「普通」という定義は、あまりにも曖昧すぎて残酷だ。
「空気を読む」ということも掴み所がない。
分からない人には分からなくて当然の感覚のように思う。
そもそも、その概念がない人に概念から教えるというのは、20歳まで言語に触れてこなかった人に日本語を教えるようなものだ。
幸い、自分は子どもの頃に周りの人と何か感じ方が違うのではないかという自覚が芽生えた。
違和感。
「あれ?」っていう。
時に、分かりあえないほどの乖離を生んでいることにも気づいてしまった。
それでも社会の中に溶け込まないといけないと知った時、2択を迫られた。
いや、自分で自分自身に2択を迫ったというのが正しいか。
ありのまま生きて理解されず嫌われても胸を張るか。
迎合して自分を殺して「無」にして透明になることを最善とし生きるか。
学生時代に、将来、会社で働くという可能性が高いと感じた自分は、最低限会社で働けないと生きていけないと思いゾッとした。
その結果、自分の独自の感覚のようなものは出さないほうが生きやすいと知った。
それでも、個性、自由、自分らしさというものへの漠然とした憧れは消えず。
一般の人より自分はワガママで性格も悪いのだろうなと自覚した。
嫌いなやつと自分には共通点があった。
だから嫌われて当然だろうなと。自分も。
学生時代はそれでも自由に過ごした。
あの時代は、周りの環境のおかげで成立してたのだと思う。
それすら実力だと思うくらい世間を知らなかった。
社会に出ると、より個性は不要となり邪魔となり求められないと知った。
マニュアル通りに動ける人間が重宝され、イレギュラーなことをやると怒られた。
「こっちのほうがどう考えても効率いいでしょ。」と思ってやったことも、「マニュアルと違うから」怒られた。
なんだそれ。
ある日、上司に
「マニュアルのこの部分、どうしてこういう手順なんですか?こうしたほうが早くないですか?」
と訪ねた。
「いいからその通りにやれ。」
上司は理由を知らなかった。
必要なかったんだと思う。
自分にとって「どうして」という部分が大切で、納得して仕事をしたかったから聞いたけど意味がなかった。
理由なんて知らなくても成立するマニュアル、すごいね。
でも自分には違和感でしかなかったんだ。
できればいいという話ではないんだ。
気持ちが悪くて。
理由を教えてくれる上司がいたら、もっと何か違ったのかな。
上司だって「時間」で働いてる。
就業時間が終われば部下の面倒を見る義務なんてないもんな。
当然だ。
求めなくなった。
人に教えてもらうことを。
人が理解しているということを。
自分で調べ、考え、納得のいく答えを導き出せばいい。
そうした結果、自分が思うやり方と会社のやり方の違いに気づく。
だけど、会社を変えようとするのはさすがの自分にも違うと思った。
本当に好きなようにやりたいのなら、自分で実力をつけ、自分で1から立ち上げろ。
それができないからって、会社を変えようとするのは歪んでる。
会社が好きでしょうがなくて一生ここで働きたいから絶対に変えたいんです!という強い思いがあるなら違う。
残念ながら自分の中にその情熱はなかった。
上司に言う前から無理だろうなと思うようになっていた。
上司もオーナーではないんだ。
あくまでも従業員でしかない。
上の決定には絶対。
遅かれ早かれ、自分はフリーランスのような生き方をすることになっていたのだろうと思う。
子どもの頃に抱えた違和感は、今でも変わらない。
学生になっても社会人になっても変わらなかった。
自分は自分でしかなかった。
いや、なりたくなんてなかったんだろうな。はじめから。
きっと誰もが固有の存在なんだ。
だけど、判を押したような人間になってしまうのは、それを良しとして大人が教えたからだ。
なぜか染まりきれなかった俺みたいな人間も一定数いる。
我が強すぎたんだな。
いっそのこと、染まりきれたならどれだけ楽だっただろう。
「そういうもの。」と諦められたなら。
一生それはないんだろうな。
苦しみと違和感を抱えながら生きる。
自分らしく自由に思ったように生きられるその日までは。
周りと同じだと思っていた幼少期。
周りと違うと感じた子ども時代。
迎合しなければ終わると思った学生時代。
葛藤を抱えていた成人。
違和感の中、染まろうと尽くした社会人。
自由を夢見て船出を遂げたフリーランス。
「ありのまま」を目指す今。
自分というものは子どもの頃から自分でしかなかったんだ。
たくさんのことを経験し、たくさん学び、
本来の自分を出す必要がない状態まで作り上げ、
すべてを一度壊し、また本来の自分に帰ってきた。
一度、「自分が不要な時期」を過ごしたからこその確信。
本来の自分を殺してしまえば、関われる人の数はグンと増えるし社会的な信用も上がるが、心が軋む音がハッキリと聞こえる。
