嫌いな事をせずに、好きな事で満たすようにしていけば人生のほとんどを好きな事で過ごせるようになる。
これ、言うのは簡単だけど現実には色々大変な場面って多分出てくるよね。。
でも意識してそうしていきたいなって思った。
自分の人生を使っての社会実験。
なんでもやってみんとよくわからんからさ。
なるべく自分のハードルを上げないようにしたい。
俺は器の大きな人間じゃないし、崇高な精神姿勢だって持ってない。
ただ、自分に素直にいたいな。
それは本当に思うよ。
話を戻すけど、「場」の大切さを知らない人とは合わない気がしてる。
逆に、「場」に感謝する人とは関わっていきたいね。
機会も「場」だと思う。
俺は「場」の力を高めていく事が得意だと自分で思ってる。
ただ、今まではそこに場に感謝しない人も平気で入れてしまってた。
本当よくなかったなって思った。
その「場」が特別なものなのだと説明する事もなかった。
そして、俺自身俺が作った場を軽く見てた気もする。
反省する。
意思を統一した場は本当に強い。
他にはない場所になる。
その場を大切に思う全員が守りたいと思うようになる。
自分の事しか考えてない人が一人も入っていない状態の場というのは全員が心地よくて素晴らしんだよ。
自分が作る「場」に関して自画自賛するのはなんだか滑稽のように思ってた部分がある。
しかし、価値あるものを価値あると俺自身が言わなければ、その場にいる人さえその場の価値に気づかず蔑ろにするかもしれない。
それは本望ではない。
俺以上に、俺が作った場に感謝し大切にする人で溢れるようでなければならない。
そう思ったよ。
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