昔から短気だ。
よく、気が長い人、あまり怒らない人だと勘違いされる。
本当にそれは大きな勘違いだ。
俺と付き合いが長い人程、そのへんはよくわかっていることだろう。
しかし、マイナスな感情を表面に出さないように心がけていたのは事実だ。
その結果、人から「なめられる」ようになった。
本来、なめられるのが物凄く嫌いだ。
負けず嫌いなのもあって、なめた態度を取る人が嫌いだ。
そういうやつは人を見てんだ。
あいつならきっと怒らないからこんな態度をとっても大丈夫だろう。
そんなクソみたいな甘い観測が大嫌いだ。
大人になって、小さい事でキレたり怒りを表現すると引かれるんじゃないかと思って気をつけていた部分が大きい。
特に、たくさんの人と関わったりコミュニティを管理するようになってからは。
最近よく思うのは、怒らないと、利用されやすかったりなめられたりする。
やりたい放題かよ!って、よく思う。
俺は善人ではないが、善人になりたいと思ってきた。
その為に心の根本から変わりたいと思ってきた。
でも、俺が思う善人になれたとして、そこには人になめられても好き勝手やられても怒ってはいけないのであれば、善人になんて俺はなるべきではないと思ったんだ。
心の底から人の幸せを願う気持ちがある。
俺の怒りやすい一面を出す事で、自分の純粋な善の心さえ否定されてしまう事が悲しかったのかもしれない。
性善説ではなりたたない事も多いと思うんだ。
小さい事で腹を立てる事もある。
人から見て小さい事を許せないことだってある。
それを相手に腹立つんだと伝える事が悪い事ならば、俺はひとりぼっちでいいとさえ思うようになってきた。
伝えて、理解されなければそれはもう価値観の違いだろ。
嫌なことを我慢してまで続ける関係ってなんだよ。
友人関係、ネットでの関係、どんな関係であれ自分が自分らしくいられない関係性を続ける事にどれだけの価値があるんだよ。
嫌なものは、嫌。
嫌いなものは、嫌い。
自分も相手も、譲れない部分ってあるわな。
その譲れない部分を譲らなければなりたたない関係性っていうのが価値観が合わないという事なのではないか。
怒りについて考えた時に、怒りは自分を守る為のものでもあると思ったんだ。
俺は、怒って感情をぶつけて、大切な人が俺のもとから去っていったという経験を何度か繰り返した。
もちろん、手を上げたりはしてない。
ただ、言い過ぎた自覚はある。
大切な人が去って行っても仕方ないとその時、本当に思った。
俺が悪かったと。
そして、今でもそう思ってる。
でも俺は結局そういう男なんだよな。
どれだけいい人のような顔をしたって暴言を人にぶつけるような人間性なんだよ。
それでいいとは思わないが、もともとそういう人間なんだよっていうのを知ってもらって関わるかどうかを予め判断してもらう必要はあると思うんだ。
自分のダメな所なんて、出来るだけ見せたくなんかないよ。
でも、相手からしてみたら判断要素を隠されては関わるかどうかの判断だって出来ないよね。
見える部分でしか判断出来ないんだから。
いい人そうに見えたのに、頑固だったり怒りやすかったらがっかりして当然だよ。
でも、この人は怒りやすいし、考えをめったに曲げる事もないとわかったうえで関わってもらったなら、いつもの事だとわかってもらえるんじゃないか。
俺にとって、どうでもいい事は本当にどうでもいいし、いくらでも譲れる。
でも譲れない事があったり、怒るポイントは人には理解されないかもしれないけれど、その感情は自分の中で確かに生み出されたものなのだから、自分もその怒りの原因を探り、こういう事で起こるのだと伝えるべきなんだ。
きっと理解されない、わからないだろう、言ってもムダだ。
そんな考えが、怒りを表に出さないようになった原因だ。
浅い関係性を継続させたいが故のただの浅知恵じゃないか。
本当に大切に思ってもらえていたなら、友達だろうがネットの関係であろうが、俺が本気で怒っても関係性は壊れないよ。
そう、信じたいし、今は信じられる気がしてるんだ。
もちろん、離れていくひともいるだろう。
それはしょうがないんだよ。
傷つけられたら離れていこうとするのは当たり前だもんな。
でも、傷つかない関係性なんてあるんかな。
傷ついてでもそばにいたいと考えるからこそ関係性って続くんじゃないかな。
家族でさえ、心を傷つけ合う。
それでも離れようと思わない事のほうが多いんじゃないかな。
もちろん例外はあると思うけど。
自分が自分でありながら、相手が相手でありながら成立する関係性っていうのは、お互いが本当の自分でいなければ確認すら出来ないものだ。
怒りは、価値観を確認する為や自分を守る為に重要な感情なのかもしれない。
激しく感情が動いたとき、はじめて関係性が試される。
それでも乗り越えた関係はより強い絆で結ばれるんだろう。
なんかこう、本当の自分ってなんなんだろうとか、思春期のような事をここ数年考えてる。
それだけ真剣に自分について、自分の周りの事について考えてるんだ。
何をどうやれば幸せなのか、自由を感じるのか、上手くまわるのか。
世間的な良し悪しとうまくいくかどうかは、きっと関係ない。
自分の経験から探っていくしかないよ。
経験してそこからリアルに感じた事だけを信じる。
どんな経験も「本当」に近づく要素なんだ。
涙がでるほどの感情を味わい尽くせばいい。
悔しかったり悲しかったり嬉しかったり苦しかったり。
全部全部、自分のものなのだから。
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