本来の自分と社会的な自分のキャラクターが乖離すればするほど社会から受け入れられた。
「あ、不要だったんだ。」
そう思っちゃうよね。
否定的なことを言わず誰でも受け入れ相手を肯定した。
そうしたいと心から思う自分も本当にいたんだ。
あの頃の自分は「嘘から出た真」でもあった。
結果的にね。
いや、自分の大きな「個」の世界の中にほんの一筋存在した光だったんだと思う。
嘘ではないけれど全てでもない。
相手を肯定し誰でも受け入れ関わりあえる世界が実現すればどれほど良かっただろう。
限界を感じたのは、本来関わるはずではないような人間たちが繋がりの中に入ってきたとき。
本来の自分ならとっくにブチギレたり言い合いになって終わってるような関係性が含まれていることに気づいたんだ。
それらの関係は、ことごとく、まるで時限爆弾のように関係性を壊していった。
いや、徐々に腐っていくダンボールの中のみかんのほうがイメージは近いか。
納得のいかない意見も、「そういう考えもあるよね。あなたはそう思うんだね。わかったよ。」と伝え「でも俺はそうは思わない。」と伝えなかった。
その対応は大人ではあったと思うけれど、不穏分子を残すだけの結果になった。
自分が自分を殺し、人と接していたのはたくさんの人と関わりたかったからだ。
相手を傷つけないためであり、関係性を破綻させないためだった。
でも今考えると自分が傷つかないためでもあったよな。
そして継続することが目的となった関係性に、本来の自分が魅力を感じるわけもない。
関係性の名称や形よりも、相手と関わりたいと自分が思うかどうかが大切だった。
関係性は日々変化していく。
名前をつけたって契約を交わしたって、心の中で動いていく繋がりの度合いは影響を受けないでしょ。
ただ、一方で様式美も理解はできるんだ。
だから他人をとやかく言いたいわけではない。
名前をつけなきゃ関係性って維持できないものなのかな。
関係を継続することが難しい自分の考えはあてにならない。
迷った時、わからなくなった時、本当に理解できるのは自分自身の言葉だけだった。
落ち着いて「どうしたい?」と子どもに問いかけるようにもうひとりの自分が語りかける。
できるだけ平易な言葉で。
脳内で自分自身と会話するのってみんなやってることなのかな。
「これはこうだよね。」
「あ〜、そうじゃな。でも大丈夫かな。」
「だいたいいけるんじゃない?」
「問題ないか。」
「うん、いける。」
みたいな。
脳内でのヒトリゴトのようにも感じるけど、俺は対話してると思ってる。
脳内のもうひとりの自分とは建設的な会話ができる。
基本的に同じ方向を向いているから。
若い時は、このもうひとりの脳内の自分が精神を追い込むこともあった。
自分で自分にとどめを刺そうとしてしまうことってあるよね。
それを意図的にやめたんだ。
仲直りした。
絶対に自分だけはどんなときも、どんなに最低な自分も認めてやると。
もちろん、そのままでいいというわけではなく、責めるのではなく一緒に考える、絶対に寄り添うと決めた。
責めてしまいがちなんよ。
それもある程度は大切だけど、これやりすぎると鬱になるんじゃないかと思ってる。
ろくなものを食べられなくても精神を保てるのはこの精神構造だからだと思ってる。
やはり、日光にあたらなくなったり美味しいものを食べられなくなると精神は不安定になっていく。
すごく実感してる。
でも、崖っぷちフリーランスなんて、どうしようもない時だってあるんよ。
そんな時、「絶対ピンチを切り抜けたらマクドナルドとケンタッキーとスシローを食べような!絶対だ!これは決定事項だ!」と思う。笑
そしたら、もうひとりの自分もさすがに笑ってくれるよ。笑
そんなふうに、ヤバい時も同じ方向を向いて笑い飛ばしてこれたからやってこれたんだと思う。
いい歳になったけど、いまだにマクドナルドとケンタッキーとスシローがごちそうという感覚はチープ。笑
でも、自分らしいなと思う。
みんなと同じじゃなくていいんだ。
安上がりでいいじゃん。
どんな時も、脳内のもうひとりの自分と同じ方向を向いて生きていく。
言語化するとマジでヤバいやつだな。笑
変に思われても、できるだけ包み隠さず自分の深い部分の感覚を残していく。
深夜、いどころがなくネットに救いを求めた顔も知らない誰かの一笑いになったなら、それだけで価値がある。
変だっていいんだ。
理解されなくても。
1億人に1人だけ強い共感を感じてくれる人に語りかけられる可能性を作ってる。
自分が抱える苦しみを、他の誰かが抱えずに済むならいいなと思う。
「わかるよ。」
その一言に説得力をもたせるために書いているのかも知れない。
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