誰だってさ、最初は下手っぴじゃん。

上手にできないことだってある。

頑張っても頑張っても、なかなかうまくできないことだってある。

一生懸命頑張っている人にひどい言葉を投げつける人って、残念ながら一定数いるんだ。

心がささくれだってるんだな。

同情はしないよ。

そこまで心は広くないし、求められてもいないだろう。

 

お前の不幸と他人の不幸は別物だ。

誰かの評価を下げたって、相対的にお前が偉くなるわけじゃないんだ。

誰かを貶めて気分良くなってる人は、程度が低いなぁと思う。

 

俺も昔はそんなとこあったかもしれん。

でも、この事のしょうもなさを本当に感じてる。

俺自身、偉そうなことを言えるような人間性でもないんだけど、このことは本当そう思うんよなぁ。

 

全く知らない人に投げつけられている言葉でさえ腹が立つ。

自分が傷つけられてるわけではないのだけれど。

どうしてそんな悲しい言葉を投げつけるんだよ。って思う。

 

悪意を持って傷つけられたのなら分からないのでもない。

だけど、逆恨みしている場合、本人は気づかないことも多いじゃん。

人のせいにばかりして相手を悪者にして、貶めて。

そんなことをこのひとは一生繰り返していくのかなぁと想像すると、同じような姿かたちをしていても別の生き物のように感じる。

 

誰かの心無い声が恐くて、始められない人だっているんだ。

本当はやりたいことがあるのに。

本当はもっと自由に生きたいのに。

意味もなく切り裂く声が恐くて恐くてどうしようもないんだ。

すごく気持ちがわかる。

 

どれだけ強く心を保とうとしても、不意にグラついたとき、ほんの僅かな隙間に刺さって立ち上がれなくなることだってあるよな。

気を張ってるときはいいよ。

どうだっていい。

だけど、数ヶ月に一度、数年に一度、どうしようもない気持ちになってる時に重なると、言葉は殺傷能力を持つね。

言葉の酷さの程度ではない。

人の悪意そのものに深く傷つき自暴自棄になるんだ。

人の敵意そのものが、まるで皮膚を剥がしていくかのように傷つけるんだ。

じんわりと滲む血を無感情で見つめるような気持ちになるんだ。

 

そんな思いを今も誰かがしていると思うと苦しくなる時がある。

ただ頑張っているだけなのに。

一切知らない人でも抱きしめてあげたくなる。

そんなことで心の救いになるのなら。

 

いつも頑張っている人が正当に評価される世の中がいいな。

頑張っていることと価値を生み出せているかどうかは別の話だということもわかってる。

だけど、少なくともバカにされる筋合いはないじゃん?

方法が間違っていたなら正せばいい。

何回だってやり直したらいい。

他人がどうこういうことでもない。

 

本人が試行錯誤を繰り返し、やがて正解に辿り着くんだ。

悪意ある言葉は、その試行錯誤の回数を制限することにつながる。

失敗が許されなくなると萎縮してしまう。

本当は何度でも失敗していいのに。

失敗しまくってラインを見つけるんだ。

うまくいくラインとうまくいかないラインのその境界線を。

 

ネットを見回して、誰かの悪意ある言葉に深く傷ついている人を見かけるとどうしようもない気持ちになる。

きっと、自分を重ねてるんだろうな。

心の奥底にしまい込んだ弱虫な自分を。

 

”強く”なけりゃ、ネットで活動なんてしていけないもんね。

 

俺は「正しい人」ではないけれど、純粋に誰かに思いを馳せてもいいでしょ。

最低な部分があるからといって、悪い部分で固めないといけないことなんてない。

自分の中に湧き上がる善良な気持ちは、それはそれで大切にしたいよ。

その中で、確実に存在するダークな自分、汚い自分を抱えながら生きる。

垂れ流しながら生きるんだ。