本当の自分でいていいという事を自分で認めるのは案外むずかしい事だと思う。
きっと、これは俺だけじゃないんじゃないかな。
本当の自分はとても自己中心的で社会的とはとても言えない人間。
だから、人と会う時にはある程度ちゃんとしないと。。と考え、なんだか疲れてしまう。
この1年くらいかな、特に本当の自分でいるという実験を自分の中でしてみた。
けど、特に不具合もない。
いや、厳密に言えば、本当の自分だと自分自身思い込んでいても、ちゃんと本当の自分でいられているかはわからないんだ。
本当の自分ってなに。。?って、時々思ってしまうくらい。
わからなくなるほど、社会性を大切にしてきたんだと思う。
どうせ、上手になんて出来ないのにね。笑
自分なりに人と関わる時は出来るだけ嫌な思いをさせないように。。なんて考えてた。
本当の自分はほとんど喋らない。
面白く無いと笑わない。
好きな事しかやりたくない。
そんな自分でいいわけない。。なんて思ってたけど、よく考えて見れば、本当の自分でいなければ本当の自分を見てもらう事もなく、本当の自分で判断してもらう事もないんだと思った。
取り繕った自分で接している限り、取り繕った自分と合う人しか残らない。
その結果、自分も相手もいい話にはならないんじゃないか。
出来る限りでいいから、嫌われてもいいから本当の自分を出せる時には出していったほうがいいんじゃないか。
今は、そう思うんだ。
本当の自分でいて嫌われてしまうのならば、きっと表面上の自分でいた所で幸せにはなれないんだよ。
俺の場合、何をやるにしても自分でコミュニティを作ったりテリトリーを作ったりするわけだから、俺が俺でいていいはずなんだよ。
それなのに人に合わせようとばかりして軸を見失って。。なんか、何してんだろって。
気に入らないなら関わらなくていいよ!
それくらいの気持ちでいればいいんじゃない?
だって、価値観なんて人それぞれだろ。
そりゃ嫌われる事だってあるわな。
でも、嫌われる程の個性がなければ好かれる事もないんじゃないか。
どうでも「いい人」になるんじゃないか。
なんかそんなふうに思ったよ。
どれだけ偽ろうと、よくも悪くも俺は俺なんだからさ。
いい加減、本当の自分を生きれよって思った。
嫌われたからってさ、いいじゃん、そんなの。
何が不幸なのかって話し。
一生人に合わせて生きていくのか、嫌われながらも一部の人に好かれるのか。
我慢って、苦手なんだよね。
なんか、何してんだろってなる。
その時点で俺は俺でしか生きれないんだなって感じる。
本当の自分をもっともっと出していきたいね。
毒舌でも癖があってもそれが俺ならそれ以上でもそれ以下でもない。
そう思うんだ。
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