人が幸せになるその様を見る事が好きだ。
その半面、人と関わるのは苦手なほうだ。
自分にも相手にもストレスのないように関わり、相手が幸せになるような事が仕事になればいいなぁとふと思った。
人と出来るだけかかわらずに仕事をしている今。
自分自身にかかるストレスは限りなく少ない。
これは本当にありがたいこと。
常識から外れていても、いいんだよって言ってあげたい人がたくさんいる。
変なふうに思われたって別にいいじゃん。って。
あなたの価値は他の人が簡単に下げる事なんて出来ないっていう事を伝えたい。
真っ直ぐに、そういう事を伝えるという事で生活が成り立っていけば、誰かの自尊心を保つお手伝いが出来たり、一緒に幸せを見つけていく事が出来ると思った。
そのために、このブログ等でも、幸せについてや生き方について、俺個人の考えについても、もっと具体的に書いていったほうがいいと思った。
今、誰に変に思われても正直問題ないというか、困る事が少ない。
やはり自分は身軽にいないといけないと思った。
関係性が大きくなれば、こちらを立てればあちらが立たず。。という状況が大きくなったり、一部自分の考えがそのまま誰かの考えを否定する事になりかねなかったり。。
でも、そもそも俺の考えは俺の考えであり、この世の唯一の正解だなんて思ってないし、誰がどんな考えを持っていようと自由なわけなんよな。
気にしなければいいんだけど、やはり無視して。。というのは難しく。
かといって、オブラートに包んで。。なら書かないほうがよかったり。
結局はたくさんの人と関われば関わるほど価値観の統一が重要になる。
多種多様な価値観を持っている人がいるなかで、関わる人を絞らずにいると、コメント欄が荒れる可能性が高くなるし、誰も楽しめなくなる。
そういう視点で考えると、相手を尊重すればほぼどんな人とでも関わる事はできるが、果たして関わる必要があるのか?ということになる。
本当に関わりたい人とだけ積極的に関わる、それが一番価値観の統一に貢献するのではないか。
仕事っていうのは誰かを幸せにするものであるべきだ。
それがどれだけ遠回りであろうとわかりにくいものであろうと、そうあるべきだと思うし、そうじゃないと仕事にはならないと思う。
もっと直接的で根源的な方法で人々の心を良い方向に持っていく事が出来たらとても素晴らしいのに。。なんて、大それた事を思うわけです。
そんな心が自分の中にも確実に存在してんだよな。
クズみたいな最低な性格の男でも、そういう気持ちは本当に持ってんだ。
それをアピールしたいんじゃなくて、仮に一般的に理解されなくとも、一部の人にとって、なくてはならない存在になれたらいいなと思うわけです。
人は幸せになるべきだ。
人だけではなく、動物もなにもかも。
それがいいに決まってる。
でも、意外と幸せになるなり方って教えてもらってない。
一般的な事を実践した結果、幸せだと感じる人もいれば、そうじゃない人もいるだろう。
俺は俺の幸せの在り方を追求して伝えていくだけだ。
10代の頃から「リアル」を追求してきた。
本当の事は、なんなのか。
キレイ事なんてなくなっちまえよ!って思ってた。
20代は理想を追いかけた。
心のそこから、なりたい自分になれるように実践した。
30代は、再びリアルに還ってる。
様々な経験から感じた事をもとに考えられるようになった。
自分らしさを追求した時に幸せのヒントが出てくる。
自分らしさってものがわからないっていう人もいるけど、誰もがそのひとらしさを持ってると俺は思ってる。
「特徴がない」という特徴を持っているというか。
そういうのは自分では気づきにくいもの。
しかし、「好き」から逆算したらその人らしさが浮かび上がる。
自分をタグで表してみるのもいい。
俺の場合、
動画、創作、写真、音楽、雑貨、ゲーム、YouTube、インターネット、SNS、コミュニティ等。
自分を代表するワードを並べると自分らしさが見えてくる。
そこから入って、もっと内面的な部分を普段から細かく見ていくと、本当の自分に気付く。
そういう意味では自分自身とずっと向き合って対話してきたからこそ、自分らしさを見つけるお手伝いは出来ると思ってる。
今後、お金が十分あって、自分のやりたい事をやりきった先には、人が幸せになるお手伝いをしたいという願望があるとよく思う。
その代わり、自分を犠牲にしてまでやろうとは思わないという事も感じる。
自分も相手も幸せという状態がベストだから。
いつも心が安心した状態で日々に幸せを感じられる心を養うこと。
これは人生において大きな財産になると思ってる。
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