最近では、物事の内容をプラスやマイナスで捉える事が少なくなってきてる。
関係性においてプラスかマイナスかという事は人と関わる時には考える。
相手にマイナスな感情を抱かせるのは本来好きではないので。
意図せず不快な思いをさせている人もいるだろう。
それは申し訳ないと思う。
このブログを始めて、プラスやマイナスで括らない事を書いていってる。
人間が日々感じる感情というのはプラスやマイナスで推し量るものではないから。
生まれてくるものを素直に受け入れ、噛みしめる行為。
そしてそれをアウトプットする行為。
このブログはそんな感じ。
過去にはそうやってやっていたのかな。
成長したくていろんな本を読んで、マイナスは出さない方がいいと書いてあって愚直にやってみた時期もある。
あれな、いつも思うけど、ある程度人間性がある人達の輪の中では凄くいい事だと思う。
でも、マジで性格がクソなやつには通用せんよな〜って思う。
いうて俺も性格がクソだから人の事言えないんだけど。笑
どうしょうもない人は、少なくとも現段階ではどうしょうもないわけで。
未来はわからんよ。
人は簡単ではないけれど変われるもんな。
ただ、関わるタイミングに達してない人っていうのは存在するんじゃないか。
なんだかそんな気がしてね。
もちろん、逆もあると思う。
他の人から見てなおきちは未熟すぎて自分が関わるタイミングにない。
と、思われる事もあるだろう。
その場合、選択肢はこちらにはないわけだ。
自分は関わりたい、でも相手は関わりたいと思ってくれてない。
そういう事もよくある話しだと思う。
自分と人は違う事を意識し、相手を尊重する事も大切だろう。
生きていれば悲しい事だってあるし、受け入れたくない現実だってある。
でも現段階で選択肢がないのであれば、やるしかないわけで。
恨むなら誰かではなく、過去の自分の行動だ。
ストーカーとかって、そこを履き違えて「どうしてわかってくれない!」ってなって間違った方向に一生懸命になるからだと思う。
自分の領分と相手の領分を明確にする事で、自分の領分の範囲の中でしか頑張れない事がわかる。
強引に相手の気持ちを変えようとするのは相手の領分に踏み込んでエゴを撒き散らすことだ。
相手にとって不快でしか無い。
そして自分自身も報われるものではない。
俺は人に相談する事がほとんどない。
とくに、何かを決定する時は。
悩み事も、結局人に話して解決するものではないと思っていて最終的に決めるのは自分だから。
話してみようと思った相手にはふと話してみる事もあるけれど、それでも自分で決める。
なんだろう、時には誰かに話しを聞いてもらいたい時もあるんだよね。
でも誰でもいいってわけでもなくて、結局口を噤んだままになる。
だからこのブログはとてもちょうどいい。
その「誰か」になってくれてる気がする。
さみしい話だけど。笑
自分の話をしまくって人の時間を取るという事を申し訳なく感じる。
相手も貴重な時間を生きているんだ。
ブログなら、使うのは俺の時間だけ。
誰かが読む「かもしれない」という可能性が残されているからちょうどその感じが好きなんだと思う。
誰も読まなくてもいいんだ。
書いた事なんてどうせ忘れてるんだから。笑
その時感じてるフラストレーションをツラツラと書き綴るだけであって何も建設的なことはない。
ただ、痛々しい程リアルな物に出来たらいいなぁという理想はある。
人にどう思われようが本来関係ない人間だったのになぁ。
いや、人見知りは昔からだから関係なくはないのか。
逆に自意識が高すぎるのかな。
どうせ理解されないっていうのは昔からあったかも。
だから理解されないような事ばかりしてたようにも思う。
自分の中の二面性の乖離が結構凄くてさ。
時々戸惑う。
みんな仲良しさんがいい。
って、すごく思うのに、
「あいつマジクソだろ!消えればいいのに!」
って思う事もあるし、
一人の時間が凄く楽でいいなぁ。と思う割にたくさんの人を集めたがる時もある。
何がやりたいんだよ!と、自分に突っ込みを入れたくなるが、結局どっちも本当の気持ちなんだよな。
矛盾するからどちらかが本当でどちらかは幻想だと考える事の方が違うかなぁと最近は思う。
人の感情は日々動いていく。
瞬間瞬間でガチで思ってる事は違うんだ。
それを一貫性をあえて無視して書いていくのがこのブログだ。
昨日思ってた事と今日思ってる事は違う。
人間の心理、一貫性の法則を極力無視して書いていきたいんだ。
我がままな自分の心を迷惑をかけない形で書くにはきっと、これしかない。
一方通行で独りよがりな感情の羅列を、猫を愛する人のように一方的に見返りを求めず愛でる気持ちで見る人がかろうじて読むかどうかという、世の中に価値を作らないブログ。
個人の感情がメインのブログだからさ。
ダレトク覚悟だよ。笑
俺は誰かのリアルな言葉に興味があるんだ。
表面上の言葉なんてどうでもいい。
深くエグるような本当の感情に興味がある。
自分にぶつけられると迷惑だけど。笑
だから、やはりブログとかがちょうどいいだろうな。
本当の感情ってやつはどれだけ偏っていても響くものがあるんだ。
そういうものに触れたい。
どこかの崇高な人の本の受け売りなんてマジ興味ないんだよ!
そういうのどうでもよくて、未熟でもなんでもいい、小さくてもちっぽけでもいいから、リアルな感情に興味がある。
リアルな感情に触れると、ふいに涙が出そうになる時がある。
ある種の感動なのか。
不格好でも繊細な心に触れたい。
もちろん合う合わないはあるよ。
だから、ブログがちょうどいいと思う。
合わなければ見なければいい。
お互い無責任でいられるでしょ。
それくらいでいいじゃん。
と、まさに全く同じように思う人が世界中に一人くらいいて、偶然このブログに辿り着き、痛々しいほどのリアルな感情に触れてもらえるといいなぁという願望もある。
もちろん誰も読まなくても俺は日々の感情を書いていくだけだ。
昨日の自分と今日の自分はもう違うんだよ。
毎日そうやって自分を更新していってるんだ、誰もが。
寝て起きたら新しい気持ちでいこうよ。
今日はとても天気が良い。
自分は自分として日々を過ごしていくだけなのだから。
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