先日、2月いっぱいまでやらせてもらっていたお仕事では、本当に自分の創造性を存分に活かさせていただけたと思った。
いや、創造性といえるほど大げさなものではないのだろうけど、仕事で創造性を活かせることってほとんどなくて。
基本的に求められるのは創造性ではなく型にはまることのほうが多いので。
だから心から嬉しかった。
ありがとう。
過去を振り返った。
通常の仕事に創造性が求められないのも当然のことで、クライアント側にだってこれまでのイメージや「こうしたい」「こうありたい」というスタイルがあるわけで。
その中で、作業を代行してほしいという需要なら、こちらの個性や創造性なんてほとんどの場合、邪魔なだけで。
社会を渡り歩いていく中でさ、このことがなんだか寂しく悲しく感じちゃってさ。
本当は自分の思ったことを思ったようにやって評価されたいんだ。
それが心の声であり、子どもの頃から変わらないんだよなぁ。
でも、社会も大人も「ちゃんと」言われたとおりやることしかほとんど褒めてくれなかったな。
誰でもできることを誰より上手に効率よくやれること、そのことこそがほとんどの需要の正体だ。
いつしかたくさんの「ガッカリ」を積み重ね、葛藤を重ね順応していった。
フリーランスになって10年以上経っても、チクリと胸を刺すことがあるんだ。
本当はこんなことがやりたいわけではないのだと。
自分の中の創造性を限界を超えて精一杯やって評価されたいのだと。
ざわつく気持ちを必死で押さえつけてきたことを思い出した。
「本当にやりたいことは自分の活動の中でやればいいんだ。」
そう言い聞かせることでしか気持ちのバランスを保てなかった。
本来の自分の感覚は、社会で求められているものとは違う。
学習方法もそう。
とにかく量をこなしてみて、自分の中での好きと嫌いを積み上げていく。
その中で効率化が行われ、ほとんど誰も知らないようなニッチなソフトを日本一自分が使いこなしてるんじゃないかと思うくらい無駄なく使えるようになっていく。
フリーランスの多くは、俺みたいに自由を求め羽ばたいたんじゃないかな。
でも、その先に待っているのは、関係性こそ雇用主と従業員ではないにしろ、クライアントを満足させることに終始するような日々だったんだろ。
もともと自分の活動や創作ばかりしてた人間で、仕事をしたくてフリーランスになったわけではないんだよな、俺の場合。
生活を成り立たせるだけでいっぱいいっぱいになってさ。
若い頃にやったアルバイトでも本当はすごく恵まれた環境だったんだと気づけた。
戻りたいとは思わないけど。
どういう生き方をするにせよ、メリット・デメリットある。
アルバイトや正社員や派遣社員にもそれぞれに悩みがあるもんだ。
いろんな雇用スタイルを経験してきたからこそ、ないものねだりをすることはないよ。
本題に戻そう。
仕事のモチベーションはクライアントによって俺の場合は大きく変わると思った。
今回、創造性を最大限に活かさせてもらえたことで、通常では無理な量の仕事をこなせた。
特に最後の3日間くらいは自主的に食料を買い込み、外に出ないでいい状態を作り、仮眠をとりながら仕事をし続けた。
合間に配信などはしていたけど、最終日、配信すら休んだ。
これも求められたことではなく、自分がそうしようと思ったからだ。
なにより、この時期に仕事をもらえたことがありがたかったし、最後までやりきりたかった。
前も書いたと思うけど、そう思わせてくれたのは相手なんよな。
自分ひとりのモチベーションだけだったらここまでやりきれたか分からない。
少なくとも、俺が自主的に配信を休むというのは数年ないこと。
一緒に仕事をしていて全く嫌な気持ちにならないって本当すごいよ。
そんなの、通常ではありえないので。
仕事で何かをやる時は、誰が相手であれ自分に創造性は求められていないと思っているので、言われたことをやり、いらないことをやらないことにしてる。
今回の仕事では、その性質上、自由度が高く任せられている部分が多かったので1つの案件に対して複数の提案をしていた。
最終日が近づくにつれ、最後まで終わらせられたらいいと思いながらも意識したのはクオリティを落とさないこと。
「間に合わせるためにクオリティを落としたな。」
と思われるのは一番信用をなくすと思ったので。笑
それで信用を失うくらいなら間に合わないほうがいいと思った。
そもそも、全部確実に仕上げてという話ではなかったので。
