生活費のために仕事をしちゃうとさ。
心を消耗してしまうものだ。
「生活のため」と言い聞かせながら自分が思う自分の価値を下げて心から血を垂れ流しながら生きながらえることにどうしても意味を感じられなくて。
それはフリーランスになってからも同じなんだ。
クソみたいな単価でパソコンに向かって延々文字を打ち込むことに本来意味なんてないだろ。
理不尽なクライアントもいる。
大きな企業と取引をしても窓口となっている担当と反りが合わなければ素晴らしい企業でも自分にとっては素晴らしいとは思えない。
ウェブライターとしてずっといろんなところから仕事をもらい、のらりくらり生きてる。
そんな中、「こんなもんだ。」と思うようになっていった。
擦れていっていたんだ。
それでも心を保たなければ、待ったなしで支払日はくるわけで。
悔しくても悪意を感じても
「お世話になっております。」
「承知しました。」
「よろしくお願い致します。」
と繰り返してきた。
なんだそれ。
うんざりなんだよね。
心のない形式だけのやりとりなんかさ。
こんなことは口に出すまでのことでもなくて、こうして書こうと思っていなければ一瞬一瞬で水蒸気のように浮かんでは消えるだけの感情なんだ。
それくらいなれてしまっていた。
今まで、何度か知り合いと仕事をしてあまり良い結果にならなかったことがあってさ。
それは他人と仕事をするよりも難しいことだと知った。
仕事じゃなければ言わなければいいこともあるでしょ。
でも、仕事だから言わなければならないことも出てくるでしょ。
俺は、仕事とかお金より関係性のほうが大切なんだ。
これはキレイゴトでもなんでもなくて。
人見知りで人間関係だって一部の人達以外とは長く続かない。
自分らしく生きる、自分軸で生きると決めたその日から覚悟しているのでそのことについてはいいんだけど、仕事でのいざこざが原因で関係が途絶えるのは悲しすぎる。
だから知人と一緒に仕事をすることを意識して避けていたんだ。
数年前、ピンチになった時に手を差し伸べてくれた方がいてさ。
その時も、絶賛大ピンチ中だったけど、その手を振り払おうとしてしまった。
多分、今書いたようなことを最初に伝えたと思う。
それでも強く手を引いてくれた。
結果、数回にわたり仕事をもらい関係性は悪化するどころか仕事をもらう以前より仲良くなっていったんだ。
腹割って話す機会が増えたというかね。
その結果、めちゃくちゃ自分に似てるということが分かった。
人間の根本的な性質っていくつかに分かれていると思うんよ。
その性質のジャンルが極めて近い。
俺の性質は一言でいうと0を1にするタイプ。
切り開ける反面、「継続」や「発展」は本来自分の領域ではない。
直感で興味のままに新しい領域に体当たりで突っ込んでいき失敗を恐れずやり続け形にする。
形になったら次に行く。
根を張るといずれ腐ってしまうんじゃないかと思うくらい、本能的に次に次に行ってしまう。
今は友人となった(俺はそう思ってる)その人も、多分まったく同じタイプ。
だけど、すべてにおいて俺より大きな結果を生んでいて良好な関係を構築していてすごいと思った。
数字的にもそうだし規模的にもそうだし信頼度的にもそうだ。
おそらくだけど、本来持っていない要素を圧倒的な経験の中で獲得していったんだと思う。
俺の中にも獲得できる片鱗は確かに感じてる。
というか、途中までその路線で行った時期がある。
本来の自分は置いておいて(一部の信頼できる人だけに見せて)多くの人と関わるという選択。
だけど、俺の場合は言葉を選ばずにいうと心が折れたんだ。
人の悪意やネガティブな感情を垣間見たときに。
ある程度のことを短期的にうまくやれる自信はある。
いや、正確には「あった。」かな。
今は本来の自分の姿に戻り、自分の中のしょうもなさも最低なとこも一度受け入れその上で内部で反省したり根本から自分が思うような人になりたいと思っていて。
どこまでいっても最低な部分は消えないもんだと思ってる。
だけど、それで良しと思わず心の中から変わりたいと思い、ポーズではなく本心から変化しようとすることが大切なんだと思う。
