二転三転。
特化サイト・ブログにしたい熱が上がって数ヶ月。
再び、できるだけ「コンパクトに熱」が上がってきた。
いつでもどちらにでもできるようにしておくというのが自分の快適さを保つのにいいのかもな。
一度やり始めたことはやり続けよう!というのが一般的な風潮だと思うんだけど、個人的にはどんな状況でも自分の気分一つで一瞬で舵切りができるほうがいいと思ってる。
それは、自分の性格からしてそのほうが都合がいいというのもあるけれど、流れの速い今の時代の変化に柔軟に対応できるようにというのもある。
腰を据えて当初の結果を出そうとした頃に、全く違う流れになるのが今の時代。
それも当然のことで、これだけAIなどの進化が早ければ少し前の常識なんてあっという間に塗り替えられる。
昔のように一方向にみんなで突き進むみたいな時代は終わっているように思う。
それぞれがそれぞれの風を感じ、各自にカスタマイズして仕事と生活を行うのが今の時代に合ってると感じている。
昔からやりたいことがあっちこっち行くという自分の性格の癖は存在した。
だが、ある程度の範囲内でのこと。
広い範囲での方向は変わっていない。
基本的にマイブームは特定の範囲内で起きる。
俺が目指すのは、「自分が感じる”自由”と”幸せ”」。
一般的な自由と幸せと、自分が感じる自由と幸せには違いがあるということに気づき、自分が感じる自由と幸せを追い求めるようになった。
「自分が感じる」という部分を大切にしなければ、一般的な幸せを手に入れた瞬間に虚しさが積み上がっていく可能性がある。
言語化できていなかったけれど、昔から追い求めていたのはこれなんよな。
コミュニティを作って自分と誰かの居場所を作りたかったりアートや最新技術に触れ表現したかったもの、辿り着きたかった場所はこれだった。
だから、方法はなんでもよかったんだ。
目的地に辿り着けたなら。
今まで試したどの方法も好きなものばかり。
だけど、仕事にしようとした瞬間に好きじゃなくなるみたいなこともあった。
この理由こそが、仕事にする方法を間違うと自由と幸せから遠ざかるというものだったんよな。
好きなことが仕事になれば必ず幸福になると信じてた。
複数の好きなことを仕事にしてみたけれど、大切なのは好きなことが仕事にできるかという、それそのものではなかった。
どういう形で仕事にできるか。
よくよく考えてみれば当然の話で、価値観が合わない人の言うことを聞かなければならなくなった時点で楽しくなくなるわけだ。
それを続けてると見事に好きだったものが嫌いになるわけだ。
好きなものを嫌いになるために仕事にするわけじゃないだろ。
24時間、好きなことだけを考えられる環境を整えられるように仕事にするんだろ。
生活費は必要。
どうせ仕事をやらなければならないなら好きなことで。
情熱を持ってやりたい。
自分は一般的な人たちと感じ方が少し違うと思うので、やはり最終的には自分で決められるようにならなければならない。
その大きな一歩がフリーランスだったわけだ。
フリーランスになって10年以上経つけれど、お金も時間もないけど幸福度は高い。
一般的な幸せを何一つ手に入れられていないし、きっと”立派”な人には馬鹿にされてしまうほどちっぽけな存在だけれど、それでも自分の中に見つけた小さな幸せを大切に抱えて生きてる。
自分で決められる幸せ、うるさく言われない幸せ、やりたい時にやりたいことができる幸せ。
すべて、大きな自己責任の上にだけど存在してる。
だけど確実に選択できるんだ。
ミスると何も選択できない事態になってしまうこともある。
自由を求めて不自由になるのは、なんとも滑稽ではあるけれど何度もそうなってきた。
それでも自分が決めたことならある程度納得できるもんだ。
状況が悪くなりお金を自由に使えなくなっても「これは今しかできない体験だな。」と感じる。
怠け者な自分は厳しい環境に自分から飛び込むことは難しい。
でも、結果的に厳しい環境に陥ってしまったなら、どうせならその時にしか体験できないことをやり感じきるようにしてる。
極端にお金がなくなれば、究極にコスパが良くて継続して食べられるものを研究し始めるし、何かが壊れれば今あるもので代替できないだろうかと考える。
そこに選択肢はなく、サバイバルのような状態。
気を抜くと破綻してしまうという緊張感の中、生きる。
それのどこが幸せなんだよって話だけど、たしかにそんな状況に陥ってる時は本当にキツくて苦しくて音を上げてしまいそうになるけれど、それでもなんとか1日が終わりボロボロの体を安いソファに横たえた時、その瞬間だけは誰にも邪魔できない幸せの時間なんよな。
