チャットGPTが出てきた時、一瞬、ウェブライターの仕事が簡単になくなってしまうような気がしたけど、今感じていることは違う。
今ある仕事の形としては淘汰されてしまう部分が多くあるだろうけど、チャットGPTを使うことで増える仕事も多くあるんだ。
特に、今のような移行期はチャンスだと捉えてる。
まだまだクライアント側がチャットGPTを理解できていないので抵抗があるところもあるだろうな。
チャットGPTプラス、チャットGPT4を使ってみた感想なんだけど、普通に質問するくらいなら問題ないけどプロンプトで条件を指定して使おうとするとまだまだ粗がある。
現在のチャットGPTは記憶力が弱いので、プロンプトを覚えさせても作業を続けると忘れてしまうという弱点がある。
チャットGPT3.5と比べるとチャットGPT4は大幅に改善されてるんだけど、使用感としてはまだまだかな。
チャットGPTの不完全な部分はできるだけ把握しておきたい。
「すごい」ということで話題になり、あっという間に浸透していってるけど、弱点という部分に目を向けていない人は多い気がする。
チャットGPTの良い部分も弱い部分も把握することは、クライアントにとって安心感につながると思ってる。
ライター側はチャットGPTを過信しないことが大切。
特に現段階では。
プロンプトエンジニアという職種が、チャットGPT過渡期には需要が高まると思ってる。
プロンプトを書けること自体が仕事になるということ。
プロンプトとは、簡単にいうとチャットGPTに指示を与えるプログラミングみたいなもの。
条件を指定したり限定したりして、求める範囲内で最良の返答を促す。
たとえば、コンビニの接客のチャットボットを作るとしたら、
「あなたは10年以上コンビニで働いているコンビニ店員です。
プロのコンビニ店員としてお客様に返答してください。」
みたいな感じで、事前に役割を与えてあげると、その感じで返答してくれる。
お弁当の場所、ジュースの金額など詳細に設定してあげると、質問がきた時にその範囲内で答えてくれる。
ネット関係では、質問の内容に応じて組み込んだ事前に設定したURLを提示することもできる。
一般的な質問の返答の中に自然に自分にとって有利な返答を織り交ぜることもやろうと思えばできるわけだ。
それくらい自由度が高い。
ウェブライターがどうこう言ってる次元の話じゃないんよな。
自然言語で指定できる範囲が画像や映像に及ぶのも時間の問題だと思ってる。
リアルタイムでのウェブの情報を反映できるようになり、あらゆるものを生成できるようになると様々なもののバランスが変わる。
その中で俺たちは今後生きていくことになる。
インターフェイスもわかりやすくなるので、小学生でもなんでも作れるようになる。
その頃にはプロンプトを意識することなく様々な指定ができるようになるだろう。
電子レンジでボタン一つでお弁当を温める際に、使っている本人はその仕組みを理解していないように。
大きな波の中で試行錯誤する価値はある。
生活が一変する人もたくさん出てくる。
悪いほうにという意味だけではなく、想像もできないくらい良い方向に向かう人もたくさん出てくると思うんだ。
学び、行動し、自分のものにしていく価値が高まっている時代。
エキサイティングで楽しい。
より自然体に生きられる人が増えるといいな。
自分も含め。
人間が手動でやると何時間もかかるようなことが1分もかからずできるようになる時代。
どんなことに人は価値を感じるようになっていくんだろう。
そこにも注目していきたい。
同じ業種でも必要なスキルが変わる。
このことに気づき適応していけば生き残れる気がしてる。
Amazonの出現により一般的な本屋が淘汰されやすくなったように、既存のやり方のまま生き残るのは難しい。
しかし、バランスが崩れることにより発生するチャンスも多いはずなので、前向きに捉えたほうがいいね。
最近、自分で撮影した写真をAIに読み込ませてAIと共同で作品をつくることにハマってる。
AIが写真のテイストを変えるだけのようなものは少し前からあったけど、そうじゃなくてtext to imageの土台の素材として自前の写真を使うという感じ。
以前までよくあったのは、たとえば写真を”ゴッホ風”にする的なもの。
現在は、写真自体を素材としてテキストで入力したものの一部に組み込むという感じ。
望んだ結果にならないこともあるけど、それも含めて楽しい。
AIって創造的だよ。
人間よりずっとそうなんじゃないかな。
”ビル”一つとってみても、瞬時にたくさんパターン思いつかないじゃん。
まだまだAIが生成したものには指や顔がおかしくなるものもある。
得意なものとそうじゃないものがあるんよな。
日常の風景をアートに変えるのって本当面白い。
100%自分の創造性で作ったものではなくても、自分で撮影した写真を使用することによって確実に自分の視点やセレクトが作品に組み込まれているのを感じる。
これは、文字を入力して作るだけでは得られない満足感と楽しさだ。
もっと脳内でイメージしたものを正確に伝え正確に出力してもらえるようになれば、人工知能は拡張知能となる。
技術とともにその境界線は曖昧になっていくだろうな。
肉体と精神、自我と人工知能、それらはゆっくりと交わっていつか溶け合うのかもしれない。
それがいいことなのか悪いことなのかはわからないけど、今の所、嫌悪感はないかな。
支配されるのは嫌だけどね。
あくまでも自分の一部であり拡張したものであるという立ち位置においては便利でしかないじゃん。
良くも悪くもたくさんの人の人生を一変させるであろう存在。
向き合い理解し付き合っていくことが大切なんじゃないかな。
新しいものを遠ざけて良い話になった試しがないしね。笑
規制に走れば、臆病な人達からは称賛されるだろうけど世界から取り残されるよ。
日本はこれ以上遅れるわけにはいかない。
最近、世界から見れば日本は田舎というのをすごく実感してる。
日本の中では成立し問題ないように見えていることでも、グローバルな視点で見ると長期的には良くないこともあるよな。
このままいくと真綿で首を絞めるような方向に進んでしまう。
個人個人が会社に依存せず稼ぐ力を持つことが大切な気がしてる。
稼ぐことに関しては、俺は得意ではないので人のこと言えないんだけどさ。笑
でも、自分らしく生きることに関しては自信があるよ。笑
自分らしく生きようと思うと”一般的”なことと自分のことを分けて考えなければならなくなるけど。
がんじがらめにならないためにもね。
このへんにしとこ。
周りに最新技術について語れる人が少ない。。
自分で調べて楽しんでるだけだな。笑
おもろいからいっか。
最新技術について同レベルかそれ以上で語れる人って、友達の中でパッと頭に浮かぶ人は一人しかいない。笑
あのひとはすごい。
「なんでそんなこと知っとるんw」ってなる。笑
似たジャンルに興味を持ちやすいような気もしてる。
でも、ジャンルによっては俺より全然詳しいこともあるんよなぁ。
おもろい。
頻繁に連絡するわけではないけど、マニアックな話題で盛り上がれる貴重な人。
そういえば俺の近くにいてくれる人達はなにかに偏っていて面白いな。
ゲームが大好きな人、お花の時期になると走り回って堪能する人、困っている人に寄り添い助けたいと心から思い行動する人、不器用だけどめげずに頑張り続けている人など。
みんな自分のことを頑張ったり楽しんでる。
そしてみんな思いやりがあり優しいな。
俺が自分のことに専念できるのも周りにこういう人達がいてくれてるからなんだと思う。
友達も仲間も少ない、それでも一人の時間が多い毎日の中で寂しさに押しつぶされないのは会わずとも存在を感じられるからなんだろうな。
あ、終わろうとしたのに長くなってる。
ほんまにおわろ。
では。
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