新年早々色々考えてた。
本当はこだわりだらけなんだよな。
どうして、こだわりだらけの男が
こだわりがないような感じになったのかなって。
あ、俺のことね。
それを思考の中で紐解いていったんよ。
いつものようにこのブログは
ひたすら俺の個人的な思考です。笑
どうでもいいことだと思うから
無理に読む必要ないけえな。
「どうせ無理。」
っていうのが自分の中で生まれていったんだと思うんだ。
例えば、コミュニティを作って遊ぶにしても
どうせ俺がやりたい事をやりたいように
する事は出来ない。。とか。
一時、メンバーからたくさんの不満を受け取った事がある。
それは直接コミュニティとは関係のない事だったんだけど、
その当時、何をやっても上手くいかなかったんよね。
批判、不満をぶつけられて
最初は反論してたんだけど、
徐々にそれすら疲れ
どんどんみんなが敵になっていく気がした。
状況から客観的に考えて俺が間違ってたんだと思う。
でも、今でも俺はあの時の事をちゃんと理解出来てないんよな。
俺は自分以外の人の考え方って、
想像はある程度出来るけど
結構ズレがあるから本当の意味で一致する事は少ない。
俺がやりたいと思っている事は
望まれてない、必要ない、俺の意見なんて無駄。。
と、その時自分を落ち着かせて
そのままになってしまったんだと思う。
何も言わなければ
何も行動しなければ
批判も否定もされる事はない。
あの時初めて色々な事が恐いと思った。
時が経ち、
今はとても穏やかに暮らしている。
昨日かな、お風呂に入ってる時に
「この家ではどれだけこだわってもいいんだ。」
というインスピレーションがふと入ってきて
そこから思考を膨らませていった。
俺は今一人暮らしをしてる。
この家の中の部屋の配置をどうしようが
俺の勝手であり、文句を言われる筋合いもないし
文句をつけようという人もいないだろう。
そう、まさに好きにやっていいんだ。
なのに、どうせ金が足りないから
本当にはこだわれないだろうとか
時間がないから無理だろうとか
そういう雑念をずっと抱えていたように思うんだ。
だから安いもので済ませたりする。
2016年に入ってまだ3日しか経ってないけど
物のパワーというかエネルギーについても
考える機会が多い。
先日から捨てようか迷ってるバスタオル。
少なくとも15年間は使ってる。
ボロボロ。
肌触りも良くない。
これを、なんで捨てないのかと。
自分の思考を紐解いてみると
「まだ使えるから。」
というのが一番だった。
去年の年末に大きなバスタオルを1枚買ってみた。
肌触りもいい。
高級なものではないけれど
今思えばバスタオルを購入するという行為を
人生では数える程しかしてないんだ。
人生において、そんなにたくさん必要ないものは
実は多い。
菜箸、テレビ、冷蔵庫なんてそうそう買い換える事ないもんな。
靴下、パンツとかもある程度あればいい。
そうそう、去年の年末に
靴下とパンツ、まだ履けるけど
デザイン的にダサいけど履いてたもの、
古くなったものを捨てた。
その時に物のパワーがなくなってると思った。
古びたバスタオルもそう。
エネルギーがもうないんだよ。
だから、まだ使えるけど
使っていて心地良くないというか
積極的に使いたいとは思わない。
パワーがある物は
使っていて心地いい。
ふわふわしたりワクワクしたりする。
本当に。
日常で頻繁に使うし
そんなに買い換える事もないのに
貧素なものを使ってる。。
なんだか、それが自分の価値観のような気がして
嫌になった。
自分の持ち物は
他の同様のものとどこがどう違うのか
楽しそうに話せる人でありたい。
こだわりのない物に価値なんてない。
その他の中に紛れるどうでもいいもの。
どうでもよくない物にしたいなら
自分がその物に価値を見出すべきだ。
だから、どこまでだってこだわっていい。
こだわりが強ければ強いほど
その時選ばれた物は特別であり
価値が高くなる。
こだわりを持たずに選び続けると
物のエネルギーやパワーを
感じ取る力を鈍らせてしまう。
この物のパワーってさ
静物だけではなく
人間にもあると思うんだ。
この人とおると面白いなとか。
なんか、よくわからんけど魅力あるわ!とか。
そういうのに敏感でありたい。
コミュニティを10年近くやってきて
来るもの拒まずでやってきた弊害。
どうせ選べないんだから。。
自分が迎合するしかないと。
どんな人にも対応出来る人になろうと
躍起になってたように思う。
だから、人にこだわるという事が
とてもむずかしくなってしまったんだと思う。
本来、俺は人にものすごくこだわる。
執着だってある。
けど、強すぎる執着は邪魔な時だってある。
人が離れていくとき
その人の心はもう固まってる。
それなのにしつこく強く引き止めるのは
相手にとって迷惑でしか無い。
ぐっと抑える事を覚えた。
こだわれない場面がこだわりを削っていく。
自己中心的でいられない場面が
社会性を磨いていくと同時に
本当の想いや感情を削っていく。
一人の部屋で、
誰にも侵されることのない場所で
落ち着いて考えた時に
色んな感情が過去にあったのだと
気がついた。
それに一生懸命対応する為に自分は
削ったり足したりしながら
理解したくて成長したくてやってきた。
そして我をなくすという
安易な方法が正解だと思い込んでいた。
今、俺は過去の自分より
知り合いも関わっている人も少ないかもしれない。
人脈や繋がり、顔の広さを自慢していた
いわば深層心理では少なからず
自己顕示欲を満たそうとしていた自分。
その行為はきりがない。
「足るを知る。」
という言葉を老人の芸術家が
ふとテレビで言っていたのを見て
素敵な言葉だと。
欲は成長には必要だが
暴走すると幸福感を消滅させる。
色んな社長や偉い人とお話をさせてもらう機会を頂いたが
知ってるだけでは人脈ではないし
相手からすればただの小僧。
人脈とは自分の都合のいい時にお願いする相手の事ではなく
こちらがまず貢献させて頂ける関係性にある人の事だろ。
まずは、自分から。
そこからはじまる。
最初から人を利用してやろうと考えながら
人脈を広げてるクソみたいなやつに
本当の人脈なんて出来ない。
去年、「マイナス」の概念を取っ払った。
何がマイナスで何がプラスなのか。
全てをプラスにしようとすれば
人間らしくない感じになって
誰も仲良くしようなんて思わないんだよ。
本当の友達ってのは
ちょっとめんどいもんだ。
でも、しょ〜がねーな!
