誕生日について書いてたんだけど、なんだか気分が変わったので気が向いたらまた出す。
このブログは自己満ブログなんで、どんな記事を出そうが出すまいが俺の勝手なんだけど、なんとなく。。ね。
ふとさ、概念を伝えたいと思ったんだ。
日常であまり耳にしないような言葉と言葉の組み合わせ。
普通はダメだと言われている事でも俺の中ではオッケーだったりするわけだ。
別にいいじゃん、細かいことなんか。
本当に思う事を大切にしようよ。
概念を伝えたいなんて言ったらなんだか大げさだけど、何がしたい?と言われた時に自分の価値観や哲学や考えなんかを理解されようがされまいが0.0000000000001%の人が深く納得してくれたらいいな。なんて事を考えてる事に気がついた。
もう、「普通」なんてどうでもいいんだよ、マジで。
誰もが、自分がどう思うかで生きてんだ。
素直に、そっちでいいじゃん。ね。
人と違おうが常識と違おうが理解されようがされまいが、そんな事はよくて、深く思う事、遺伝子レベルで何を感じているのか耳を澄ます事の方がよっぽど大切じゃないか。
どうでもいいことはさ、SNSやテレビやインターネットで思う存分溢れてるよ。
自分の中の事は、SNSは教えてくれない。
自分で自分の心に耳を傾けない限り誰も教えてなんてくれないんだよ。
死にそうに孤独でもお金が無くても人生のピンチでも、わかってくれる人がいる人は幸せな人で、友達もいない、恋人もいない、それで幸せだと感じている人はいいが、満たされてない人も世の中たくさんいるんだ。
誰もがこんなに不幸なのは自分だけだなんて思ってるけど、実は下には下がいるし、上には上がいる。
どこまでいっても本当は誰もが中途半端なんだと思う。
もちろん、俺もね。
本当の自分を本当に理解出来るのは自分しかいないんじゃないかと現在の俺は思ってるよ。
未来の事はわからない。
自分の痛みや感情レベルは自分にしか正確に把握出来ない事を考えると、他人からは想像の域を出ないんじゃないかと思う。
でもさ、それが当然であり、分からないから理解したいと願うその気持ちに愛を感じるんじゃないかと思うんだ。
何をどうやっても否定する人はいる。
何をどうやっても賛成してくれる人もいる。
じゃあ、自分がどうしたいかだけだよね。
だとしたら、本当の自分に自分が気付いていなければ自分というものはとてもふわふわとしたものになって、自分じゃなくてもいいじゃんって話になると思うんだ。
誰もが、自分にしか出来ないものを持ってると本気で信じてる。
ハンデをおってる人にはハンデをおってる人にしか言えない言葉がある。
天才には天才にしかたどり着けない域がある。
絶対数がどうとかじゃないんだ。
全てにおいてパラメータが全く同じなんてありえないし、一卵性の双子でさえ遺伝子は同じでも環境によって思考は変化していく。
平均的である必要はない。
個性的で独創的でいい。
誰に向けていってんのか、自分自身に言いたいのか、わかんないけど書きたい事があるってのは幸せだなぁと思った。
本当細かい事をウダウダ言う人が世の中にはいる。
そして、そんな人達の目や言葉を気にしている事が本当に時間のムダだと思ったんだ。
最近、何かあったわけじゃないんだけどね。
ここ数年、納得のいかない事が起きて自分の中で答えを出せずにいた。
けど、そんなの俺だけじゃないわな。
自分だけが不幸なわけじゃないし、俺に起こってるのは不幸とも呼べない小さなこと。
そして、幸福な事の方が多い。圧倒的にね。
マイナスにフォーカスすればどこまででもできるが、そんなことしてもマジ意味ないしな。
そして本気で恵まれてると俺、思ってる。
湧き上がる感情を大切にしたいし、素直でいたい。
素直に出せないような環境に自分を置く必要はない。
もともと在りの侭いたいから自分の居場所を自分で作ってきたんじゃないか。
それなのにがんじがらめになったり信頼出来ない人がいたり、なにやってんのって話し。
誰も強制なんてしてないのにさ。
サバサバしてたいなぁ。
どうでもいいことはマジどうでもいい!
大切なことだけ大切にしてたい。
心に少しの毒を持とうと思ってんだ。
光だけではなく影も引き受けた時に初めて魅力になる気がしてる。
わざとらしいものではなく、もともと存在しているそれを大切にする。
自分はいいとこばかりじゃないから。
概念を伝えたい、その想いの中には、俺が知らないまだ気付いてない感覚にも気付きたいという思いも含まれている。
アウトプットしようとするとき、インプットしようとする無意識が働いてる。
自分が何者なのか。。なんて、きっと自分で決めるものなんだよな。
大きく思えば大きいし、小さくすれば小さいんだ。
姿形も、心の奥底も、きっと、思い通りなんだ。
なんかそんな気がするよ。
だから、モヤモヤしたくない。
人の言葉に振り回されたくない。
考えを押し付けられずに自分の感覚を追求したい。
全くまとまりのないブログだが、自分の想いの再確認の場所として残していきたい。
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