あくまでも、自分が最後までやりきりたいと思ってやりきっただけで。
今回、創造性を大切にしてくれたんだろうなと思ってる。
それに甘えてしまった部分もあるんじゃないかと思う。
いくつか提案する中で、無難な案と創造性を活かした案を混ぜて提案していってどこまで使ってもらえるのかやってみてた。笑
じゃないと、毎回同じようなものになっちゃってこれでいいのかなぁ。。と思って。
いらんことせんほうがいいだろうと思いながらも複数提案する中から好きなの選んでもらったらいいと思って。
すごいなと思ったのが、提出したものを褒めてくれることがあって。
いや、子どもじゃないんだからそんなことで喜ぶなよって話かもしれないけど。
結構、褒めるって関係性の中で大切なんかもな。
これ褒められたからこっちの方向性もありなんか。みたいな感じで参考になってた。
頭がいい人だから、そういうのも含め方向性を伝えるためにもそうしてくれていたのかもしれない。
自分にめちゃくちゃ似てるところがあるので、気を使わせたところもあると思うんよ。
根本的にすごく似てるところがある人なんだけど、俺は普段、基本的に周りにあまり人がいないんだけど、この人の周りには有能な人がたくさんおる。笑
俺と長年関わってくれている人達もめちゃくちゃスキルが高かったり人間的に大好きな人達だったりするんだけど、その範囲が何倍も違うんよなぁ。
そこがすごい。
話せば話すほど、根本はかなり近いんよ。
でも、苦手なジャンルが若干ずれてる。
俺があまり苦手意識を持っていないところに苦手なものがあったり、逆に俺がうんざりするくらい苦手なことを日常的にやっていたり。笑
人との「違い」を楽しめるっていいよね。
そして、何かあればその苦手なとこ、補うよ!って思える信頼関係。
それは、やはり相手が先に「してくれた」からなんだろうな。
思いやりを持って接してくれたり、何かしら我慢してもらってる部分もあるんじゃないかと思っててさ。
それくらい、関わらせてもらっていて嫌な気持ちになったことが本当にないから。笑
何もなく、そんなことにはならんじゃろ?
そこの想像力はできるだけ持っていたい。
相手が何も言わないから、笑ってるから、怒っていないからといって、何も感じていないわけではない。
微妙な反応やいつもとの違いから想像し、困らせていないか、言いたくないことを言わせそうになっていないか考える。
優しい人が相手なら特に大切なこと。
自分は至らない点や想像力が足りないところばかりだけど、持ちうる想像力を全部働かせて嫌な思いをさせないように。
俺の中で、「嫌な思いをするべきではない人」っておるんよ。笑
まぁ、俺と長く関わってくれてる人みんなにそう思ってるんだけど。
優しいがあまり、理不尽なことを押し付けられてしまってたりさ。
代わりに怒りたくなる。
それくらい、自分の近くで長く関わってくれている人達には思い入れがあり心から変わらず共に楽しんでいきたいという気持ちを持ってる。
狭く深く関わる人間なら共感してもらえるはず。笑
誰でもいいわけじゃないんだ。
友達も仲間も。
思ってもいない「お世話になっております。」と繰り返す仕事に、正直価値を感じていない。
生活のためにありがたくやらせてはもらうけどさ。
ある種の愛情を持ちながら接することができる仕事がいいよ。
相手も人間だしこっちも人間だ。
業務にそんなこと関係ないんだろうけど、変な割り切りをしなくても成立する仕事がいいよ。
誰とでもそんな仕事ができるわけではないし、理想論だということもわかってる。
でも、成立することもあるんだと思って嬉しくなったんだ。
気持ちよく仕事をしたいよ。
自主的に思う存分力を発揮して。
モチベーションがどんどん上がるようなクライアントと一緒に仕事したいな。
創造性を活かせる仕事をしたい。
改めてそう思った。
もちろん、自分の実力をもっともっと向上させていかないといけない。
好きなことを仕事にしたいなら尚更ね。
誰かに何かを言われるようなことでもない。
だから、自分で気づき自分で向上していかなければならない。
そういうやり方じゃないとモチベーションも維持できないしな。
心から楽しいと思える仕事。
諦めず追求したい。
それが実現したなら、お金よりずっと価値あると実感できる日々を手に入れられると思うから。
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