本当に好きな物ってのは
必ずしも「効率的」や「必要」ではないもの。
なのかもしれない。
欲しいけど、生活には必要ではないよなぁ。。とか、
欲しいけど、これに似ている物や
代用がきくものあるよなぁ。。とか。
こういう物の出現が一番困る。
心の中では確実に欲しいと思っている。
でも、無駄、勿体ないのかなぁ。。なんて
世間的な思考が邪魔をする。
「使えればいい」のであれば
なんでもいいはずなんだけどさ、
やはり機能美もそうだし
使いやすさ、そのもののデザインっていうのは
大切なんだ。
使っていて気持ちいいかどうか。
同じことが出来るものはあっても
同じ使い心地ではないから
悩むんだよな。
好きな物に真っ直ぐに、正直にいたい。
いつもそう思う。
あと、時間の使い方も
絶対必要な物だけではなくて
自分の心の余裕の為に
アート的な事もちょっとずつ
やっていきたいと思えるようになってきた。
どこまででもこだわっていいもの。
それと、向き合いたい。
感性は使っていないと鈍る。
創作やアートは、みるのもやるのも好き。
何にも縛られない発想を見ると
心が自由になるし、
誰にも理解されないであろうと思い作った物に
共感したり共感されたりすると
言葉にならない部分だからこそ嬉しい。
共感される為に作るんじゃないけどね。
外部は関係ないんだよな。
自分の中の感覚を形にする事。
その事に興味がある。
写真も好き。
心象風景を1枚の写真の中に
閉じ込める事が出来た時
涙が出そうになる事がある。
目に見えるそのままではなく
写真ならではの表現で
色、アングル、ブレ等
思ったように出来たらうれしいし、
「ああ、そうだよな。」
と、自分に自分が共感する。
そんな非日常的な感覚が日常のど真ん中で
繰り広げられ、自ら作り出せる感じが好き。
自分と向き合い表現するという事は
周りから見ればただのナルシストなんだろうと思う。
そう思われる事をどこか恐れている自分がいて、
本当の自分を出すのが難しくなってきてるように思う。
本当の感情や感覚ってやつは
誰かにとって都合がいいとは限らないし
絶対に口には出せない事だってあるでしょ。
外部との繋がりが強くなればなるほど
周りの目を気にしてしまう。
本当、そういうとこしょうもないなって。
心を落ち着かせ、
自分の感覚だけでやれる表現を
時間もお金も気にせずやってみたい。
自分の感覚と向き合う事は
生きている中において
有数の幸せな時間だ。
自分の中の深い部分に
タッチしたいんだ。
深く青暗い海の底に
静かにタッチするように。
イメージを形に。
感覚を形に。
心揺さぶられるようなものを
自分なりに。
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