昔からずっとそうなんだけど、とにかく快適なコミュニケーションが好きだ。
スムーズで円滑なのがいい。
1言えば6くらい分かってくれるような。
そして自分も分かるような。
共感を軸に関係性を構築していくと、こんなコミュニケーションの実現も難しくない。
狭く深く関わる人の特権かな。
不要な人が輪の中に居ない、そんなコミュニティやグループが理想だと思ってる。
合わない人や不快な人や理解力が極端にない人が入ってしまうと、どうしても快適じゃない場面が出てきてしまう。
たくさんの仲良くない人の集まりより、少数の仲いい人の集まりのほうが絶対に満足度は高いよ。
心から愛しく思えるような快適なコミュニケーションが好きだ。
思いやりに溢れ、親切心に溢れ、包み込むような愛情で溢れている場所が好きだ。
俺に足りない部分だから余計にそう思うのかもな。
俺とは少し属性が違うような気もしてる。
同じ属性同士では話が前に進まなかったり、同じ役割の人ばかりになるので、属性が違うということはむしろメリットに感じてる。
俺はわがままに突き進む人。
突破し、踏みならし、道を作り先を行く人。
だから安定や同じ場所にとどまることが難しい。
自由に縦横無尽に動き回るのが好き。
俺の中での正解と他の人の正解は違う。
この違い自体が相性の良さに繋がることもあるんよな。
自分の存在が良いのか悪いのか考える意味なんてあまりない気がしてる。
自分が善か悪かについても。
おそらく、ほとんどのことにおいて、「どちらともいえる」というのが答えなのだろう。
とにかく、心の奥から湧き上がる感情に目を向け、それを出来る限り叶え続けること。
その結果の集合体が未来を作っていくのだと思う。
一つ一つは脈絡がないように見えても、一人の人間から湧き上がるものには一貫性があるはず。
だから吟味なんかしなくても、吟味するはずだった時間を行動にあてちゃえばいいんよ。
それが出来るのが、自分が心から興味を持っていることや好きなこと。
それ以外のことではこの能力が一切発動しない。
俺にとって生活費を稼ぐという行為がまさにそれで、本当に興味がなくて困ってる。
しょうがないからやるけど。
生活費を稼ぐというのは、なんというか本質的ではない。
大切なことではあるけど、正しい形は副産物として生活費が生み出されるという形なのだと思う。
自分の中での答えはそれで、答えは分かっているのに形にできなくて、形にできない間も生活をしなければならないので生活費を稼がないといけないというジレンマ。
俺は生活費を稼ぐことに適した人間じゃないのになぁ。とよく思う。
こんなちっぽけなことを口に出すと「ダメ男」認定されると思うのであまりおすすめしない。
ダメ男かどうかは本質的ではない。
駄目な部分はたしかにあるけれど、本当に駄目な部分なのかというのは慎重に考えなければならない。
社会の常識では、生活費を稼ぐという行動が正しさのかなりの上位にあると思ってる。
だから例にもれず俺も苦手でもそうしてるんだけど、やはり違和感は拭えない。
この感じ、伝わる人おるんかな。
これ生活費を稼がずに言ってたら信じてもらえないと思うんだけど、生活費をなんとか稼ぎながら言ってるのでわかってほしい。
向いてないのもそうなんだけど、俺はこれを「やるべきではない」とずっと感じてるんよ。
本能がずっとそう言ってるんだけど、方法が見つからないからやり続けてる。
全然関係ない話になったけど、俺は快適なコミュニケーションが好きだ。
同じように快適なコミュニケーションが好きな人達が集まる場所を作り、それを運営していくことで生活をしていくべきだ。
ローカル系のグループもそう、ゲームなどの配信もそう。
快適なコミュニケーションが出来る場の価値を伝え続ける。
この価値に共感してくれる人が増えたら、その先に「快適なコミュニケーションが出来る場所」を継続させることで生活出来るようになるかな。
これを実現することが俺の本質的な価値の表現だと思ってるし、自らの幸せに繋がり、同じ感覚を持っている人の幸せを作ることになると思ってる。
理解されなくてもこうして表現し続けよう。
心から湧き上がる感情や感覚を信じて。
自分の中でずっと変わらない答え。
まずは、自分はそんな考えを持っている人間だと表現し、離れていく人はすべて一旦離れてもらおう。笑
そのことを恐れない。
最適化。
離れるべき人が離れ、寄り添うべき人が近づいてきてくれる。
一時的に孤独になることもあるかもしれない。
それでも、そこを通過しなければならないのであれば覚悟を持って受け入れることだ。
自分を過小評価せず、過大評価せず、ありのままの自分をまず受け入れる。
自分と相手の問題を切り離せばいい。
「これは自分の問題なのか?それとも相手の問題なのか?」
そう考えたとき、相手の問題だと思ったなら自分の軸をいじる必要はないよ。
理解できない人や、関わるタイミングがまだ来ていない人というのは確実に存在するから。
関わるタイミングがまだ来ていない人というのは、その人自身の問題にその人が気づいていない状態。
それはこちらの問題ではない。
一時期、なんでも自分の中に問題があると考えるようにしていた事がある。
謙虚でいるにはそれがいいかなって。
この時期を経てみて思ったのは、どんなことも100%相手が悪いということは少ないが、上記の通り自分の問題と相手の問題に切り分けられるということ。
もしくは割合を感じることが出来るということ。
反省すべき点は反省し、そうじゃないところは相手の問題として切り分ければいい。
自分の改善点だけでは関われないこともある。
その場合は、関わらないほうがいい。
相手が譲れない部分と自分が譲れない部分がかぶっている場合も、極論、快適には関われない。
そういうものだと思う。
適正な距離を保つというのは、最悪の事態につながらないようにする優しさでもあると思う。
距離感が近すぎると、どれだけ親密な人とも喧嘩になるものだと思ってる。
居心地が悪くなったり。
一人の時間が必要だったり、時には関係性を忘れることも必要だったり。
そんなこともあると思うよ。
そういうことをすべて踏まえた上でコミュニティは設計していきたいと思ってるし、自分の経験を踏まえて作り出すコミュニティの中で行われるコミュニケーションが常に快適なものであるようにしたい。
やりたいことを100%やれる生活を送れるようになること、それは俺に関わる全てのパフォーマンスを上げられる唯一の方法。
そこを真っ直ぐに考えていきたいしたどり着きたい。
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