なんだかんだで10年。

多分、もうちょっとで10年。

もう10年経ってた気がしたけど、3.11の震災の時に働いていたお店の事は覚えていて、その翌年の春にフリーランスになったので間違いないと思う。

 

色々あったな。

フリーランスになったときもドタバタしてた。

10年続くなんて、多分、周りの誰も思ってなかったんじゃない?

実際、まじでピンチになりすぎて焦った事数しれず。

 

たくさんの人にめちゃくちゃ助けてもらったよ。

やっぱ、俺は雇われるのは苦手だったな。

今の働き方が性に合ってるよ。

 

理不尽な上の人の言うことなんて聞いてられないもん。

いろんなとこでいろんな人とぶつかった。笑

 

フリーランスだと、別で仕事を見つけられるなら無理に合わないクライアントとの契約を継続する必要はない。

気分が悪い人とは関わらなくていいわけだ。

失礼な人とも。

 

ただ、俺はギリ仕事を見つけ続けてこれたけど、そこまで実力があるとは思ってないんよね。

俺が本当にやりたいのは自分の意志を100%注ぎ込んだ自分の活動だから。

 

誰かが決めたルールの中では、窮屈すぎて無理なんよな。

正直、どっちでもいいだろみたいな事を守らないといけないのは苦しい。

でもクライアントからすれば、クオリティもマチマチなライターに依頼するんだから細かく決めるのは当然だし、理解出来る。

嫌ならライターが辞めたらいいと俺も思うので。

 

多分、俺が考えるやり方って独特すぎるから理解されないんだと思うんよ。

これ書いたかな。

まだ雇用されてた時に、俺のコミュニティのメンバーを俺が働いていたお店に呼びまくって気軽に来てもらえる流れができれば、お店の売上があがって最高じゃんって思って、そうしようとした。

そしたら、止められた。笑

 

経営者からすれば、なんか気持ち悪かったんかな。

俺は純粋にお店の利益になればいいと思った、それだけだったのにな。

それから呼びづらくなり、メンバーに来てもらっても長話ししすぎると良くないかなぁ。。とか変な不安感を持つようになった。

 

お客さんに来てもらいたいのに全力で呼べないって難しいよ。

俺の実力がないのに人を呼ばれても。。って思われたんかな。笑

 

たしかに。

俺のお店じゃないしね。

俺は、俺のお店くらいの気持ちでやってた。

もちろん、俺のお店ではないことくらいわかってたけど、それくらい自分の全てを注いでやってみたかった。

 

でもやはり、どこまでいっても俺が決められるわけではないし、良かれと思ったことにダメ出しされるのは辛かったな。

だから、多分俺が考える方法って独特なんだと思う。

実際、そのお店は俺がいなくても長く順調だったんだと思うからさ、そりゃ、経営者のほうが正しいでしょ。きっと。

 

俺は実際にやってみないとわからないからやりたい派。

それでお店に損害があったら、たしかに駄目だもんね。

 

だから、俺は俺の活動の中で本当にやりたい事をやりたいようにやる以外ないんだと思った。

そしてフリーランスになり10年が経とうとしてる。

思ったようには進んでいないけど、それでもなんとかやってるよ。

 

支援してもらったり、気にかけてもらったり、優しい人達の心遣いに救われてる。

俺はどこまでも独特なやり方でいこうと思う。

自分にフィットした働き方と考え方で。

理解されなくても成立してればいいんよ。

 

だって、冷蔵庫や洗濯機がどうやって動いてるかなんてほとんどの人知らないじゃん。

それでも日々使ってるじゃん。

中で何が起こってるかなんか分からなくても使えてればいいじゃん。

中身はファンタジーでいいんよ。

 

あの人、なんだかんだ生き残ってるけどどうやってるの!?wwみたいな存在になれたらおもろいしな。

アプローチ独特wwwとか。笑

そんなのでいい。

万人に理解されなくても、極狭い範囲でめちゃくちゃ快適に関係性を作っていけたらいい。

ウェブ上に集落を作っていく時代だとも思うしね。

 