って、思えるもんなんだよな。
マイナス面を可愛らしく思えた時
本当の関係性が生まれるんじゃないか。
こだわりがないんじゃないんだよ。
本当はこだわりだらけなんだ。
どれだけでもこだわりたいよ。
お金の事は気にせず選びたい物を選びたい。
その為にしっかりと稼がないと!
高いものが欲しいんじゃなくて
結果的にこだわりのあるものは高くなるもんだ。
心からこだわれるのであればダイソーのものでも
構わんよ。
でも、そんなものはなかなかない。
値段やブランドで決める事必要もない。
いや、SONYとAppleは信じてるけど。
それは経験からだな。
なんでもいいってもんじゃないしな。
自分がこだわり抜いたらどうなるのかを
自分自身見てみたいと思った。
自分のセンスと日々格闘していた日々。
いつだって、出来ると思えば出来るんだ。
不可能だと思い込む事をやめよう。
あと、これも書こうと思ってたんだ。
「やりたい事をやりたいようにやる!!」
コミュニティの中で、
メンバーが増えていくにつれて
色んな人が来るようになり価値観も多様化する。
そんな時に自分の価値観が邪魔になる時もある。
例えば、鍋やるにしても
俺は直箸オッケー!!
でも、細かい人は直箸NG。
野菜の切り方にもいちいちケチをつける人がいる。
いや、めんどくさくない?
そういうのが重なって自分でやるの
嫌になるんだよね。
で、そういう時って、めんどくさめな人に
合わせてしまいがちじゃん。
じゃないと、文句言われるから。
で、合わせてたんだけど
もうそういうのもやめようと思って。
お店だったらさ
お客様の意見を最大限に尊重するって
大切な事だと思うんよ。
それはお客様が最優先だからだよ。
その会社の方針がどうとかよりも
お客様を1番に考えてるからなんだろ。
でも、俺は俺の価値観のもと人を集める必要がある。
俺の価値観で初期集めておいて
メンバー増えてきてめんどいやつ出てきて
そいつに合わせてたら俺の価値観で集まってくれた人は
去って当然なんだ。
だから、俺は合わせるべきではない。
意見を参考にする事はあっても、
誰かの意見を必ず通さないといけないという空気感を
作ってはいけない。
そんな事をしてしまえば
常識的な、どこにでもあるものになってしまう。
俺はそういうことがしたいんじゃないんだ。
俺も参加するメンバーも心地よくなければならない。
メンバーを心地よくする為に
俺が俺を犠牲にすれば
長期的に見れば軸がブレるし、
俺が俺らしくいられないような
価値観を持っている人を残していくと
不満は湧き出続ける。
俺が俺らしくいる事で
心地よくいられる人を残すべきだ。
たくさんの価値観がある中で
常識的な判断をくだすのは
選択の意思さえ必要ない。
自分を押し通すというのは
思いの外勇気がいることだ。
自己中心的、わがままだと言われる事は
目に見えてる。
あの人は頑固で聞く耳を持たない。
そう言われるんだ。
俺だってそんなふうに言われたくはないけどさ
でもそれをいう人は価値観合わない人だと思うし、
結局そういう人ってどれだけ意見を通しても
不満を持って影でいうんだよ。
マジしょうもないわ。
だから自分の価値観のままにいこう。
どれだけ偏っていても常識と違っても。
俺は今、すごく身軽。
だからこそ、1歩目を慎重に。
「自分らしく。」
を叶えられる1年になる気がしてる。
去年よりも更に自分軸で行く。
理解できる人だけ理解してくれればいい。
それが少数だったとしても構わない。
2016年は自分らしく結果をだしていく。
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