自分仕様に、やりたいようにカスタマイズできる場所なんて、考えてみりゃ自分で作るしかないんよな。
細かく分けたいならなおさら。
というわけで、体が勝手に動いてここ数日ホームページをいじってた。
まだ荒削りだけどカテゴリから見直してトップページにすべてを並べてやろうと思って。
各大カテゴリ8記事まで。
全体を一覧で見ることもできる。
更新頻度が高いジャンルのことが、今、興味があることになる。
ほとんど「思考」以外動いてないけど、例えばこの記事なら思考+情報発信(ホームページだから)という感じにしていこうと思う。
SEO的にはカテゴリを複数設定しないほうがいいといわれてるけど。
知るか。
そんなもん。
笑
こんな個人的なホームページ、興味ある人しか見ないしな。笑
役立つことも役立たないことも表現していきたい。
だから、余裕が出てきたらこのホムペは何でもぶちこむ場所、別で専門的なサイトを作って同じ投稿をしてもいいと考えてる。
一時期、専用でサイト作ったりしてたからそれを復活させればいい。
でも自分のことだからそんなことしてもどうせ続かない。
だから、効率悪くても、ざっくりでも、このホムペに全部ぶちこむのが結局自分の性格には合ってるんだろうな。
俺は表現したいことが表現できればそれで満足だ。
できれば表現すること以外の手間は一切かけたくない。
さすがにそれは無理なので、まず整えて後はやるだけの状態にしようとしてる。
カテゴリは統合しながらも、一つ一つのカテゴリに写真を設定してトップページで説明も含め表示されるようにやっていってる。
今後も、カテゴリは適宜見直す。
細かく分けたい気持ちが強い。
でも、そうすると結果的に見にくくなる。
だから専用の特化サイトを作ったほうが本当はいいんよな。
思考の無限ループ。
ありのままの人生を自分らしく生きていたい。
結局、俺がやりたいことはこれに尽きるのだと思う。
その上で価値あることができたなら素晴らしい。
何ができるのかを表現するのは下手なので、こんなことができるよ、こんなことを知ってるよ、こんなクオリティだよ、というのをどんどんやっていけば、それが証明となり信用となるかもしれない。
その実験も兼ねてる。
アピールが下手な人はそうやってきてるんじゃないかな。
思えば、人と関わるのが苦手な人間だけど、それなりに人と関わってこれたのは、興味を持ってもらえることを興味があることの中から選びやってきたからだ。
自分から話しかけられないから話しかけてもらえるようなことを、話しかけてもらえるクオリティでやってきた。
本当に自分から他人に話しかけることなんてないからな。
できないことや苦手なことを避けるのは駄目なことだと教わってきたけれど、違う方法で実現できるならいいと思うんだ。
結果は同じだろ?
自分で話しかけることより、人に話しかけてもらうことの方が難しい気もするけど、どっちが楽かなんよな。
難易度ではなく精神的なハードル。
そしてこの一つ一つが自尊心を満たす行為だったのだと今なら分かる。
人知れず練習して調べて行動して。
その結果、話しかけてもらえるレベルになった時に願いが叶った。
なんと壮絶な遠回り。
これからも、そうしていくんだろうな。
親切な人や優しい人が周りに多いのは、きっと、こんな自分の弱さを察して話しかけてくれた人も少なからずいるからじゃないかな。
不器用さをバカにするのではなく寄り添う形で助けてくれる心、本当に優しい。
ありのままやり続けてきたことが全部包み込まれる感じがする。
一人の時間も。
人知れず黙々とやっていたことも。
先が見えない毎日だけど、頑張ってればいいことある。
いいことを作ってくれたのは、いつも身近な人の優しい心や善意だった。
あたたかいな。
もっともっとやりたいことをやりたいようにやりたい。
思う存分。
共に楽しんでくれる人が一人でもいるならすごく幸せ。
もともと、俺は人と縁があまりない人間だと思うんだ。
自己中心的だし傷つけてしまうことだってあるし。
それでも自分らしく生きたいと思い、行動し続けてきた。
人数じゃないんだ。
それは何度も実感してきた。
たくさんの人が近くにいてくれても寂しいと感じたことがあったよ。
分かりあえる人がいるのは嬉しい。
自分らしく楽しみ、共に楽しんでくれたら嬉しい。
やりたいようにやるから、誰かにとって都合がいいとは限らない。
それでも。
エゴの塊なら、エゴの塊として生きていこうと思ったんだ。
貫いた先に何が見えるのか。
楽しいという感覚や興味があるという感覚は、とてつもない力を持ってると思うんだ。
その時に発揮する人間の力を信じてる。
夢中でいたい。
思いやりや善意に溢れた関係性は、見ているだけでも癒やされるんよ。
自分が対象じゃなくても、目の前で優しさに溢れた出来事があったらすごく嬉しくなるよ。
その感覚を持ってる人達だけで集まりたい。
その感覚を持っている人は確実に存在するんだ。
何度も証明してくれた。
人を見る目が腐ってしまうほど悲しいことが何度あっても、底のない善意の気持ちと行動が心を救ってくれた。
人間の可能性を広げてもらったと思ってる。
体験しないと信じられないよな。
善意ってわかりにくいものだ。
損得関係ない善意って本当に胸を打つんよ。
そういうのを体験したかったんだと思う。
自分の中にも悪意は存在していて、善意よりリアルに実感できてしまうんだ。
善意より悪意の方が信じやすい。
人を諦めずに、人に諦められずにいられたのは、きっと善意をくれた方々のおかげ。
いろいろあるもんな。
生きてればさ。
関係ない話になってきたのでこのへんで終わろう。
自分の中のイメージどおりにすべてを表現したい。
そのことを諦めずに生きていこ。
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