子どもの頃から好きなことを思う存分やれない環境に疑問を持っていた。
どうしてこんな頻度で興味のない学校に行かないといけないのだろう。
不思議でしょうがなかった。
その疑問は社会人になっても続いた。
1週間のうち5日働くなら、人生の7分の5は興味のないことで埋め尽くされるのか?
更に4分の1は睡眠の時間だ。
お風呂やご飯を食べている時間も考えると、好きなことをやれる時間は思ったより少ない。
年を取れば、できることも減っていくしね。
ずっとずっとこんな疑問を持ってた。
疑問を持っていても、なかなか抜け出せずにいたんだ。
常識では社会人として立派に就職して定年退職まで勤め上げるのが良しとされている。
好きなことは定年退職してからやれと。
いやいや、遅くない?
少なくとも自分の感覚では遅すぎると思った。
そもそもそんなに待てないし、老後にガチで陸上にハマったらどうするんだ。笑
ある程度はできるだろうけど、若い時の方がパフォーマンスは優れてる。
その年齢でしかできないことがあるはずなんだ。
あらがえない限界もきっとある。
なんだか詭弁のような気がしてね。
気持ち悪い違和感をずっと感じてた。
自分はやりたいようにやりたいことをやりたい。
思う存分、誰にも遠慮せず。
その上で生活していきたい。
その考えはフリーランスになって10年以上経つ今でも根底にある。
だから少しお金ができればやりたいことに集中してまたお金がなくなって。。を自然に繰り返してしまう。
やりたいことというのも、結局自分の活動であり、今だったらYouTubeに専念したい。
ローカル系の動画もアップしきれていないし、興味があることを話すポッドキャストもやりたいと思っているのに進んでいない。
自分の性格と合う仕事があともうちょっとあればYouTubeに専念できそう。
あとちょっとなんだ。
今やってることが伸びれば足りる可能性も出てきてる。
YouTubeなど、毎月報酬が変動するものは不安定だけど夢もある。
YouTubeの収益がもう少し上がれば現在受けてるお仕事と合わせて生活していきそうなのに。
底上げをしたい。
YouTubeの収益は、動画をアップしてすぐのタイミングで伸びるものと長期間かけて伸びるものがある。
後者は地味だけど、どちらかというとこっちで積み上げていくのがいいと思ってる。
でもやはり短期的にドカンと再生されるものの方がアドレナリンは出るよね。
だからバランスかな。
再生数だけほしいならショート動画でいい。
収益のことを考えるなら8分以上じゃないとね。
トレンドを追ったほうが再生回数は上がりやすいけど廃れやすいというデメリットもある。
逆に、本当に好きなことや興味があることをアップし続けていると、狙ってない分思わぬタイミングで跳ねることもある。
あと、じわじわ再生されるのもこの手の動画。
ほとんど再生されないものもあるけどね。笑
それは笑い飛ばそう。
好きなことなら、やれただけでまずは満足、完結しているから。
世の中には素晴らしいものが溢れていてさ。
技術だったりサービスだったり風景だったり。
全部、どこがどう素晴らしいか伝えたいんだよね。
あと、思う存分楽しみたい。
何にもしばられることなく自由に。
それが自分らしい。
子どもの頃にさ、今から考えるともっと寂しくても不思議じゃなかった状況の時があった。
でも、ゲームが補完してくれていたのだと振り返って感じた。
夢中になっている時、人は寂しささえ忘れられる瞬間があるんだよ。
なかなか寂しさを埋められるほどのものって少ないけれど、俺は猫と同じで目の前の面白いものにすぐに夢中になれるのでそれが幸いしたんだな。
逆に、興味がないと1秒だって耐えられない。
何らかの欠陥があるんだろうなと想像してる。
だけど、やらないといけないから頑張ってやることだらけだ。笑
普通の人が普通にできることが、興味がないとビックリするくらいできない。
だから場合によっては当たり前にできるようなことをめちゃくちゃ頑張ってることもある。
でもこれはきっと俺だけじゃないよな。
みんな口には出さないけど、誰もが苦手なことはあって頑張ってるんだよな。
でも苦手なことを頑張るのって非効率じゃない?
頑張ってる割に対して上達しないし興味も生まれない。
逆に、もともと興味があることをやると寝る間も惜しんで専念できることがご褒美になるよな。
何、この差。
寝る間も惜しんでやることがご褒美になるようなことでお金を稼いでいき生活していけるのが理想であり、俺のフリーランスとしての生き方のテーマだ。
好きなことや興味があることだけをやって生きていくこと。
それが人間の完全体だと俺は思ってる。
それを実現している人は世の中にたくさんいるし、時代も後押ししてくれてると思う。
この時代でそれができないのは、単に怠けてるだけだと感じてる。
きっと、困難な時代と比べると本当に簡単になってると思う。
だから自分がいまいちそうなれていないのがもどかしくて。
絶対できるはずなんだ。
もうちょっとなんだ。
好きなことや興味があることで人生の時間を埋め尽くす。
しょうもないやつに振り回されたり嫌な思いをさせられたり、そんなのうんざりだからね。
自分の人生の舵はいつだって自分で握ってなきゃ。
なんとなくや、常識はこうだからで判断しない。
自分の本心に聞いて寄り添い心の中の自分と共感しながら生きていく。
同じことを他人とやれたらめちゃくちゃいいんだけど、こだわってることに関しては何も譲る気がないので難しいと思ってる。笑
自分自身と共感することは難しくはない。
基本的には同じ価値観だから。
同じ価値観でも恐怖や迷いが生じることはある。
そのたびに積極的な自分と消極的な自分が話し合う。
弱い自分を強い自分が守る。
弱い自分のせいにして強い自分が「自分のせいじゃない!」と言ってしまうのは簡単だけど、それが劣等感のようなものになるんだと思う。
どんなに醜くてもダメでも最低でも、心から理解し寄り添いそこから始めるのがいい。
他人が絶対に理解できないようなどうしようもない自分を受け入れられるのは自分自身でしかないのだから。
その最後の部分を自分自身で否定してしまったらきっと心は壊れていく。
自分という脆く丸い存在を割れないように優しく包み込むのもまた自分なんだよ。
人を愛することと自分自身を愛することはきっと同じなんだな。
同様に愛すべきなんだな。
自分も、自分以外の人たちも、みんなが思ったように生きられて安心して眠れ、美味しいごはんをお腹いっぱい食べられたらいい。
好きなことで満たされて明日を迎えるのが楽しみで。そんなのがいい。
誰もが愛され微笑みかけてもらえ、お話を聞いてもらえたらいい。
そんな世界を夢見てる。
自分という存在がどれだけ汚れ最低か生きている中で知っていくとさ、理想を唱えることすら許されないのではないかと感じてしまう。
クズの中にも本心で自分以外の人の幸せを願う気持ちはあるんよ。
だからといって、自分をよく見せようとしてるわけではない。
きっと自分は光も影も強い人間なのだと感じてる。
汚い欲望も純白な願いもどちらも本心だ。
強く望む。
毎日を自分らしく生きられる人がたくさんたくさん増えるといい。
その中のひとりに自分はなりたい。
この記事へのコメントはありません。