自分はきっと、人を大切にできない人でさ。

それはなんとなく今まで生きてきた中で起きた出来事を思い返せば簡単にわかる。

きっと、相手が思う「大切にする」に足りていないんだ。

 

自分は人を大切にできないから、人を大切に思ってはならないと感じていたように思う。

どうせ大切にできないのだから。。と。

拗ねていたのかもしれない。

 

でも気づいた。

大切にできないからといって、大切に思ってはならないということにはならない。

思うのは自由なんだ。

相手の思う「大切にする」に届いていなくても関係ないんだ。

 

自分の中での「大切」という感情に過不足なんて無いんよな。

そこにあるもの。

量なんて些細なものでさ。

湧き上がるその気持を真っ直ぐにただ感じればいいだけなんだ。

 

不意に、人をたくさん傷つけてきたなぁとか、あの時、あの人を大切にできなかったなぁとか、そんな一切合切が襲いかかってくる。

目を閉じると鮮明にそのときのことがありありと思い浮かんでさ。

そしていつも終わらせるのは同じ。

もう終わったことなのだから。と。

 

その上で、「あの時はごめんなさい。ありがとう。」と心の中でつぶやく。

届かないからこそ、本当の気持ちなんだと感じられる。

ポーズでもなんでもなく。

 

誰かの目があるからそう思っているフリをするのではなく。

そんなことしなくていい環境で感じるからこそ、やっと本当の気持ちなのだと自分自身感じられるんよな。

 

人間関係の中では無意識にポーズをとっていることがあるように思うから。

時々、立ち止まって「本当のとこどうなのさ。」と自分と話し合う。

誰にも見えないところで出てくる言葉が本当だよ。

 

口に出せないほど最低な自分もいれば、捨てたもんじゃないと思う純粋で善良な気持ちが出てくることもある。

両方だよ。

そんなもんだろ。人間なんて。

キレイでも汚くもなく、キレイでも汚くもある。

自分はちょっと、そのコントラストが強すぎるだけなんだと。

 

一人で仕事をしている時に、不意に過去が襲いかかってきて涙が出ることがあるけれど、こんな時、家で一人でできる仕事でよかったと思う。

外で誰かと仕事をしていたなら、きっとその感情のモードにならないだけだとは思うけど。

脳内に心音のようなものが振動を伴い襲いかかってきてゆっくりと思考がスローになっていき追いつけなくなっていく。

そのまま目を閉じたが最後、過去の映像に身を任せるしか無い。

動悸は激しくなっていき呼吸の音で目を覚ます。

 

なんなんだろうね。これ。

何か大きなことがあったわけじゃなくても、1年に何回か大きいのがくる。

過去の出来事の中には、そのときどうしようもなかったことだってあっただろ。

自分で環境を決められないことだってあった。

その中でどうすればよかったかなんて、自分次第だ。

 

恵まれない環境の中にいた時だって、その中でしか学べないことやできない経験があっただろ。

基本的にはポジティブに受け止めているけれど、そんな中でも自分が意識できない物陰で割り切れない感情が昇華できずにいるのかな。

背中を向けてあの日のまま。

 

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なんか、他人に「カッコつけてる」とか悪く言われることを恐れて本当にやりたいことができていないような気がしてさ。

薄い人間関係をバッサリ切ってからはだいぶ自分らしさを取り戻したような気はしてる。

薄い人間関係って、しょうもないネガティブな噂話の的にされがちじゃん。

嫌いなんだよね。そういうの。

と、思う一方、意識してしまう自分もいたんだろうな。

だから行動や言動が制限されていった。

 

カッコつけてる、ダサい、しょうもない、どんな自分でもそのとき表現したいなら好きなようにしたらいいのに。

もう一個、解き放ちたいな。

生きるということは、本来の自分に戻っていく作業なんだな。

 

ある程度の社会性を身につけるとともに、本来の自分を封印していった。

「普通」じゃない自分は見様見真似で社会性を身につけ想像でやりくりしてる。

こういう時、人はきっとこう思うだろう。と。

 

どこか人間性が欠けているような気がしてた。

昔は、今よりもね。

たくさんの人と接することで知った感覚が多い。

もともと持ち合わせていなかったんだ。

欠如・欠損した部分を拾い集める作業。

何が無いかすら分からないまま。

それが自分が生きる道のりだったように思う。

 

その中でたくさんの人を傷つけ、生きている限り傷つけ続けるんだろうな。

それでも自分なりに人を大切に思いながら生きていきたい。

上手にできなくても。

心の中だけは。

思うだけなら上手い下手は関係ないから。

 

 

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最近、あらためて「ずっと自分らしく生きたかった」んだと感じてる。

自分らしさを失うくらいなら単価の良い仕事を蹴ってもいいと思ってしまうほどに。

やはり、お金より自分らしさなんだな。

お金は楽しいよ。

好き。

だけど、自分らしさを失ってまでほしいものではないんだな。

お金という存在を楽しいと思い続けるためにも、うんざりすることとお金を結びつけたらいけんな。

 

単価が少々低くても自分らしくできる仕事がいいな。

そしたら24時間自分らしくいられる。

それってお金より価値あるじゃん。

ストレスフルな働き方をしてストレスをお金で殴って蹴散らすような生活は自分には合わない。

だったら、ストレス発散するためのお金を最初から受け取らなくていいから、最初からストレスがかかるような仕事をしないで済むほうがいい。

同じことじゃん。

なんならストレス発散に使う時間がもったいない。

 

生活のためにお金を稼がないといけない時、一時的に心を殺すことはあるけれど慢性的にやることではない。

自分らしさを追い求めなければ自分らしくいられる環境が手に入ることはないんよな。

違和感を感じたなら、その場から離れるのも自由だ。

 

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こんなもんでいいか。

話を切り替える時に、つなぎの言葉を考えるのがめんどくさいので線を引くことにした。

自分の脳内のことを外に出せたらそれでいい。

書きたいという衝動をそのまま発散することがだいじ。

じゃないと、ある程度書いて残さないままになってしまう。

読み返すことはないけれど、ありのままの自分を残すことは大切。

 

子どもの頃と比べて、自分自身の内面と仲良くすることを心がけてる。

理解し同じ目線で見る。

どんな自分も一度受け入れる。

直したいところは時間をかけてでも直すけど、ベースとしてありのままの自分を嫌わないことが大切かと。

ずっと脳内でさ、自分自身を攻撃し続けるなんて悲しすぎるし辛すぎるでしょ。

「そんなところもあるんだね。そうなんだね。」と受け入れ愛しより良くなっていけばいい。

 

あくまでも主観でいい。

他人と比べずに。

社会性については客観的な視点を養えばいい。

ありのままの自分で社会に出なくていい。

必要な時に使い分ければ。

理想は、社会性なんて発揮しなくてもいい環境に自分をおくこと。

 

それでは。