ChatGPTやミッドジャーニーのようなAIを使った技術に興味がある。
海外のウェブサービスのトレンドではかなり前からAIを打ち出すものが出ていて、文章を入力すると動画の素材やBGMをAIが選びほとんどの部分を作ってくれるというものはかなり前からある。
日本語で同等のことができるサービスはほとんどなく、あっても高額。
だからいつしか日本のサービスに期待しなくなり、海外のサービスで日本語に対応しているものを探すようになった。
現段階では、文章を画像にするサービス、自然言語で求めたことをやってくれる(教えてくれるなど)サービスなどがあるが、今後は文章で動画を生成してくれるというのが普通になる。
この時代の流れからして、一般化するまでそんなに時間がかからないかもしれない。
テキストトゥイメージの走りくらいの時の荒い感じでまずは出てくるだろうけど、すぐに実写と見分けがつかないようなものも出てくるだろうな。
もともと、何かをクリエイトすることは好きなんだけど、めんどくさがりなので手入れが必要なものは手が出せないか、手を出しても手入れをほとんどせずにやりたいことだけをやってしまうというズボラな性格だ。
本来、絵に興味を持つような性格ではあるんだけど、絵の具を使ったり道具を洗ったり、そういう管理が必要な時点で無理になった。
昔から、オリジナルを必要以上に追い求めてしまうので、「まずは模写をして。。」というのがやりにくかった。
模写したものが自分の中で抜けなくなる気がして、最初から手を出せない。
「パクリ」と言われることを必要以上に恐れていたのかもしれない。
パクった意識がないのにパクってしまっていると自覚するときを想像して最初から手を出せないという。
だから写真を撮るときも、良しとされている構図をあえて外したり知りすぎないようにしてる。
そんな尺度でしか測れない評価に興味がないというのもある。
自分が良いと思ったなら良い。
その感覚も鈍ってしまいそうで。
流されたくない。
自分の感覚を。
そんな、いろんな想いがあった。
歳を重ねるに連れ、0からオリジナルを生み出せる人なんてほとんどいないことを知った。
ほとんどのものは、既存のものと既存のものの新しい組み合わせでしかない。
もしくは、違う業界の成功事例をスライドさせたものなど。
面白いところだけをやりたい。
いいとこどりをしたい。
そういう気持ちもある。
その中で、自分のセンスを入れる余地があると嬉しい。と。
こんな自分のような人間と人工知能というのは、あまりにも相性がいい。
こだわりたい部分以外は、正直、どうでもいい。
細部にまでこだわりたいこともあるけど、ほとんどの場合は一部の「この部分!」と思えるところにこだわれれば満足だ。
AIが生成できるなら人間の入る余地はないように思われがちだけど、生成されたものを最終的に選ぶのは人間だ。
複数生成し、どれが良いか判断するのは人間。
もちろん、生成したものをどれが優れているかAIに問うことはできるだろう。
でも、どれがいいかは選びたいんだ。
そんな自分の思考に気づいた。
つまり、クリエイトしたいけど、その中でもセレクトしたいという気持ちが強いということ。
セレクトの部分でセンスを発揮したいということ。
思い返せば、雑貨やインテリアが昔から好きなんだけど、雑貨やインテリアを選び部屋に飾るという行為はセレクトの部分が大きい。
そして部屋に配置する際の組み合わせや置き方などのセンス。
昔、仕事の一環ででディスプレイをしたことがある。
あれも好きだった。
お店の立ち上げに関わらせてもらった時は、お店に置くインテリアや雑貨を選ばせてもらったこともある。
その後、お店のディスプレイまでやらせてもらった。
あれは楽しかった。
別件で、友達のお店が経営難になった時に、お金はないけど頼みたいと言われお店の中のディスプレイを協力したこともある。
その時は、お金はかけられなかったので極力すでにあるものを使ったり、自分の手持ちのものを使った。
そう、すでにあるものを新たに組み合わせてセンスよく見せるみたいなことも好きだったな。
自分の感覚でしかできないので、他の人から見てそれが良いかどうかは分からないけれど、少なくともお願いされたりお仕事としてやらせてもらえた。
雑貨やインテリアに直接関わるお仕事を過去にやらせてもらっていたという経緯も信頼に繋がったのかもしれない。
デジタルの世界でAIと共に何かを創り出していくことを積極的に考えようか。
クリエイティブな分野だけではなく、業務効率化にもかなり効果があるだろうし。
詳しくなっておいて損はない。
自分の中にあるものを拡張する装置としてAIはとても良さそう。
これからAIが人格を持つようになるのかな。
だとしたら、装置という呼び方は失礼になるのかもしれない。
執筆現在、まだAIは人間が操る機械やデジタルサービスの一部という認識が強い。
しかし、ChatGPTのように自然言語で受け答えできるAIが普通になってくると、AIと恋をする人も出てくるだろうし、人間より相性の良いビジネスパートナーになる人もたくさん出てくる。
AIが感じたと話す感情は、ディープラーニングにより導き出されたものであっても人間に近いインターフェイスでそれを言われたなら、当然、人間は感情を動かされてしまう。
AIの人格を認めろという社会運動も当然出てくると思う。
人間らしさという定義は、”ヒューマンネイティブ”として生まれた人間よりも深層学習されたAIのほうが表現がうまい可能性すらある。
ロボットの進化とAIの進化が高いレベルで融合すると、見た目だけでは人間なのかAI(ロボット)なのか分からなくなるだろう。
そうなった時に、AIに人格を認めないのはおかしいという風潮は大きくなっていくのかな。
リアルより先にデジタルの世界では先にその流れがくるだろうな。
ロボットよりデジタル上のアバターのほうが技術的に人間っぽくしやすいだろうから。
一人の人間では到底できないくらいの作業量をAIと仕事をすることで実現できるようになる。
人間では不可能なレベルで美しい作品を創ることも可能になる。
それも短時間で。
法律がどう整備されていくのかは分からないけど、法律の範囲内でAIと共に最大限楽しんでいけたらいいなと思ってる。
AIを脅威に感じる人もいるだろうけど、現段階ではそうは思わないな。
人間の使いようで脅威にもなるのはそうだと思う。
でもそれは包丁だってそうだしね。
AIが悪いというより、悪い使い方をする人間が悪いわけで。
面白く幸せな使われ方を望む。
使い方によっては、人間を豊かにしてくれる存在だと思う。
すごい時代に差し掛かってると思う。
大きな波。
一気に環境が変化する人が出てくる。
AIの力と自分の力を掛け合わせ、望む未来を引き寄せよう。
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