もともと性格がとても暗く、人見知りもとても激しく、とても空気が読めなかった。
当時、そんな自分が「普通」になるには「普通」をとにかく勉強しまくるしかないと思った。
それから人間関係や心理について自分なりに学んでいって理解出来るようになった。
そして、一般的な考え方と自分の考え方はどう違うのかある程度分かるようになってきた。
会社で雇われていくには本音と建前を使い分ける必要があった。
雇われている以上、すべて本音で。。とはいかない。
仕事だけではなく、関係性において、そういうことってある程度あるけどね。
今、本来の自分を思い出していくなかで、あまり本音を人に話さずにきたように思う。
その理由として、本音を話してもその通りになった事って、とても少なかったり、あまりたくさんの人に言いたくない本音をほかの人に話された事が何度もあったからだ。
この人だから話してみようっていうこと、ある。
でもそういうのがわからない人っておるんよな。
「ここだけの話し」や、「相談」っていうのは秘密にしているようで、結構広がり本人の耳に届いてしまうもの。
その理由として、口が軽い人は信頼が薄く、「この人がこういう事を言ってたよ。」なんて教えてくれたり、時にはメールやLINEでその内容をおさえてくれていたりもする。
あまり軽く人を信頼してはいけないと思ってきたのはそういう事がたくさんあったからだ。
そして本音を誰にも言えなくなった。
「相談」という名のただの悪口や、自分の味方をして欲しいだけ、自尊心を満たす為の会話に使われる事にうんざりする。
その相談相手が、俺とツーツーだという事も知らずに自分がその相手と一番信頼関係を結んでいると勘違いして俺の悪口を言ってるのを見ると可哀想にも感じる。
でも、その時点でその人の底が見えるんよな。
人間関係、色んなことがある。
最近は特にないけど、過去には色々あった。
もちろん自分が悪かったこともたくさん。
人が悪いばかりではない。
それもこれも、たくさんの人、色んな人と関わろうとした結果だと思ってる。
価値観が入り混じってもそれさえ楽しもうとしてた。
表面上は楽しくいけてても、みんながみんなそうじゃないわな。
そういう事を体験出来たのは自分の人生の中でも大きなことだと思った。
体験から学ぶ事は多い。
友達もいなく、明らかに嫌われるだろうな。。っていう人も受け入れてきた。
学校やお店、会社ってそういう感じだったから、それが当たり前だと思ってたフシがあるようにも思う。
全力で、その人に友達を作ってあげたいと思い、仲間に入れてあげたいと思い、行動した。
その結果、今まで友達があまりいなかった人がどうなるか。。
自分が輪の中心になりたいが為に俺の評価を落とすような事を平気で言い出す。
今まで小さな世界でしか生きてきてないので、自分が言った悪口が本人に届くなんて事は想像もしていない。
そういうことが本当にたくさんあった。
何のために俺は活動をしてるんだろう。。と何度も思った。
さみしい人に友達が出来たり、仲間に囲まれて生きれれば一番いいなって真っ直ぐに思ってた。
過去の自分は友達は本当に少なくて、今でも少ないけど、どうしようもない気持ちがわかるからこそ、自分一人ではどうにもならないと思っていたからこそ、何か出来れば。。と思ってた。
しかし、友達がいない人にはそれなりの理由がある。
その理由が、俺は人見知りだから。。だけのように思っていたけど本当は違う。
その事に気付かされた。
俺が気付き、自分の中で認めるまで何度も同じような事が起きた。
そりゃそうよね。
同じ行動をとってるんだから。
誰かにとって、都合がいい行動はとれていたとは思う。
でも、自分も相手も仲間も幸せになるかといえばそうじゃない。
人と出会い、信頼関係を築く、この2点がハードルが高い。
そのハードルをクリアさせられる仕組みを作り上げたはいいけど、調子に乗って俺を落とそうとする。
俺は正直、何度だってそういう場を作る事は出来る。
俺を悪くいう人と繋がっていなくてもね。
そういう事に本当にうんざりしたのがここ数年の俺の変化の理由だったなぁと振り返る。
誰かの人生を良い方に変えてあげたい。
その気持ちは自分の中に根源的にある。
感謝されなくてもやる。
それが自分の中での方針だった。
しかし、感謝の気持ちさえ持てない経験値の浅い人の人生を、例えいい方向に持って行くことが出来たとしても、それは逆に危ない事のようにも思えた。
みじめだった時の事をちゃんとずっと覚えて、そこから劇的な変化を遂げる事が出来たなら自然と感謝の気持ちというものは生まれてくるものだと俺は思っていたし、それが当然だと思ってた。
でも、そうじゃない。
俺の考えが及ばない人間がまだまだいる事に気付かされる。
俺も本当に未熟な人間だ。
今までだったら、絶対こんな事ブログに書かんかった。
自分自身の未熟な部分を露呈する事になるし、読んでも何も得るものもないだろうから。
俺は基本的に人に相談する事が少ない。
自分の中で答えはもうでている事がほとんどだし、悪口になる危険性を孕んでいる「相談」があまり好きではないからだ。
自分で決めて、自分が出来る範囲で臨機応変に直感で動ける環境を作っていきたいと思ってる。
昨日考えてた事と同じ事を今日も考えているとは限らない。
だから、人と共同で何かをするっていうのは俺には向いていないのだとわかった。