俺は誤字脱字がどうとか文章の正しさがどうとか、そういうところよりももっと心に近い部分が大切だと思ってる。

だから、仕事で書く文章とは真逆の考え方なんよな。

話し言葉で語りかけるようなものが一番いい。

 

歌うのが下手な人が一生懸命歌ったうたや、子供が子供なりに頑張って描いた似顔絵が、なんか伝わる感じ好きなんよ。

正しくなくていい、伝えようとしているその姿勢に心打たれるというか。

 

なんか、ネット上、他人の細かい事を指摘する勢が多すぎてめんどくさくない?笑

なんでそんなに他人に興味あるんだよ。笑

どうでもいいよ。笑

 

伝わればいい、そんなゆるやかなコミュニティの中で快適に過ごせるのが一番いいと思う。

この10年で得たものは、お金より少数だけど大切な関係性だな。

「この人に良い事があったらいいな。」と、心から思える。

そんな関係性が複数ある。

その人達に良いことがあったら、「良いことがあってよかった。ありがとうございます。」と、なぜか神様に俺が感謝する。笑

どういう位置づけだよ。

 

基本的に宗教には興味がないんだけど、神様というざっくりした存在は嫌いではない。

感謝をする対象として神様を設定してる。

自分に起きた物事への感謝、仲いい人へ起きた物事への感謝、自分以外の人達の幸せを願う、そんな時に神様に話しかける。

宗教は信じてないのに神様には話しかける。謎の構造。

 

神様という存在がいるとしたら、自分の中にいるんだと思うよ。

同時に、宇宙のような果てしないものとも一体化してるのだと思う。

自分の中と外という概念すらない、全てが一体化した存在、その集合体にあえて名前をつけるとしたら神様なのかな。

 

感覚的には内面に存在する。

でも、その他の全てでもあるといえる。

そんな感じ。

矛盾してるようだけど感覚的にはそうなんよな。

 

自分に起きる良い事も、自分以外に起きる良い事も、同じ「1回の良い事」なら、10人に対して1回の良い事をしたら10の良い事が同時に発生した事になるので、自分に良い事をするより10倍コスパがいい。

この感覚、分かってくれる人おるかな。笑

多分、周りの人の幸せを喜べる人は分かってくれる気がする。

この世の中に存在する幸せの数自体を増やしたほうがいいわけで、生まれた幸せを自分自身が感じないといけないという限定を外してしまえば、際限なく幸せは生み出せるわけだ。

 

俺の周りで当たり前のように人にめちゃくちゃ親切にしている人を見ると、「人々を幸せにしてくれてありがとう。」と、謎の神目線で感謝の気持ちを持つことがある。笑

体を隔てることで感覚は別々になってしまってはいるけど、同じように痛みや幸せを感じられる人がほとんどなのだから、そこに生まれる幸せに思いを馳せる時、必ずしも自分という個体が感じる必要はない、他の人が感じた場合も無駄ではないと思えるよね。

そんな意識を関わる人達が持っていたなら、全体が幸せなほうがみんな幸せだということを感覚的に分かっているので、自分も含めた全体にとって価値を提供しようとする。

搾取しようとする人をコミュニティから排除し、ギバーが集まる場所となれば見返りなんて求めなくても我先にと相手を思う行動が溢れる場所になると思うよ。

そして日常的に親切にしてもらえる人が増える。

気持ち良いやり取りは、見ているだけで和む。

そんな場所が好きだ。

 

俺の活動はそういう方向性に進んでいきたい。

優しさが好きな一方、実現するためには誰よりも厳しい言葉や対応が求められるようになる。

誰かをブロックしたり退会させたり距離をおいたり。

それが実行出来るようになった10年でもあるね。

 

どういう形であれ、今、眠りに落ちる時に日々、幸せに感謝できてる。

自分らしくいさせてくれてありがとう。と。

この10年を支えてくれた全ての人にありがとう。