心から日々に感謝しているかどうかは誰かに伝えることではなく、一人の部屋で心からどう感じているかが大切なんだ。
口ではどうとでも言えちゃうから。
本心は隠せない。
自分自身だけはずっと本心と向き合うことになるのだから。
話を戻そう。
2022年の終わりに、ほんのり年末に向けてピンチになるだろうなぁ。。また単価を安くしてでも仕事とらないとだめか。。嫌だな。
と思っていたところ、上記の方から久々に仕事の話をもらってさ。
前回、気持ちよくお仕事させてもらったので快諾。
願ってもないこと。
正直、嬉しかった。
不安より嬉しいが勝つのは相手がこの方だからだろうな。
あんまりそんな相手いない。
内緒だよ。
あまり細かく書いちゃ駄目かもしれないから書かないけど、とにかくこちらの事情を最大限理解してくれて実際に助かるように動いてくれた。
そのことにより、年末は不安なく過ごせたんだ。
大体、毎年「年越せるかなぁ。。」なんて思いながら生きてたので久々に心配せずに年を越せたな。
おかげさまだよ。
契約期間はお仕事をもらう時点で決まっていたので、2月になったら新規でクライアント探さないといけないかぁ。。と思ってた。
でも、急遽2月いっぱいまでお仕事もらえることになった。
今月は人生で初めてのレアなアクシデントに見舞われ(詳細は時間経ってから話すかも)、とにかく数万円単位で急遽今月用意しないといけないことになりビクビクしてた。
事故とか事件とか電気代とかじゃないよ!笑
今回もらった仕事がなかったらこれ乗り切れてたんかな。
崖っぷちフリーランスにとっては、急遽数万円必要になるだけでも生活を破綻させるにはじゅうぶんなんよ。
本当笑えない。
あぶなかった。
来月、確定申告の期限じゃん。
で、税金を支払う。
これがどれくらいかよな〜。
まだ計算できてないんだけど。
確定申告は毎年ギリギリ。
3月以降どんなふうに自分の生活が転がっていくかはまだ分からない。
追加でお仕事あれば喜んで受けるけど、なければ新規でクライアント探さねば。
あ、本題。
お仕事となると、どうしても言いたくないことを言わせてしまったり言わないといけなくなったりする。
そのことが苦手。
冒頭で書いたとおりなんだけど。
だけど、この方とのお仕事の時は一度もこの嫌な気持ちになったことがないんよなぁ。
きっとね、飲み込んでくれてることもたくさんあると思うんだ。
何かしら至らない点もあるんじゃないかな。
あれかもしれん。
本来のタイプが似てるからさ、同じような感覚を持っているのかもしれんな。
知り合いとお仕事をする時の伝え方を本当に気をつけている可能性が高い。
いろんな関係性の中で何年もお仕事をされてる方なので。
まさにプロでしょ。
学ぶことが多いな。
伝え方って大切よな。
これ間違えると関係性が終わる原因になることもある。
とどめを刺すこともある。
仕事ならなおさら。
言われる側はナイーブになっちゃうもんね。
その気持ちを汲んで常に伝え方に細心の注意を払っているのだとしたらさ、それは尊敬に値するでしょ。
分かっていてもできない人が多いことじゃん。
だって、人間だもんな。
感情があってさ。
特に、我慢して割りを食えば自分が損することばかりでしょ。
伝えずカバーしたなら、割りを食ったことすら伝わらない。
その労力は誰の目に触れることもなく終わる。
もしかしたら、人知れず仲間のカバーをそうやり続けてるんじゃないかな。
忙しい中でもさ。
俺は想像する。
一個一個のことで割りを食っていたとしても、そういう優しい感覚を持っている人は報われる。
いや、報われる相手と報われない相手はおる。笑
自分のことしか考えてないやつをいくらカバーしようと感謝の気持ちすらもたない人も確実におる。笑
だからさ、その人の周りのつながりを見ると、みんなやっぱすごいんよ。
優しさを持っていてスキルも高い。
それは見れば分かるよ。
そして強いつながりを感じる。
めちゃくちゃすごい。
かつて、自分が憧れた関係性のように感じたよ。
羨ましくもあり、一朝一夕でそうはなれないというのも理解しているので、ただただ尊敬したんだ。