どうしても遠慮が出たり、本当の自分をすべて人に出すっていうのは無理だから。
誰にも支配されずに自分の判断基準でやっていきたい。
これは昔から思っていること。
その為に知識もスキルも必要。
常に対応出来るように。
そうしてきたからある程度人と関われるようにもなってきた。
自分の可能性を広げる事にはいつだってしっかり投資してきた。
その自負はある。
子供の時からずっと自由に憧れてきた。
学校を卒業したら自由になれるような気がしていた。
でも、そうじゃなかった。
大人になってから好きな事をやりなさい。
そう言われてきた。
けど、現実は、自由だと感じるにはお金、時間、信頼出来る人間が必要だと感じた。
いくらお金と時間を手に入れても、孤独だったら面白くもなんともないよ。
虚しいだけなんだと思う。
運がいい事に、昔から人には恵まれる。
本来極端な人見知りの自分がたくさんの人と関われているのは、恵まれているから。
もちろん、人に興味を持ってもらう努力を過去にしてる。
それが習慣化しているから話しかけてもらえるんかな。
時間とお金がなく、仲間や友達だけはいた時間が長い。
それはそれで幸せを感じる事は出来た。
もうちょっとお金があったらなぁ。。とずっと思ってた。
でも、これが逆だったら。。と、ふと考えた時に恐ろしくなった。
お金と時間だけあって信頼出来る友達や仲間がいない。。
これほど孤独なことはない。
まさにお金は紙くず、時間は、まるで牢獄に入れられて天井を見つめるような永遠とも思えるような退屈な時間。。
何が足りなくとも満足する事はないとは思う。
すべてを望むのも自由だ。
誰もが、自分らしくいられる事を俺は望む。
俺も、その他の人もみんなね。
しかし、俺が関わるには時期尚早な人がいることも経験からわかってる。
俺が。。というより、俺を含めたみんなが。。か。
関われない人は確実に存在する。
関わりたいと思えない人と表現するのが正しいか。
俺を支配しようとする人、自由を奪う人、ムダに批判する人、感謝の気持ちが全体的に薄い人、俺の周りの人に迷惑をかける人、人間的に未熟な人。
実年齢は関係ない。
子供でも成熟してる人はいるし、年配の人でも未熟な人もいる。
実年齢で人は見てない。
あと、性別も関係ない。
こういうのはいちいち分析しなくてもフィーリングである程度わかるね。
あ、この人、合うわ。とか、この人ないわ〜とか。
広く、否定せずに色んな人と関わってきた過去の経験から、今考えるとこの人ないわ〜。。って思う人たくさんおるわ。
もちろん、その人にも、俺という存在、ないわ〜と思われてたと思うけど。笑
お互い様よね。
関わらないのが一番。
本当ここ数年自分を見直して変われる事が出来てきてると思う。
極力、本音を書くこのブログの存在も、自分で作ったものではあるけど大切だなぁと思う。
たくさんの価値観が生まれてる。
無数にあるたくさんの価値観の一つとして、共感する人だけ見てくれればいい。
そうじゃない人は見る必要ないよな。
嫌な気持ちになるだけじゃろ。
無理に読んで欲しいとも思っていない。
過去の出来事の感謝の気持ちを、ありありと持っていていつも実感している人が好きだ。
そんな人いるの!?と思うかもしれないけど、俺が忘れてたような事でも覚えていて、ずっと感謝してくれる人っている。
そんな時、あ〜、今までやってきたことも、完全にムダではなかったんだなと思える。
今の自分があるのは過去の何があったからか。。
その事については俺もよく考える。
そして、今はもう連絡とってない人でも、いまだに感謝してる人が何人かいる。
自分という存在を形成する大切な要素、経験をくれた人達。
時に、大きな貢献や優しい気持ちをくれ、自分の事のように大切にしてくれた。
ずっとずっと、忘れることはない。
自分という人間の存在価値というのは、自分ではわからないものだ。
だから、みんな自尊心を満たす為に色んな事をやる。
時にそれが裏目に出て嫌われることだってあるだろう。
正直、俺も俺自身の存在価値なんてわかんない。
変動しているのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。
相対的なものなのか、固定されたものなのかもわからない。
かといって、誰かに相対的なものなのかどうなのか聞きたいわけでもない。
自分で生きている中で見つけていくのが楽しいんだから。
それに、どうせ俺は人の言う事きかんしな。
自分の思ったようにしか思えんし。
もし、今日俺が死んだらどれくらい悲しむ人がいるだろうか。。
3年に1回くらい考えるかな。
自殺願望は皆無だし、元気なんだけどさ。
俺に、もっとあ〜してやればよかった、こうしてやれば良かったと思ってくれる人なんているのかな。。とかね。
そう考えると、逆に俺も後悔ないように生きていかんとなって思える。
日々の中で、本当に大切なものは何なのかっていう事を忘れてしまうこと、よくある。
生きて、いつか確実にみんな死ぬというのに、今を生きれていないことあるよ。
もっと自分らしく、もっと自由に。
ずっとずっと、我慢してきたこともたくさんある。
命が輝くような日々を送りたいな。
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