過去の自分を振り返ってみると、人に貢献したいとずっと考えていて、貢献する事で信頼を得るというのがいい事のように思っていた。
もちろん、それで信頼関係はある程度結べるとは思った。
でも、結局自分が軸を失ってしまってはどうにもならない。
これは誰のせいでもない、俺自身の問題なんよ。
人の手伝いばかりして、自分のプロジェクトをいつの間にかしなくなっていた。
自分がやりたい事が、人の手伝いになっていたのかもしれない。
それはそれでいいんだろうけど、今の俺はちょっと違う。
自分のプロジェクトについて考えたい。
人の手伝いはもう十分やったよ。
自分に自信がないから、きっと貢献しないと誰もついてきてくれないと考えていたところもあったんだと思う。
今の俺の考えとしては、最悪一人でも出来る事を継続していくということ。
手伝いたいと思う人が出てきたら、人を選んで手伝ってもらうかもしれない事。
不思議な事に、好きな事を本気でやってる時って、向こうから人が寄ってくる。
俺は俺の価値観でやりたい事をやればいいんだと今は思ってる。
誰に合わせる事もない。
そうしてたら、それでも成立する人だけ残るから。
それで成立しない人は去っていく。
それでいいと思う。
そんなふうに構築された無理のない人間関係だったらきっと、似た者同士が残ると思うんだ。
無理に関わってもらう必要もない。
本当の友達、本当の仲間っていうのはきっと、無理して一緒にいるものではないだろ。
いいとこも悪いとこもある、それでも繋がっていたいし、繋がっていてほしいと思う関係。
35歳になって、より一層自分の道を行くと決めた。
狭く深く人と関わっていこうと思った。
ペースが合う人っていうのも大事だな。
俺の繋がりを目的として近づいてくるやつがいるけど、ほんまそういう人いらん。
俺の周りの人間を目的としてくるやつはいらん。
1対1で遊びたいと思えるような人を周りにおこう。
昔に比べ、時間をすごく大切に感じてる。
不快な時間を過ごすなんてバカバカしくてさ。
昔、よく思ってた。
合わないやつと遊ぶくらいなら一人の方がマシだ。
と。
面白くないやつが一人でも入ってくるとマジつまらんのんだけど!
って、本気で昔思ってた。
ひどいよね。笑
あ、学生時代のはなしよ。
それくらいはっきりしてたんよね〜。
今、でもその感覚を思い出してる。
面白くないやつが入るとつまらないというよりも、面白いメンバーだけで遊んだほうが楽しいに決まってる!っていう感じかな。
よく考えてみたら、俺は誰とも関わらないといけない義務なんて一切ないんだよなぁ。。って。
これは誰もがそうなんよな。
同じ会社の人とか学校の人となると難しいけど。
今、そういうのないし。
いつも、人を理解しようと努力してきた。
自分は変わった人間だという自覚があるから。
でも、本当の自分の欲求に耳を貸す事はその分蔑ろにしてしまっていた気がした。
人に合わせる事に精一杯で、そうしないとひとりになるような気がしていたんだ。
でも、幻想だよね、それって。
合わせなくても遊んでくれる人いるしね。
あまり友達は多いほうじゃないんだ、昔から。
本音で喋れるのは何人いるだろう。
だけど、男女問わず、繋がっていたいと思える人はいる。
とても少ないのだけれど。
関係性は一方的な物と一方的な物が噛みあった時に成立すると思ってる。
だから、相手も自分と繋がっていたいと思ってくれていた場合にとてもうれしい。
自分が繋がっていたいと思っていて、相手も同じように思っていてくれる、これって奇跡的な感動的な事だと思うんだ。
こちらの一方的な思いの時もあれば、相手の一方的な思いの時もあると思うんよ。
だから、友達であれ、なんであれ、お互いが同じように思っているってすごいこと。
人に合わせれば絶対数は上がるかもしれない。
けど、ずっと小さい無理をし続けなければならない。
パーフェクトな関係性なんてないのかもしれないけど、お互いが無理せず、お互いのペースでいられるような関係性を俺は求めてる。
それでいて建設的。
世間で名前がついているわかりやすい関係性じゃなくていい。
関係性はグラデーションだからさ。
独特な関係性だっていいんだ。
型にはまる必要はないから。
まるで自分と対話しているかのような関係性が理想的だ。
言葉はなくとも成立する空気感。
そういうのがいいな。
自分がどうしたいのか、どうなりたいのか、本当の自分とはなんなのか。
考えていくなかでそんなことを思ったよ。
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