きっと、たくさん飲み込んできたこともあると思うんだ。
悔しかったことも。
表面上優しいけど、きっと俺に似てる人なら心の中に激しいマグマのような怒りを感じることもあるだろうから。笑
何も感じていないわけではない。
一番怒らせたらいけないのはこういう普段優しい人なんよ!笑
いつも少々のことでは目くじら立てない人が本当に怒る時、マジで恐いことを知ってる。笑
そりゃそうよな。
小さいことは普段から飲み込んでくれてんだから。
一線を越えてくるやつを許せないのは当然のこと。
どうでもいいことはどうでもいい。
でも、譲れない領域があり、それが脅かされるなら許さない。
その領域があるからこそ、柔軟でいながら芯を保てるんだよな。
八方美人だと思ったら大間違いだよ。
そうじゃない。
俺からは不満に思うことはないよ。
いつもよくしてもらってる。
ただただ感謝の気持ちが込み上げたので残しておく。
それだけ。笑
優しさ、幸せ、感謝、そんな気持ちで満たしたいんよ。
日々を。
悪意にうんざりするのなんて嫌なんだ。
わざわざ人の悪意に触れる機会を増やす必要はないでしょ。
なんというか、人間的なレベルみたいなものが存在していると思っていて、
人間的なレベルが高い人同士の関係性においてはいちいち細かいことを言わなくても配慮や善意でほとんどのことが進んでいくので不快に思うことがない。
この感覚、分かる人いると思う。
この感覚がわからずとも、仲良しグループの中では色々スムーズに行くのは仲良しグループの外では「こんなことも言わないといけないの!?」と思ったことがある人もいるはず。
人間レベルは厳密には仲良しグループとは関係ないんだけど、感覚が似てる人が集まる人間グループなら同様の経験をする可能性が高い。
もし、仲良しグループ(と思ってる場所)でいつも悪意に満ちた人達がいるなら考えたほうがいい。
グループを変えても同じような結果になるならなおさら。
悪意に満ちたグループの中にいるくらいなら独りのほうがいいよ。
独りでいる中で自分をひたすら磨くんだ。
そしたら次に仲良くなる人、所属する仲良しグループは良くなるかも。
波動みたいなものがあって引き寄せるのかな。
やっぱ素晴らしい人の周りには素晴らしい人が多い気がする。
ただ、どんな素晴らしい人も人間だ。
真っ白な人だと思うのは間違ってる。
たくさんの傷を抱え、優しくなっていくんだよ。
立ちふるまいを見て、どんな経験をしてくればこんな仕上がりになるんだ。。と思う人がいる。
まさに上記の友人がそうなんだけど。
その経験値にも敬意を払う。
あの包容力も、きっともっと大変な経験をしてきたからなんだと思うんよ。
少々のことでドン引きすることはない。
その器の大きさに、周りの人も安心するんだろうな。
そして、いつも包み込んでもらっている人達は「自分に何かできることがあれば言ってね。」という気持ちになっていくんだ。
「これくらい当たり前だよ。」という気持ちで動けるのは、そう思わせてくれてる人のおかげなんよな。
誰にでもそう思えるわけじゃない。笑
先に与えてもらってるものがあるからなんよな。
呼吸をするようにそんな関係性を作れる人ってやっぱすごいよ。
相対的に自分のちっぽけさを本当感じる。笑
「弱い犬ほどよく吠える」という言葉が俺には合うからな。笑
俺は素晴らしい人のどこがどう素晴らしいのかこうして表現することができる。
本心じゃないとこんな長文書けないよな。笑
時々、こうして周りの人の素晴らしい部分を書くのもええな。
幸せな気持ちになる。
他にも数年に渡って変わらず関わり続けてくれている人には同様の気持ちを持ってる。
優しく善意を持った人達と関わらせてもらえることは心がキレイになるきっかけになってる。
人間の可能性を広げてくれてる。
自分の中の。
悪意に触れすぎると「所詮。。」なんて人間を諦めてしまいがちだから。
少ない友人、少ない尊敬できる人達に学ばさせてもらいながら、時には癒やしをもらいながら生きてこ。
いつもありがとう。
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