左手の中指にささくれが出来てさ。
爪の右側。
勢いよく取ると、少しの痛みと血が滲んだ。
放置していても特に問題はないけれど、ずっと違和感を持ち続け意識を持っていかれる事になる。
大して気にもならないけれど、少しの痛みと引き換えになくなるならそれもいい。
じんわりまだ痛む指先と、拭いてもうっすら滲み続ける血液は時間と共に止まるんだろうな。
そして、そんな事があった事すら忘れてしまう。
過ごす1日にどれだけの価値があるんだろう。
この世から、おさらばするまで後何日?
分からないまま進む。
ギリギリにならないと何も出来ない自分にとって、分からないまま何かを成し遂げるのはすごく難しく感じる。
かといって、人生の終わりの時期なんて知りたくないよ。
今、こうして悩み、足掻き、苦しみ、どうでもいい事を難しく思い、笑い、うんざりし、泣き。。
そんな1秒1秒が自覚はなくとも幸せの状態なんだな。
出来るだけ感じていたい。
幸せを。
幸せはきっと、概念だ。
同じ事が起きても幸せを感じられる人と感じられない人がいるからそう思う。
少しでも多くの幸せの概念を集めた人が、俗に言う幸せな人なのだと思う。
実感を伴わない幸せは、幸せとは呼ばないよな。
毎秒、幸せで溢れているならその全てを感じきりたい。
自分の心に真っ直ぐであれ。
その中でしか深い幸せは感じられない。
環境が幸せを作ってるのではない。
たくさん眠れようとお金に困らなかろうと健康であろうと、不幸だと感じている人はいる。
心の在り様が幸せの根源なんだな。
退屈も、きっと幸せの中にあるんだ。
つまらない事にさえ、幸せを感じられるようになる。
人にはその才能があると信じてる。
まだ未熟な自分には、退屈やめんどくささは耐え難い痛みと同じだ。
心のささくれは、手指のささくれとは比べ物にならない。
どんな時も、心から幸せだと感じられるようになりたい。
ありがたい事を、ありがたいと真っ直ぐに思いたい。
雑念はいらない。
文章を書くストレスを、文章を書く事で昇華する。
”ささくれがくれた痛み”がくれた時間。
ありがとう。
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