体を横たえているその瞬間だけを切り取れば、お金があるとかないとか社会的にどうとか仕事がどうとか何も関係なくて、ただただ安全な場所で安心して眠れるという感覚に身を委ねられる。
そのことが素晴らしくて。
そして、こんな小さなことが幸せだと感じられるようになったことが嬉しくて。
もともと、すごく傲慢な人間なんでね。
一つ一つ体験してきたんだ。
何度も失敗して人に迷惑をかけ傷つけながら。
少しずつ。
その全てが今の自分を形成してる。
数年前から、人が離れてもいいからできる限り本来の自分でいくと決めた。
あれから本当に関わる人は極端に少なくなったけれど、今感じるのはやはり自分は少数の人達と関わっていくのが向いてるんだということ。
基本的には1対1でしか関われないんだな。
関係者同士のいざこざに巻き込まれるのも誰かの悪意にさらされるのもうんざりだ。
変な妬みもね。
こんなにも素晴らしいことで満たされた世界なのにしょうもない小さなことに囚われ妬む人と関わらなければならない環境は自分の周りから消滅させたい。
人は、じんわり心があたたかくなるようなやり取りができる。
俺はひどい人間だけど、俺の近くにいてくれる人たちはその分、めちゃくちゃ素晴らしい。
自分と照らし合わせてみて光のように見えたり、底がないような優しさや善意を持って接してくれる。
本来、人のわがままでどうしようもない子どものような部分は可愛らしいんだよ。
失敗もうまくいかないことも、とてもかわいらしい。
だけれど、かわいらしいと感じるには余裕が必要だろ?
自分のことも相手のことも。
人間らしいな、かわいらしいなと感じられるにはさ。
自分の目に映る世界は丸みを帯びていてほしいよ。
ないものねだりかもしれないけれど。
心がささくれだってしまう時だってある。
そんな時に、せめて目の前の世界は丸く優しいものであってほしい。
現実に優しいかということよりも、優しいと自分が感じられるか。という意味でね。
自分の解釈も必要なんよ。
どれだけ優しい人と接しても、自分が悪意を持って人を見ていれば優しさすら悪意に見えてしまうものだから。
ーーーーーーーーーーーーーーー
「特価ブログ・サイトにする方向性から再びホムペで全部を賄う方向性にしたい」
一行で終わる話をここまで脱線させて広げられるのはむしろ才能だと思ってる。
書きながら脳内整理を自動的に行なっているので、感情のゆらぎを抑制せず何度でも同じ内容を書いていいと自分に許可している。
何度でも感じるということは、その頻度から強く思っていたり頻繁に思っているというのが分かるから。
いつも同じようなこと書いてるなと思いながら、それはそれで。と思うようにしてる。
そのとき自分がそう感じたのならいいんだ。
やりたいようにやらせておこう。(他人事)
近況を書いておくと、バイクを修理に出したいが確定申告の時期が迫ってきているのと余裕があるわけでもないので、しばらく自転車生活に逆戻りし、もうちょっと安定してから修理に出そうと今の所考えてる。
自転車って、頭の中で記憶しているほど遅くはないと実感してる。
縫うように走れたりバイクで信号待ちするような時間を速度を調整してちょうど切り替わるタイミングで行けたり。
あと、去年だったかな、今乗ってる自転車を購入した時にしばらく乗っていて力の入れ方もその時に少し思い出したようだ。
体力の無さは相変わらずだけど、無駄な力が入りにくくなったのか以前より楽に移動できる気がする。
仕事は現在のクライアントに特に不満がないのでこのまま行けたらいいと考えてる。
面白そうな仕事や単価が高い仕事があれば考えるけど。
現在は平均すると単価が高いとは言えない(一部、高い所はある)ので時間を使って稼ぐことになる。
だから常に時間が足りていない。
自分の活動に満足に時間を使えていないのはストレス。
現状を加味して特価ブログ・サイトではなく一箇所で。。の方向性にしたというのもある。
とにかく、最低限やりたいと思ってる自分の活動がやれていないので。
簡略化することで必要なことに意識と労力をもう少し持っていけるかなと。
現在の仕事のペースがいまいち掴みきれていないので、完全にコントロールし自分の活動も最低限やりたいことをやれるようにしたい。
仕事がもらえているのは本当にありがたいこと。
そして嬉しいこと。
何より、理不尽な人と接することがないのがとにかくいい!
自分にとっては単価が高いということよりも価値があることなので。
2023年も終わるけど、楽しさ、幸せ、自由を実感しながら自分らしく。
引き続き生きていこう。
この記事へのコメントはありません。